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プロ通訳者・翻訳者コラム
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山口朋子先生のコラム 『"翻訳"は一日にしてならず --- 一翻訳者となって思うこと』 慶應義塾大学法学部法律学科卒業。外資系メーカー勤務を経た後、フレグランス業界へと活動の場を移し、マーケティング他業務に携わる。その後、米国カリフォルニア州立大学大学院にてTESOL(英語教育法) 修士号を取得。日本帰国後、アイ・エス・エス・インスティテュート英語翻訳者養成コースを経て実務翻訳の道へ。現在は、医療・美容業界関連、その他雑誌・ホームページ記事やエッセイなどの分野から、会社規約・契約、研修マニュアル、取扱説明書、財務レポート他各種報告書などのビジネス文書等に至るまで様々な分野の翻訳を手掛けながら、同校の総合翻訳基礎科の講師を務めている。
第15回:翻訳不可能論!?
実際に翻訳作業を行っていると、「この原文で言わんとする『ニュアンス』は理解できるんだけど、どうにもこうにもしっくり来る訳が見当たらない・・・」と訳出に苦労するケースが少なからず存在します。ただただ訳す人間の理解力・表現力その他の力量が足りないといった状況が大きく影響する場合も多いのでしょうが、そういったことを考慮に入れず、客観的に見て、そもそも異なる言語間で100%正しい翻訳というものは可能なのでしょうか?この、理論上100%正確な翻訳というものに疑問を呈しているのが翻訳不可能論と呼ばれる説で、各言語、構造その他が全く異なる以上、全く同じ形で完璧に訳し換えることは不可能としています。
確かに、理論的に100%正しい訳出というのは、判断の仕方にもよりますが、難しいとしても、「不可能」ではないと個人的には思いますし、結局は訳す側の細やかなケアや努力によって十分可能にできると思います。その上で必要となるのが、原文の背景をしっかりとらえ、筆者の展開する世界にどっぷり浸かって、誰に向けて何を伝えようとしているのかなど筆者の考え・意図を正確に把握すること。その全体像が正確にイメージできれば、あとは細部にわたり多少マニアックな処理・展開をまじえながら自然な訳文を作成することでニュアンスは限りなく完璧に近く再現できるはずなのです。
筆者がストーリー性を大事に、リズミカルに文を展開して何らかのメッセージを伝えているのか、または事実を淡々とレポートするスタイルを取っているのかなど、文章のタイプによっても訳出の温度は微妙に異なります。例えば、小説の中に、ある国(またはある地域)特有の指示物、例えばデパートやスーパーなどの名前が出て来たとします。それが米国のニーマン・マーカスであれば、米国人や、その背景が分かっている人は、この超高級デパートの名前があえて使用されている意味を考え、それがウォルマートであれば、庶民的なイメージを強調していることが分かりますが、それぞれ高級であること、庶民的であることを良くとらえているのか悪くとらえているのかは前後の文脈によることになります。ここで問題となるのは、例えばニーマン・マーカスについては、日本語でカタカナをあてても、日本では必ずしも知名度が高い訳ではないため、上記のようなイメージが全く湧かない日本人が多いかもしれないと言うことです。その場合、説明書きを加えるのか、または日本の似たような位置付けのデパートを引き合いに出すのか・・・状況に応じて処理に工夫が必要ですよね。筆者もしくはストーリー内の登場人物などが何らかの冗談めいた言及をしている際も同様です。日本人には通じないような冗談であれば日本流にアレンジしてでもその意味を正確に伝えることが必要なのか、それともここではユーモアを取り入れた雰囲気が伝われば良いだけなのか、判断が必要な場合があるのです。
先程、筆者と一体化出来たら、「多少マニアックな処理・展開をまじえながら自然な訳文を作成する」必要も出て来ると申し上げましたが、この「マニアック」とは、勝手に原文の意味を変えることなく上手い訳語をひねり出すテクニックについての描写です。その一例が、授業でもよく取り上げる「品詞の変換」という技術です。原文の品詞そのままに訳すとぎこちない訳になってしまう場合に、意味を変えず品詞を変えて訳しほどくというもので、potentialという形容詞を例に挙げて見てみると、例えば “come upon a situation that has a potential cause for concern”を訳す際、直訳すると「潜在的な心配の原因を持つ状況に出くわす」となりますが、少々カタイですし分かりにくいですよね。そこで、potentialを形容詞として訳そうと意固地にならず(笑)意味はそのままに述部に持って来て「懸念材料となり得る(中立的)/ なる恐れのある(ネガティブイメージ)状況に出くわす」などとすると自然でなめらかな訳となります。このpotentialは文脈によって訳し分けが必要な典型例と言えますが、訳出に細かい配慮を施すさまざまな工夫をマスターすることで、「不可能」を「可能」にし、臨機応変に正しい訳出をコンスタントに行う力というものが翻訳者に求められているのだと思います。結局・・・日々勉強です(笑)。