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徳久圭先生のコラム 『中国語通訳の現場から』 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。出版社等に勤務後、社内通訳者等を経て、フリーランスの通訳者・翻訳者に。現在、アイ・エス・エス・インスティテュート講師、文化外国語専門学校講師。

第4回:磨刀不誤砍柴工──母語を再度見つめなおす

二つの言語を「話せれば訳せる」わけではないけれど、「話せなければ訳せない」のもまた事実。では、通訳者にとって「二つの言語が話せる」というのはどのような状態なのでしょうか。もとより“語言越學越没止境(語学にゴールなし)”ですし、まだまだ発展途上の私が語るのもおこがましいのですが、少々考えてみたいと思います。

通訳という作業には母語と外語の二つが用いられますが、ここで問われるのはそれぞれの言語のレベルです。と言うと、外語のレベルはまだしも、母語は問題ないと思われるかもしれません。母語なら子供の頃から十分に使いこなせているし、あとは外語のレベルを少しでも引き上げるだけだと。

実際、通訳学校でも生徒のみなさんは「母語→外語」の訳出訓練により注力されているように見受けられます。日本語母語話者であれば中国語への訳出、中国語母語話者であれば日本語への訳出です。つまり母語へ訳出するのはたやすいけれど、外語はまだまだ語彙も少なくて表現の幅も狭いから……というわけですね。

確かに、外語のレベルが母語を超えることはまずないでしょう。日本語母語話者である私が今後どれほど一心不乱に中国語を勉強し続けたとしても、日本語で話すことができる以上に高度で複雑で抽象的な内容を中国語で話すことは難しいと思います。幼い頃に母語以外の言語環境に移住して、長じたのちに外語が母語を上回るといったような特別な例を除けば、外語は母語を凌駕できません。

そこで問題になるのが「母語のレベル」です。母語も言語である以上、その遣い手のレベルは千差万別。日本語母語話者であっても幼い、または拙い、あるいはボキャブラリーの貧弱な日本語しか話せない人もいます。卑近な例を挙げるなら、美味しい物を食べても、雄大な風景を見ても、素敵な音楽を聴いても、可愛い猫に出会っても、遅刻しそうになっても、地震の揺れを感じても、すべて「ヤバい」で済ませていませんか。あるいは「マジ」、「ウザい」、「超」、「めっちゃ」等々に頼りきって、表現のバリエーションが乏しくなってはいませんか。

こうした言葉を否定するわけではありませんが、知らず知らずのうちに母語が貧弱になっている危険性には常に注意を払っておきたいと思います。外語は母語を越えられないのですから、母語のレベルが低ければ外語もそのレベル止まりであり、逆に言えば、母語を最大限に高めておくことで、外語学習の「伸びしろ」が担保できるということでもあります。外語に熟達したければ、まずは母語が十二分に豊かでなくてはなりません。

母語の大切さについては、台湾の作家・張曼娟(ちょう・まんけん)氏がこんなことを語っています。いまや中国語圏以外の人々も中国語を学んでいるというこの時代にあって、“會華文已經不是優勢。你的華文要比其他的人更好才是優勢(中国語を話せることは強みではありせん。自らの中国語が人より優れていることこそ強みです)。”と。母語であっても慢心することなく、常にブラッシュアップを心がけるべき、という作家ならではのメッセージですね。

※YouTubeに動画が上がっていますので、アドレスを記しておきます。
https://youtu.be/lZ6kecSizBI (2:36あたりから)

母語の洗練を重視すべき理由には、日本における中国語通訳業界特有の事情も関係しています。ここで質問ですが、日本で稼働している英語通訳者のうち、英語母語話者はどの位いると思われますか? 手元に正確な統計はありませんが、非常に少ないのではないでしょうか。実際、現場でお目にかかる英語通訳者のほとんどは日本語母語話者で、その方々が日英・英日の通訳を担当されています。

一方で中国語通訳者はどうでしょう。これも正確な統計はないものの、現場でお目にかかったり、先輩方からうかがったりする話を総合するに、おそらく半分以上、ひょっとすると六〜七割ほどは中国語母語話者が占めているものと思われます。ちなみに、通訳学校の生徒さんも中国語母語話者の割合が高いですね。

では、中国や台湾などで稼働している中国語通訳者には日本語母語話者が多いのでしょうか。そんなことはありません。やはり中国語母語話者がほとんどを占めているのです。ここには地理的、歴史的、経済的な理由が絡んでいると思われますが、とにかく英語通訳業界とはかなり違う様相を呈しているのが日本における中国語通訳業界なのです。

そのような業界で、私のような日本語母語話者の中国語通訳者が一番「売り」にできるのは、当然ながら日本語の質です。外語である中国語方向への訳出についてはいざしらず、母語である日本語方向への訳出については負けないぞ、という気概がなければ私の出番はありません。逆に中国語母語のみなさんも安心は禁物です。みなさんの中国語が日本語母語話者の中国語通訳者に見劣りするなら、もう「お呼びじゃない」のです。ぜひもう一度、自らの母語を点検してみてください。

蛇足ながら、中国語通訳業界ではなぜか女性が圧倒的に多いようです。たぶん八割、いや、それ以上かな? ……ということはつまり、私のような日本語母語話者の男性が一番奮起しなきゃいけないということですね。

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