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プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
和田泰治先生のコラム 『通訳歳時記』 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。
第9回:神無月
<草につけ木につけかなし神無月 (如行)>
10月になりました。秋は一番好きな季節です。やわらかな秋晴れの日差しの中で澄みきった大気が心地良い。過ぎ去った夏の余韻を懐かしみながら、忍び寄る冬の足音に身を引き締める季節。物のあわれは秋こそまされ。天高く馬肥ゆる秋。女心と秋の空…………。
そんな秋もまた、今年はやはりコロナが毎日の生活を覆いつくすかのようです。日本における新型コロナウイルスの新規感染者数はこれまでのピークからは下回るものの、とても安心できる水準ではありません。欧米では今年初めを思い起こさせるような勢いで感染が急増しつつあり、国によってはまたまたあの悪夢のような全面的都市封鎖の再現さえ議論されていると聞きます。
日本は新政権の誕生が世間を賑わし、観光推進、外食推進、イベント拡大、入国制限の緩和、そしてその先にはオリンピック、パラリンピックの開催という前のめりとも思えるような路線が敷かれつつあるように感じます。
さて、今月は先月に引き続き繁忙期の秋シーズンにつきものの、日頃は経験できない珍しい通訳の仕事についてお話してみたいと思います。
珍しいといっても、いつもはITなどを中心に一般的なビジネスの通訳ばかりをしている身にとって珍しいということであって、どんな分野にもその道を専門にする通訳者の方々がいらっしゃいます。そうした皆さんにとってはごくごく日常的な通訳であっても、数年に一度というような身にとっては刺激的な経験です。
所謂エンターテインメント系の仕事はこの部類に入ります。音楽、映画、舞台、スポーツ関係などですが、こういった筋に強い通訳エージェントとも付き合いが無く、秋の繁忙期にめぐりめぐってご依頼頂くことがたまにある程度です。
以前に初めて映画祭の仕事の依頼が入った時は、たまたま予定されていた通訳者の方が別の仕事で対応出来なくなり、直前で依頼を受けました。映画祭に参加する映画監督2名のメディアインタビューがそれぞれ数本づつという内容でした。当日会場で参加作品の上映を視聴したうえで本番という流れでしたが、一番心配したのは作品のタイトルで、原題と邦題のペアを調べて準備しておきました。二人の監督のバイオグラフィーも調べてメモにまとめておきました。
事前に注意されたのは、「ビジネス系の通訳者は精度にこだわって、場の雰囲気が堅くなる。記者と監督との間のリラックスした雰囲気づくりにも気を配るように」ということでした。映画祭は初めてでしたが、製作者や出演者、配給会社、劇場、メディアなどの関係者が一体となって作る独特なコミュニティの世界だなと感じました。
インタビュー自体は全てつつがなく終了しました。事前の注意事項は一切無視し、いつもやっている通りに通訳しました。後日、この時の映画監督さんが再来日した際にあらためて通訳の依頼がありましたので、取り敢えず問題なかったのだと思います。
格闘技イベント関連の通訳も何度か経験させて頂きました。最初はブラジリアン柔術の伝説の格闘家ヒクソン・グレイシー氏の子息であるクロン・グレイシー選手の日本でのデビュー戦発表の記者会見の通訳でした。格闘技は好きなので楽しく通訳ができました。
総合格闘技団体のUFCが日本大会を開催した時には大会終了後の記者会見が同時通訳で行われ、依頼を受けました。格闘技は好きでも選手が何を話すか全く見当がつかず、前日にYouTubeで過去の発言を聞いて準備しました。いつものビジネス関係の記者発表ではないので話し方も含めて、いざ現場で何か発言された時にどのくらい聴き取れるか甚だ不安なまま当日を迎えましたが、UFC側手配のパートナーの通訳者の方が気を使って各試合の結果と経過などを事前にブリーフィングしてくださったので大変助かりました。
また、UFCの同時通訳は、時間交替ではなく、日英、英日で分担するという仕切りになっていたのですが、「和田さん慣れてないと思うから好きなほうを選んで下さい」と言って頂き、お言葉に甘えて日英を担当させて頂きました。
スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定に関する通訳も自分にとってはかなり特殊な部類に入るものでした。裁判と同じですので、事前準備と打ち合わせは資料も含めて相当な量になりましたが、アスリートの人生が掛かっているという張り詰めた緊張感はそれまで経験したことのないものでした。反対尋問で、通訳した言葉尻を追求されたことと、休憩で部屋の外へ出た時にメディアの記者とカメラマンが犇めき合っているのを見て驚いたことを今でもよく覚えています。
そして最後に、これは恐らく二度と無いのではないかという通訳の経験です。詳細はお話できませんが、某容疑で逮捕された外国人の被疑者と弁護士の先生との接見の通訳の依頼を受けました。これも秋の繁忙期のことでしたが、数日間にわたって寒い中毎晩警察署に通ったことが思い起こされます。
当然のことながら接見の事前予約などはできないので、被疑者が検察から戻って来そうな時間から延々と警察署の受付で待たねばなりません。接見室は限られているので、たまたま別の容疑者が接見中の場合は、これも無制限に待機することになります。この仕事もまた、被疑者の人生が掛かっているという重大な使命感を背負いながらの通訳で、初日は帰宅後に心底ぐったりした記憶があります。
四半世紀も通訳を生業としていますと、いろいろな経験ができるものだとつくづく思います。これ以外にも「●●●●●」とか、なんと「△△△△△」とか、はたまた「◆◆◆◆◆」の通訳も経験してきましたが、残念ながら公に書くのは憚られる内容も含みますので、ここでは割愛させて頂きます。ご興味のある方は授業の時にでもこっそりご質問下さい。
秋の繁忙期というのは、毎年こうした日常ではなかなか機会のない仕事と出会える貴重な季節でもあるのですが、今年は残念ながら在宅で静かに過ごす毎日です。また「こんな通訳があるの!?」と目を丸くするような経験の出来る日が来ることを心より願いつつ。
それではごきげんよう。また来月。