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徳久圭先生のコラム 『中国語通訳の現場から』 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。出版社等に勤務後、社内通訳者等を経て、フリーランスの通訳者・翻訳者に。現在、アイ・エス・エス・インスティテュート講師、文化外国語専門学校講師。

第1回:車到山前必有路──通訳者デビューは突然に

台湾は台北市の中心部にある信義区。台北市政府(市役所)や台湾一の超高層ビル「台北101」などが建ち並ぶオフィス街の一画に、その国営企業の本社ビルはありました。今日はここで、とある日本企業がその国営企業と今後数年間をかけて展開するプラント建設プロジェクトのKOM(キックオフ・ミーティング)が行われるのです。

最上階の広い役員会議室には、数十名が一度に座ることのできる重厚で巨大な楕円形のテーブルがしつらえてあり、それぞれの席にはボタンのついたスタンドマイクが置かれています。大きな背もたれのついた肘掛け椅子に居並ぶ日本・台湾双方のプロジェクト関係者。中国式の蓋つきカップに入れられたお茶が供されます。長い時間をかけて計画してきたプロジェクトがようやく始動するということで、出席者にはどこか高揚した雰囲気がみなぎっています。

その場所で日中・中日双方向の逐次通訳を担当するのは私です。台湾側の董事長(会長)がスタンドマイクのボタンを押すと、マイクヘッドの赤いLEDが点灯して、冒頭の挨拶が始まりました。私もメモを取りながら目の前のマイクを引き寄せ、訳出に備えます……でも、私が本格的なビジネス通訳の現場に身を置いたのは、実はこの日が初めて。それどころか、台湾に足を踏み入れたのさえ初めての経験だったのです。

この日の通訳業務は、その日本企業のインハウス(社内)通訳者として稼働するにあたっての、いわば「トライアル」でした。アイ・エス・エスからの長期派遣です。直前までアイ・エス・エス・インスティテュート東京校の中国語通訳者養成コースで学んでいた私に、「こんなお仕事があるんだけど、興味はある?」と声をかけてくださったのは、恩師のN先生でした。プラントの建設現場で最低2年から3年という長丁場、しかも雑務や一般的な事務作業などはなく、朝から晩まで通訳と翻訳だけを専門に行うというポジション。通訳学校に通いながらも、現場での経験がほとんどなかった私にとっては願ってもないオファーでした。

とにもかくにも会議は終了し、雇用主である日本企業の代表者からは「ずいぶん緊張していたようだね」とこちらの経験不足を見透かされながらも、何とか「トライアル」には合格。こうして台湾への長期派遣と通訳者としてのデビューが決まりました。いったん日本に戻って、一週間ほどのうちにあたふたとアパートを引き払い、住民票の「海外転出」手続きなどを済ませ、アイ・エス・エスの担当者さんにご挨拶をして、私は再び台湾に向かいました。

通訳学校で学んでいた時の、私の通訳者に対するイメージと言えば、ダークスーツに身を包み、VIPの後ろにさりげなく陣取り、メモを取りながらやや抑えた口調で言葉を紡いでいく……といったクールなものでした。ところが、派遣されたプラントでは基本的に青い作業着に黄色いヘルメットに身を包み、足には安全靴(甲の部分に鉄板が入っていて、指先を守る仕様になっています)を履き、配管が錯綜する高所での作業に備えて腰にはフックと命綱のついた安全ベルト。海辺のプラントで常に強い潮風が吹きつける中、大声というよりはほとんど怒鳴るような声で通訳……想像とは全く違う世界が待っていました。

可燃物を大量に取り扱う広大なプラントの構内を自転車で移動しながら、防爆仕様(火花が出ないよう特殊な構造になっています)のトランシーバー越しに通訳をしたこともあります。地下数十メートルまで掘り下げて作られた巨大な貯蔵空間で、防塵マスクの隙間から声を出しつつ通訳したこともあります。その一方で、政府関係者の視察や安全管理当局の査察、日本と台湾双方のエンジニアが難解な資料をつき合わせて解決策を検討する技術会議などの通訳にも動員されました。

この技術会議が本当に大変でした。日本と台湾双方の出席者はこのプラントに関する技術の専門家ばかりです。その中で私一人が門外漢であるにもかかわらず、その門外漢が一番前に出て二つの言語で難解な技術用語を通訳していくという、その「無理筋」感といったら。しかもなぜか台湾側には通訳者がおらず、結局日本側の通訳者である私が双方向で延々と通訳をしていました。

それでもクライアントはとても通訳者の仕事に理解があり、会議前には専門的な内容についてのレクチャーを、それも私一人のためだけにしてくださいました。私も日本と台湾双方のエンジニアに聞いて回りながらグロッサリー(単語帳)を作り、専門用語や技術用語、ジャーゴン(業界用語や略語など)を覚えていきました。駆け出しの通訳者には十分すぎるほどハードな現場でしたが、「ここで自分が黙ってしまったら工事や会議が止まってしまう」という緊張感の中、何が何でも訳してやる、訳してみせるという度胸だけはついたような気がします。

頭に思い描いていた「クール」な通訳者像とはかなりかけ離れた現場での私でしたが、通訳者として鍛えてくださったクライアント(本来なら「鍛えてもらう」など、プロ失格なのですが)と私を推薦してくださったアイ・エス・エス・インスティテュートの恩師、そして3年近くにわたる台湾での長期派遣をサポートしてくださったアイ・エス・エスの担当者さん(「海外ではなかなか手に入りにくいでしょう」と、私の好きな日本の雑誌を2種類、毎月送ってくださいました)には今でも感謝しています。

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