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プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
西山耕司先生のコラム 『なるようになる!』 日本大学文理学部社会学科卒、メーカーでの営業職を経て、現在は社内翻訳・通訳者として外資系企業に勤務。2009年からは、フリーランスとしても稼働開始。翻訳・通訳者として豊富なキャリアを持つ。ISSインスティテュートのレギュラーコースでは「総合翻訳・本科」「ビジネス英訳・本科」など、上級レベルのクラスを担当し、プロ翻訳者の育成に力を注いでいる。
第1回:はじめまして
一昨年春からアイ・エス・エス・インスティテュート東京校にて英語翻訳講師をさせていただいております西山耕司です。錚々たる経歴の諸先輩方と一緒に小生ごときがこのコラムを担当させていただいて本当に良いものかと悩みもしましたが、外国語学部や英文科卒でもなく、30歳になるまでパスポートも持っていなかった自分のような人間がどのような経緯を辿って、(曲がりなりにも)英語を使って食べていけるようになったのかをお話しすることで、小生と似たようなバックグラウンドと将来の希望を持つ方々にとっても有益な情報を多少なりとも提供できればと考え、謹んでお受けすることにいたしました。
大学卒業後、実家の左官業手伝い、求人広告営業等を経て、2年ほどしてメーカーの営業職に落ち着きました。実体のある製品を提供したり修理したりして感謝される仕事に喜びと誇りを感じていましたし、仕事になんの不満もありませんでした。ところが30歳で初めて海外(オーストラリア)に行って、「どうしても英語をモノにしてそれを仕事や生活で使いたい!」と思うようになりました。その思いの強烈さは未だにうまく表現できません。とにかくなにかにとりつかれたように帰国当日から一心不乱に勉強しました。
具体的には定期購読を申し込んだもののほったらかしにしておいたヒアリングマラソン数年分を約半年でやっつけました。ラジカセ(古い!)を営業車の後部座席に持ち込んで教材テープを終日流し大声でシャドーイング。毎正時にはラジオに切り替えてFEN(いまのAFN)ニュースを聞きます。帰宅してからはヒアリングマラソンの冊子教材をじっくり読んで単語帳を何冊も作りました。学生時代に英語はどちらかといえば得意科目だったということと、なによりも前述の怖いほど強いモチベーションで、とにかく毎日飽くことなくこのルーティンを実行しました。
努力の甲斐あってか、初受験した英検も2級・準1級と連続して取得することができました。学校には通わず、知人に英語ネイティブスピーカーもいなかったので、面接試験前日にはホテルのロビーで外国人を捕まえては話しかけ、あやうくつまみ出されそうなったことも(無理もないです)あります。
やはり初受験のトーイックで800点取れたところで会社を辞めて、いわゆる「英語を生かせる」仕事を探し始めました。小生の口癖は今でも「なんとかなるだろ・・・」です。3ヶ月を要しましたがあるメーカーの海外営業部に転職することができました。そこから8年ほどは月に2週の海外出張(最長は英国に6ヶ月間)、電話とFAX(後に電子メール)コレポンの機会は場所に係わらず毎日あり、小生の英語力が飛躍的に伸びた期間だと思います。
ただ、そういった環境に身を委ねるだけではなく、ひとしれず努力も続けました。移動の飛行機ではフライト時間に関係なく到着までずっと勉強(機内での洋画や英語字幕での邦画鑑賞を含む)です。このころから英会話学校にも通い始め、後に通訳レッスンも受けることになりますが、小生のモットーは常に「基本は独学・独習、学校はお披露目の場」でした。
その後2004年(入社8年目)に国内営業部に異動となりました。3年で海外営業に戻れるという話もあったのですが、それは5年近く経っても適いませんでした。今思えば、「俺の本来の居場所はここではない」という驕りがありました。そんな人間はどんな部署でも欲しいと思う訳がありません。とは言えこの先も英語を使って仕事をしたいという小生の思いは強く、2008年末をもって退職する運びになりました。 「なんとかなるだろ・・・」は「なんとでもなるのだ!」に進化(退化?)しました。
派遣エージェント数社に登録しましたが、仕事が安定して来るようになるまでやはり3ヶ月ほどかかりました。この時期はさすがに辛かったのですが、不安を振り払うためには勉強するしかありませんでした。このころの変わった学習法としてはカラオケボックスの格安時間帯(平日昼)に当時の民主党オバマ上院議員の大統領選出馬表明スピーチCDとスクリプトを持ち込み、マイクを握り締めて情感たっぷりに「なりきり」シャドーイングをしたことを挙げておきたいです(時間だけはたっぷりありました)。
もちろん全ての夢が実現できたわけではなく、なりたい自分と出来ることを冷静に見極め、折り合いを付けて小生の今があります。次回以降もしばらくの間おつきあいいただき、それが皆様の仕事や勉強の中でなにかしら参考になるようなことになれば幸いです。
ではまた。
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