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津村建一郎先生

津村建一郎先生のコラム 『Every cloud has a silver lining』 東京理科大学工学部修士課程修了(経営工学修士)後、およそ30年にわたり外資系製薬メーカーにて新薬の臨床開発業務(統計解析を含む)に携わる。2009年にフリーランスとして独立し、医薬翻訳業務や、Medical writing(治験関連、承認申請関連、医学論文、WEB記事等)、翻訳スクール講師、医薬品開発に関するコンサルタント等の実務経験を多数有する。

第18回:アジアで新型コロナによる死亡率が低い理由

世界レベルでは、新型コロナウイルスが未だ猛威を振るっています。2020年5月24日現在で、世界での新型コロナの感染者数が531万人を超え、日本では感染者数が16,543人に達しています。しかし、感染者数や死亡率を世界的に比較しますと、どうも地域差ありそうです。
今回は、その地域差の理由について、考えてみたいと思います。

1.世界の新型コロナの感染状況・・・

世界の代表的な国での新型コロナによる現在の感染者数や死亡率を表にまとめてみました。

世界の代表的な国での新型コロナによる現在の感染者数や死亡率

出典:MSNニュース、特集 : 新型コロナウイルスより集計
*:10万人あたりの死亡数は公表資料から独自に集計

  

死亡率でみますと、ドイツを除く欧州では軒並み10%を超えています。アメリカ大陸やアジアと比較すると2倍~3倍の死亡率になっています。アメリカ大陸とアジアを比較しますと、かなりオーバーラップしているものの、アジアの方がやや低めの傾向が認められます。
人口10万人あたりの死亡数ではさらに差が広がり、ドイツを除く欧州では50人前後となっていますが、アメリカ大陸では9人~30人程度と欧州の半分ほどになっています。一方、アジアでは0.2人~0.6人と欧州の1/100程度、アメリカ大陸の1/30~1/50程度と極端に低い値になっています。
ちなみに、アジア諸国の中では日本が0.63人と最も高値を示していて、新型コロナの発生源と言われている中国(0.32人)の倍になっています。

中国の感染者数(82,974人)の内の75%は武漢のある湖北省(68,135人)で占められています。その湖北省での新型コロナによる死亡率は4%~6%と報道されていますので、感染の中心であった湖北省に限れば、新型コロナによる死亡率はアジア諸国と大差ないと言えるでしょう。それにも係わらず、中国での人口10万人あたりの死亡数が0.32人であったことを考慮しますと、新型コロナの湖北省内への封じ込め作戦は功を奏したと言えるのではないでしょうか。

それにしても、欧州とアジア(特に東アジア)、アメリカ大陸での新型コロナの感染状況はどうも異なっている様に見えます。

 

2.世界の新型コロナの感染状況が異なる理由

世界的に見ますと、米国やイタリア、スペイン、英国などに比べて、日本や韓国、中国などのアジア地域での新型コロナによる死亡率、特に10万人あたりの死亡者数が極端に低くなっています。
欧米諸国に比較して日本(アジア)で死亡率が低い理由について様々に報道されていますが、例えば、濃密接触(ハグやキス、握手など)が少ない、ウイルス検査(PCR検査など)の実施率が低い、医療提供体制やマスクの着用、手指衛生、社会的距離を取る慣習が日頃からある、ロックダウン(都市封鎖)の時期の違い、免疫能における人種差、BCGワクチンの接種歴の有無、新型コロナウイルスの変異の違い・・・など様々に言われています。
確定的な原因はまだ解っていませんが、有望な説を幾つかご紹介します。

 

2.1.BCGワクチンの接種歴の有無

この説の発端は、medRxiv(https://www.medrxiv.org/)というヘルスサイエンスに関する論文の速報を掲載しているサイトに、「国策としてBCGワクチンの予防接種をしている国と、新型コロナの症例数と死亡数が少ない国との間に相関関係が見られる」という論文が掲載されたことです。

論文のタイトルは・・・

Countries that have universal TB vaccine policies see fewer coronavirus cases and deaths, study shows.
⇒ 国策としてBCGワクチンの予防接種をしている国々では、新型コロナウイルスの感染者や死亡者が少ないことを、研究は示している。

