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徳久圭先生のコラム 『中国語通訳の現場から』 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。出版社等に勤務後、社内通訳者等を経て、フリーランスの通訳者・翻訳者に。現在、アイ・エス・エス・インスティテュート講師、文化外国語専門学校講師。

第6回:華語江湖面面觀──それもこれもみな中国語

先日、とある専門学校の中国人留学生クラスで通訳訓練をしていたところ、“太平門”という中国語が出てきました。日本語の「非常口」にあたる言葉ですが、学生のひとりが「そんな中国語はありません」と発言して、ひとしきり議論になりました。確かに“緊急出口”や“安全出口”などの方が一般的ではありますが、試みにGoogleの画像検索で“太平門”にあたってみると……多くの建物や交通機関などで実際にこの言葉が使われていることがわかります。

中国語はいまや英語と並んで多くの国や地域で使われている巨大な言語です。一番代表的な“普通話(北京方言をベースにした標準語)”でさえ、北京など中国の北の地方と、上海など南の地方、さらには台湾や、華人と呼ばれる中国系の人々が暮らす様々な場所で、発音や語彙などに多くのバリエーションが存在しています。

くだんの学生が生まれ育った地域では“太平門”に馴染みが薄かったのでしょう。それは仕方がないことですが、だからといって通訳者たるもの、原発言者の発した語彙を自分が知らないというだけで「そんな言葉はない」「それは中国語ではない」と言い切ってしまうのは、拙速であり、傲慢であり、ホスピタリティに欠ける行為です。通訳者は、自分の想像以上に幅広く、奥深く、多様性に富んだ言語の大海原を前に、常に謙虚でなければなりません。

まして言語は生き物です。特に中国のような社会に急速かつ激烈な変化の起こっている場所にあっては、いま自分が知っている語彙さえも淘汰されて新しい表現になっている可能性だってあるのです。かつて自分が習い覚えた中国語の様々な語彙や表現が、はたして現代でも有用であるのかどうか、常にアンテナを張って検証しておく必要があると感じています。

中国語を学んでいる日本語母語話者(私もそのひとりです)のみなさんは特に注意が必要です。日本における中国語教育は伝統的に「北京一辺倒」で、中華人民共和国政府が標準としている“漢語(普通話)”を、ピンインと簡体字を用いて、北方の発音や語彙をベースに学んでいるからです。

もちろん教材の質や量からいっても最初はそれが一番学びやすいと思います。でも、ある程度中国語を学んで、さらに通訳者や翻訳者を目指す段階になったら、華人社会全体で使われている現代の中国語(華語と言う方もいます)の様々な側面に目を向けましょう。具体的には繁体字に慣れ、南方や台湾などの発音に慣れ、地域間の語彙の差異に慣れるということです。

主に台湾や香港などで使われている繁体字ですが、日本人の中国語学習者でこれを「苦手」としている方が多いことに驚きます。翻訳の仕事をしていても、エージェントから「繁体字の案件なのですが、対応できますか」という問い合わせがあるくらいです。「別の日本人翻訳者に依頼したところ、『繁体字は苦手だから』と断られました」と。

なんともったいない。簡体字と繁体字の対照表をご覧いただければわかりますが、頻繁に使われる漢字で字形の差が大きいものは、実はそれほど多くありません。少し勉強する気になればすぐに慣れてしまいます。それに通訳の現場に出れば、提供される資料がすべて簡体字であるという保証はないのです。どんなお客様のどんな資料にも対応できるよう、ぜひ繁体字にも馴染んでおくことをお勧めします。

また南方や台湾の発音を苦手とする方も意外に多いようです。確かに「儿化音」や軽声が少なく、巻舌音なども明瞭に聞こえず、語彙によって声調も若干異なる発音に最初は戸惑うかもしれません。実は私も初めて台湾に赴任した時はそうでした。でもこれも「慣れ」の問題。今はネット動画などで様々な地方の華人の発音を聞くことができます。これも漢字と同様に、様々な地域のお客様に対応できるよう、ぜひ慣れておきましょう。

語彙の違い(例えば“垃圾——ゴミ”は、中国大陸ではla1 ji1ですが、台湾ではle4 se4と発音します)についても、今はネット上に様々な情報が提供されています。冷戦の時代ならいざ知らず、もはやどの字体、どの発音、どの語彙が「正統」だなどとこだわることに意味はなくなりました。「食わず嫌い」に陥ることなく、様々な側面を持つ現代の中国語を貪欲に吸収していくべきだと思います。

※同じ漢字における発音の違いについては、最近SNSでこんなサイトを教えていただきました。ご参考までにリンクを張っておきます。
http://www.cccl.com.hk/ccclnew/cccllee/cccllee27.html

さらに最近の、特に若い華人には中国語に英語をまぜて使うのがお好きな方もいます(日本人もカタカナの外来語を多用しますが)。通訳の現場で急に英語が飛び出すと驚きますし、本来であれば中国語通訳者の対応範囲外ではあるのですが、そこはそれ、現実的には理解できるかぎりで何とか訳して差し上げたいものです。

私が実際に遭遇したものでは、例えば“我想在這裡 make sure 一下(ここでちょっと確認したいのですが)”とか“今天我給大家 surprise 一下吧(今日はみなさんにサプライズがあります)”などといった発言がありました。バリエーション豊かな現代の中国語に対応するだけでも大変なのに、そのうえ英語まで。いやはや、大変な時代になりました。でも、言葉を学ぶことが大好きな人間にとっては、スリリングで知的好奇心を大いに刺激される面白い時代になったともいえますね。

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