ホーム  >  Tips/コラム:プロ通訳者・翻訳者コラム  >  和田泰治先生のコラム 第10回:霜月

Tips/コラム

Tips/コラム

USEFUL INFO

プロ通訳者・翻訳者コラム

気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。

和田泰治先生のコラム 『通訳歳時記』 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

第10回:霜月

<霜月の沼ひとつある山の中(飯田龍太)>

 

10月の仕事は18案件で約8割が在宅での通訳でした。クライアントもエージェントも、そして我々通訳者も、この半年余りで様々なリモート環境、在宅環境での通訳に慣れてきた感があります。生活様式も含めてニューノーマルが定着しつつあるように感じます。

 

オンライン会議用のツールも数種ありますが、どれも比較的同じようなインターフェースを採用しているのでそれほど迷うことはありませんし、回線もブロードバンドが一般化しており、これまで大きなトラブルに見舞われたことはありません。画質、音質も通訳に支障が出るほどではなく充分です。

  

今後はまだまだ不透明です。新型コロナウイルスの感染は世界レベルでは落ち着く気配がありません。つい先日もスペインで再びロックダウンするとの報道もありました。日本政府はオリンピック・パラリンピックを見据えてか、外国人渡航者の入国制限の緩和に積極的な姿勢のようですが、ワクチンの一般化もまだまだ先のようですし、これから寒さ厳しき冬を迎えるという季節要因もあり、通訳の仕事がコロナ以前の状況に戻るのはまだまだ先のことでしょう。

 

さて、スマートフォンのカレンダーアプリを眺めて昨年のこの時期に依頼を受けた通訳をいろいろ振り返っていると、それまでもう何年もご無沙汰していた珍しい案件が目に留まりました。フォーカス・グループ・インタビューの通訳です。今月はこれをテーマにしたいと思います。実はフォーカスグループの通訳はなかなか語るに深い要素を持っているのです。

 

フォーカスグループというのはマーケティングリサーチや社会調査で用いられる手法で、ある特定のテーマについて、5~7人くらいの対象者を集め、モデレーターが質問などをしながら進行してゆきます。通常は1時間30分から2時間のセッションです。

 

例えば、スマートフォンがテーマでしたら、まずは現在使っているスマートフォンのモデルと利用年数、インストールしているアプリ、よく利用するアプリとその利用頻度などを質問し、それからスマートフォンを選択する際に重視する要素とその優先順位・・・・・という感じで進行してゆきます。新製品のコンセプト開発が目的の場合には、徹底的に「理想のスマホ」を突き詰めてゆくかもしれませんし、既に試作品がある場合には実際に消費者にさわって貰い感想を述べてもらうのがメインになるでしょう。また、複数広告表現の候補があって、その絞り込みのためにフォーカスグループを実施する場合は、それぞれのクリエイティブ案を順番に見せて感想を聞くという感じになるかもしれません。

 

外資系の企業が好きなのが所謂「投影法」と言われる手法です。例えば、無作為に集めた写真や言葉の中からブランドイメージに合うものを選択してコラージュを作成させたり、ブランドや製品を擬人化させて、「このウイスキーが人間だとしたら、どんな性格の人だと思いますか?職業は何でしょう?どんな服を着ていますか?」と質問して直接言葉では表せない心理を表出させようとするものです。マンガで対話している一方の登場人物の吹き出しが空欄になっていて「この人のセリフを入れて下さい」というものなど手法は数多くあります。

 

そしてこのフォーカスグループを、関係者(つまり市場調査会社のリサーチャーや企業のマーケティング担当者や広告会社の担当者など)がモニターするわけですが、この中に外国人の方がいる場合には同時通訳が手配されます。

 

実は今回このフォーカスグループを取り上げた理由の一つは、私自身が通訳を生業とする10年近く前に、マーケティングリサーチ会社と広告会社のマーケティングの部署で実際にフォーカスグループの企画、実施、分析、報告などに直接携わっていた経験があるからです。当時はまだ20代後半から30代、今から遡ること30有余年も前のことです。対象者のリクルートから、ディスカッションガイドの作成、モデレーターとの打ち合わせ、そして必要な場合には同時通訳者の手配もしていました。

 

その当時は、よもや10年経って自分が通訳をしているとは夢にも思っていませんでした。当時通訳して頂いた方の中に時々現場でご一緒する方もいらっしゃいます。躓く石も縁の端。

 

さて、製薬会社や医療機器の会社が医師を対象者として実施するようなものを除いて、対象者は基本的に一般の消費者なので、質問も含めて高度に専門的な内容になることはほとんどありません。ただし注意点がいくつかあります。

 

① 同時通訳の設備に限界がある

グループインタビュールームにはセッションを録画、録音する機材が設置されており、モニタールームには一応同時通訳設備と称する仕組みはありますが、機材の性能はあまり高くありません。マイクで拾った音声は総じて非常に音質が悪く、通常の同時通訳システムとは全く違います。覚悟しておかないと相当ストレスが溜まります。

 

② 求められる通訳の質が違う

特に商品、サービスのコンセプト開発や、広告のクリエイティブに対する反応を調査するような場合、マーケターにとって、フォーカスグループで知りたいのは消費者が発言する生の「キーワード」そのものだけというケースが多いと言えます。「華やか」、「地味」、「渋い」、「さわやか」、「子供っぽい」、「暗い」、「ぼんやり」、「眩しい」、「暑苦しい」・・・・・・そんな表層的な言葉自体をしっかり、正確に訳出することが最も大切です。レベルの高い通訳者の方が、高尚でエレガントな言い回しで言い換えてしまったりすると苦情になりかねません。実際に、相当なレベルの大御所の通訳者の方に苦情が入ったという話は何度か聞きました。ある意味特殊な通訳です。

 

③ 対象者からネガティブな発言が連発されたら・・・・

クリエイティブやコンセプトに対する対象者の評価が極端に低かったりすると、通訳者のせいにされることが多々あります。モニターしているクライアントが中立なリサーチャーの場合はこの限りではありませんが、提示物の制作に直接かかわったクリエイターやマーケターは、目の前で自分のアイデアをボロクソ言われたらさすがに気持ちのいいものではないでしょう。マーケティングリサーチ会社の社員として携わった経験の中でも何度かありました。「ポジティブな意見もたくさんあったのに通訳が訳さなかった」、「あんなに酷い言い方はしていない」、「通訳の英語がヘタで対象者の発言が正確に訳されていない」・・・・等々、いろいろ耳にしてきました。ただ通訳者としては、だからどうだということは一切ありません。ボロクソの評価がでたら、誠心誠意、全力でズタボロの評価として通訳するだけです。

 

今月は以上です。

 

来月はいよいよ師走です。この連載を始めた年初には、よもや今年がこんな一年になるとは夢にも思いませんでした。次回は、例年と比較して通訳者としての仕事量や生活様式がどのくらい、どのように変わったのかを総括してみたいと思います。

 

それでは皆さんごきげんよう。

Copyright(C) ISS, INC. All Rights Reserved.