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プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
山口朋子先生のコラム 『"翻訳"は一日にしてならず --- 一翻訳者となって思うこと』 慶應義塾大学法学部法律学科卒業。外資系メーカー勤務を経た後、フレグランス業界へと活動の場を移し、マーケティング他業務に携わる。その後、米国カリフォルニア州立大学大学院にてTESOL(英語教育法) 修士号を取得。日本帰国後、アイ・エス・エス・インスティテュート英語翻訳者養成コースを経て実務翻訳の道へ。現在は、医療・美容業界関連、その他雑誌・ホームページ記事やエッセイなどの分野から、会社規約・契約、研修マニュアル、取扱説明書、財務レポート他各種報告書などのビジネス文書等に至るまで様々な分野の翻訳を手掛けながら、同校の総合翻訳基礎科の講師を務めている。
第19回:生きた表現 -「新語」にからめて
アメリカで大学院に通っている頃、ちょうど日本では「変な日本語」が話題になっていました。例えば、一時帰国の際にたまたまテレビでその是非について取り上げられていたのが、店員さんのお客さんに対する「○○でよろしかったでしょうか?」という奇妙な問いかけ。ドラマの中で、若い女の子が初対面で気に入った男の子に向かって甘ったるい声で言う「私って~、すっごく恥ずかしがり屋じゃないですかぁ~」という、思わず「そんな、初めて会ったあなたのことなんて知らないよ!」と突っ込んでしまいそうなセリフ。何だか衝撃を受けつつ、同時に、こういった言い方って今日本では普通なの?何でそうなっちゃってるの?と興味を覚えたのも事実です。
どのような言語でも、その時々の世相を反映して新しく作られたり、外国語から取り入れられてそのまま、または独自にアレンジが加えられて使われるようになったりした新語と呼ばれる語や表現が次々と誕生しています。先程私が衝撃を受けたと申し上げた表現のいくつかも、その一種だと言えます。こうした新語というものは、私が挙げた例は勿論その時の日本の流行や世の中の状態、日本人の性質・考え方などを背景に生まれたものですが、英語が母国語の国でも同様のことが起きている訳で、これがすなわち最新の生きた表現を示すもの、それらが生まれるもととなったトレンドをも表すものと考えられます。このような事実に興味を抱き、実は米国の大学院時代、英語との比較を踏まえながらこの日本語の新語について論文を作成したことがありました。
その際に取り上げた表現は多々ありましたが、例えば、既にお伝えした「~でよろしかったでしょうか?」などのおかしな過去形表現、「私って~じゃないですか」という押し付け表現、そして「○○円からのお預かりでしたので、××円のお返しになります」といった奇妙な言葉の使い方などの例が挙げられます。色々調査を重ねていくと、今までにない表現、言葉の使われ方の大部分は、接客(や人との対話)などのシチュエーションで生まれており、その背景には丁寧語や尊敬語を正しく使わなければ!という意識が存在し、そこから少々ゆがんだ解釈と用法が生み出された、と考えられることが分かりました。分かりやすい例は、上記のおかしな過去表現。英語でも例えばCan you … ? と問いかけるよりも、canの過去形を用いることでいわゆるsocial distance (社会的距離、社会の中での対人距離)を出し、Could you … ? と尋ねる方が「丁寧さ」が増すという事例をご存知かと思いますが、日本語でも、一部の地域では電話に出る時に「山田でした」と応答するなど、social distance が何気なく示されている例もあるらしく、同様の考え方が非常に独自の形で取り入れられ、日本語としては不自然な文章となるものの、これが一種の「新しい丁寧表現」として定着してしまった、とも考えられるのです。「~になります」も、レストランの店員が注文の品を運んできて目の前に置く際に「ご注文のオムライスになります」と言ったなら、「は?今からオムライスになるの?変わるの?」と突っ込みたくなりますが、単に「オムライスです」と言い切ってしまうだけでは心もとなく「になります」を付けて少し距離を保つ=丁寧な表現(と考える)という図式が一部に見られるようです。「私って・・・」の例も、これには色々な解釈が考えられるのですが、一つには、客観的事実として「皆知ってること」のように図々しくも扱ってしまうことで(笑)年上の人も含め、丁寧に伝えているようで実は強引に理解を押し付ける、といった形とも取れるのです。相手を尊敬し、言葉遣いは丁寧なようで実際にはそうではない、という変形バージョンとでも言いましょうか。
「ヤバい」という言葉が、本来の「良くない・まずい状況に陥っている」という意味の他に、特に若者たちの間で「予想外の事態に直面して衝撃を受ける、素晴らしいと感じる」といった意味で使用されるようになったのも結構前からですよね。これは、英語でも例えばsick が本来の「病気の」などの意味以外に「めちゃくちゃすごい、非常に良い」といった逆の意味で使われるようになっているのと似ています。
固有名詞では、例えば昔「フィッシング詐欺」という言葉が聞かれるようになった頃、「ん?魚釣り関連の詐欺?」などとアホなことをまず思い浮かべてしまった私ですが(笑)これは、企業と偽ってメールを送り、受け取った人からその個人情報を入手する詐欺の事で、phishing scam (いわゆるsophisticated [洗練された] やり方で、ターゲットから情報をfishing [釣る] という所から来ている造語)などと表されます。いまや悪い意味でお馴染みとなり、いまだに消えてなくならない「オレオレ詐欺」も “bank transfer scam ”、または “Hey-it’s-me ” scam などと表されるようになり、定着してきましたが、当時はなるほどなあ、と思ったものです。
「生きた表現」はその国々、土地土地で異なる生まれ方、進化を見せるものですが、意外に共通点があったりもするものです。常に頭を丸く柔軟なものの考え方を心掛け、そして常にさまざまな情報を的確に取り入れるべくアンテナを張り巡らせる意識を持ち、表現の引き出しをどんどん増やしていきたいものです。