そして、非常に興味深いグラフが公表されました。

新型コロナウイルス感染者数の推移

(出典:@AkshatRathi 氏の投稿より:https://twitter.com/AkshatRathi/status/1245626716430561285/photo/1)

このグラフは、100例の新型コロナウイルス感染者が確認された時点から42日後までの新型コロナウイルス感染者数の推移を示しています。赤線はBCGワクチンの予防接種を行っていない国、グレー線は予防接種を行っている国を表しています。
データソースは、米国のジョーンズ・ホプキンス大学の集計です。

確かに、国民にBCGワクチンの予防接種を課している国(日本、中国、韓国、香港、シンガポールなど)の感染者数は、課していない国(イタリア、スペイン、アメリカ、フランス、イギリス)よりも少なく見えます。
BCGは結核菌(tubercle bacillus)に感染して起こる結核(tuberculosis)を予防するワクチンです。接種することで結核菌に対する抗体が産生され、1歳未満の新生児に接種することで、結核や小児がかかりやすい結核性髄膜炎や粟粒結核を防ぐことができます。しかし、結核菌に対する抗体が新型コロナウイルスにも有効なのかどうかに関する報告は無いようです。

そこで、各国のBCGワクチン予防接種の歴史を見てみますと、死亡率の高い英国とフランスがBCG予防接種を止めたのは15年ほど前ですから、新型コロナの主要な感染者層(30歳代以降)はBCG予防接種を受けているはずです。一方、ドイツは死亡率などが欧州で最も低いのですが、BCG予防接種を止めたのは22年ほど前です。
また、感染者数が少なく、死亡率(1.4%)も10万人あたりの死亡数(0.40人)もアジア並みのオーストラリアでは44年前にBCG予防接種を止めていますので、特に中年~若年層の感染者はBCG予防接種を受けていません。加えて米国やカナダでは、全国的なBCG予防接種を行った歴史が無く、必要と判断された一部のグループやコホートのみに接種するだけですので、国民的には殆どの人がBCG予防接種を受けていない状況ですが、その死亡率(米国:5.9%、カナダ:7.6%)は欧州よりも低くなっています。
さらに、BCG予防接種を実施しているイランでは、感染者数(133,521人)、死亡率(5.5%)、10万人あたりの死亡数(8.80人)等が欧米並みの値を示しています。

以上のことを勘案しますと、AkshatRathi氏のグラフを単純に信じるのは危ない気がします。この様な、いかにも相関がありそうな場合を「疑似相関(spurious correlation)」と言いますが、この疑似相関が疑われる場合は大抵、BCG予防接種の有無と新型コロナウイルス感染者の両方に影響を及ぼしている、未知の第三の因子(ひとつとは限りません)が存在していると考えられます。

と言うことで、BCG予防接種の有無は有力ではありますが、全てが説明できるまでには至っていません。

 

2.2.隠れ感染者、隠れ死亡者がいるのでは?

日本で実施されているPCR検査は、韓国の様にドライブスルー体勢も取っていなければ、イタリアやドイツの様に希望者は検査してもらえるという方式にもなっていません。
この様に、日本では特にPCR検査を受けた人数が極端に少なく、隠れ患者や隠れ死亡者が存在することが考えられます。具体的には、電話窓口で問診した後に、陽性の疑いが強く重症化の危険がある人を優先的に検査しているのが現状ですので、「PCR検査を受けた人数が極端に少ない」という指摘は当たっています。
下のグラフは、2020年3月8日~4月20日の間で実施された各国のPCR検査の累積件数を表しています。

Our World in Data

出典:Our World in Data(https://ourworldindata.org/blog)より

しかし、検査人数(母数)が少ないことは、死亡率が低いことの直接的な理由にはなりません。日本の人口10万人あたりの死亡者数(0.63人)は検査をバリバリやった韓国(0.52人)とあまり変わりません。また、日本は重症化(死亡を含む)リスクの高い患者にだけPCR検査を行っていますので、理論的には他のアジア諸国よりも死亡率などが高くなっても不思議ではないのですが、冒頭の表に示した様に、他のアジア諸国と同程度です。

報道によると、新型コロナによる死亡者数が急激に増えたイタリアやフランスでは、埋葬する棺桶や墓地の手配が間に合わず、仮設の死体置き場を準備した・・・とのことです。同様に中国の武漢でもピーク時には火葬場に多くの遺体が運ばれ、火葬場がパニック状態だったそうです。
仮に、日本でPCR検査を受けた人数が極端に少なく、隠れ患者や隠れ死亡者が存在したとして、死亡率が欧米並みの10%だったとするならば、日本での死者は1万人を優に超える人数になります。こうなりますと、日本でも同様に埋葬する棺桶や墓地の手配が間に合わなかったり、火葬場がパニックになったりしているはずですが、その様な報告は耳にしていないですよね。
従いまして、日本での新型コロナによる死亡者の数は、ほぼ現在報告されている数で間違いないと思われます。一方で、隠れ患者は相当数いることが予想されますので、諸外国並みにPCR検査を多く実施したならば、死亡率はもっと下がることになります。

 

2.3.人種によってウイルスの反応が違うのでは?

人(宿主)側の原因として、人種の違い、即ち、遺伝子の違いが、新型コロナの重症化(死亡を含む)に影響を与えている可能性があります。ウイルスに対する免疫遺伝子の違いとして、ヒト白血球抗原(HLA)遺伝子多型が知られています。

慶應義塾大学、東京医科歯科大学、大阪大学、東京大学医科学研究所、東京工業大学、北里大学、京都大学は、2020年5月21日に共同研究グループ「コロナ制圧タスクフォース」(研究開発代表者:金井隆典教授)を立ち上げ、HLAを中心に遺伝学的因子の解明と粘膜ワクチンの開発を始めると発表しています。
もし、この様な遺伝子多型によって、新型コロナウイルスに対する抵抗力に差が生じているならば、遺伝子多型の代表格である人種差によって、死亡率などが違っているはずです。

冒頭の表に示した様に、新型コロナによる患者数や死亡率は地域によってかなり違っていることが解ります。
確かに白人の多い欧州では、国策が功を奏したドイツを除いて、高い死亡率を示しています。しかし、同じく白人の多い米国(5.9%)、カナダ(7.6%)の死亡率は欧州の半分以下ですし、殆どが白人であるオーストラリアでは死亡率が1.4%にしかなっていません。
また、米国では国民の1/3以上がヒスパニック系となっていますが、同じくヒスパニック系の多いメキシコの死亡率は10%台ですので、ヒスパニック系の死亡率が米国の死亡率を下げているとも考えにくいです。
アジア地域では、どの国も死亡率が6%以下と低いですが、人種的に近い中国、韓国、日本だけでなく、人種的に遠いインドやインドネシアでも数%台です。
以上の事から、新型コロナウイルスへの反応が人種によって異なるとは言いがたい状況です。

 

2.4.突然変異によるウイルスの型が違うのでは?

中国・浙江大学の研究チームの報告では、浙江省杭州市で1月22日~2月24日にかけてランダムに選んだ新型コロナ感染患者11人からウイルスを抽出し、アフリカミドリザルの腎臓上皮細胞に由来するベロ細胞と呼ばれる実験用の細胞に抽出した新型コロナウイルスを感染させました。すると、細胞内で増殖したウイルスの数に最大で270倍の差が生じていて、細胞内で加速度的にウイルスが増殖したベロ細胞は短時間で破壊された一方で、増殖速度の低いウイルスもあり、これに感染したベロ細胞は長時間生存していたと言うことです。そこで、患者から抽出した新型コロナウイルスを細かく調べたところ、33を越える多型が確認され、その内の6種類はベロ細胞に結合するのに必要なスパイク(ウイルス表面の突起)タンパク質での多型とのことでした。
つまり、同じ杭州市という狭いエリアの中でもすでに突然変異をしていた新型コロナウイルスの多型が存在していたことになります。
また、英国ケンブリッジ大学のチームやアイスランドの患者を対象にした研究では、地域によって流行している新型コロナウイルスの型が異なっていると報告しており、地域によって被害に大きな差があるのはウイルスの突然変異(多型)が原因ではないかと考察しています。

中国バイオ情報国家センターの報告によりますと、杭州市でみられた強い致死性を示す新型コロナウイルスと同じ多型が欧州の多くの患者でも確認され、同種のウイルスが米国のニューヨーク州でも発見されたことから、ニューヨークでの重症化は欧州から伝播したウイルスによる可能性があるとしています。その一方で、米国東海岸地区やワシントン州で同定されたウイルスは、欧州やニューヨークでのウイルスと型が違っており、致死性の弱いものだそうです。
今のところ、新型コロナウイルスの変異には「武漢型」「欧州型」「米国型」と言った分類がされていて、それぞれに致死性の程度が違っているとのことです。

では、日本で流行っている新型コロナウイルスの型はどれなのでしょうか? 興味深い論文が、5月2日のCambridge Open Engage(https://www.cambridge.org/engage/coe/public-dashboard)に掲載されました。この報告は上久保靖彦・京都大学大学院医学研究科特定教授と高橋淳・吉備国際大学教授によるものですが、「武漢型」の流行以前に出現していた別の型の新型コロナウイルスを特定した上で、「日本の入国制限が遅れたことが結果的に奏効した」としています。いったいどう言うことでしょうか?
上久保教授らが注目したのは、「日本では今年、インフルエンザが殆ど流行らなかった」と言うことです。この原因は新型コロナウイルスによる「ウイルス干渉」にあるのではないかとのことです。ウイルス干渉とは、宿主の同じ細胞に複数のウイルスが同時に感染したときに、強い方のウイルスによってもう一方のウイルスの増殖が抑制されるという現象です。新型コロナウイルスもインフルエンザウイルスも同じコロナウイルスですので、より感染力の強い新型コロナウイルスによってインフルエンザウイルスの増殖が抑制され、結果として、インフルエンザが流行らなかった・・・と考えたのです。
そこで、上久保教授らは日本人の患者から抽出したウイルスを分析し、これまで見過ごされてきた新型コロナウイルスの多型を2種類(S型とK型)発見することに成功しました。ここでポイントとなるのは、武漢型ウイルスが日本に伝播する以前に、このS型とK型の新型コロナウイルスが日本に入ってきていた!と言うことで、S型のウイルスは2019年10〜12月に、K型のウイルスは2019年12月から2020年2月にかけて広まったとしています。
その後伝播してきた致死性の強い武漢型に対してこれらの先住ウイルスは「ウイルス干渉」を起こすのですが、その干渉には大きな違いがあって、S型に感染したことがある細胞はその後の武漢型ウイルスの侵入が容易になる傾向があるのに対し、K型に感染したことがある細胞は武漢型ウイルスの侵入を防ぐ機能を有することが解りました。
ここでひとつの幸運が日本に起こってきます。
S型のウイルスは昨年10〜12月に流行りましたが、中国武漢市が1月23日にロックアウトされたことを受け、イタリアは2月1日、中国との直行便を停止し、米国も2月2日に「最近14日以内に中国に滞在した外国人の入国を認めない」との措置を講じました。この時点でS型はすでにイタリアや米国に伝播していたと考えられますが、K型は殆ど入ってきていないことになります。
K型のウイルスは2019年12月から2020年2月にかけて広まったそうですから、日本が入国制限を強化した3月9日の時点までに、K型が十分に日本国内に入ってきたことになります。

早めに入国制限をして、武漢型(強致死性ウイルス)を補助するS型しか伝播しなかった欧州やK型の少なかった米国やカナダ、入国制限が遅れたことにより、武漢型(強致死性ウイルス)を抑制するK型が十分伝播していた日本やアジア諸国・・・というこのシナリオが冒頭に挙げた表での死亡率の違いを、いまのところ最も良く説明するシナリオである様に見えます。

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以上の様に、世界的レベルでの新型コロナによる感染者数や死亡率の違いを合理的に説明できるシナリオは、今のところ「新型コロナウイルスの多型(突然変異)」ということになりそうですが、如何でしょうか。

ただし、これが正解だとすると、現在世界中で開発が進んでいるワクチンは果たして全ての多型に有効なのか???という新たな疑問が起こってきますが・・・

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