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石黒弓美子先生のコラム 会議通訳・NHK放送通訳者
USC(南カリフォルニア大学)米語音声学特別講座終了。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)言語学科卒業。ISS同時通訳コース卒業。國學院大學修士号取得(宗教学)。NHK-Gmedia国際研修室講師・コーディネーター。東京外国語大学等で非常勤講師。発音矯正にも力を入れつつ通訳者の養成に携わる。共著:『放送通訳の世界』(アルク)、『改訂新版通訳教本 英語通訳への道』(大修館書店)、『英語リスニング・クリニック』『最強の英語リスニング・ドリル』『英語スピーキング・クリニック』(以上 研究社)など。

第13回:七転び八起き ~Difficult child 難しい子!? 多様性の一つ?~

明けましておめでとうございます。A Very Happy New Year to you all!

新年のあいさつの言葉も、ふと考えると、日本語ではなぜ「明けましておめでとう」なのかしらと思います。英語の挨拶は、「(新年も)よい年でありますように」という祈りの言葉ですから、挨拶としてはよくわかる気がしますが、日本語は「新しい年が来たことをお祝いする」というわけです。昔は、日本人の寿命もこれほど長くはなく、新しい年を迎えることができるのは、祝うべきことだったのでしょう。また、歳神様を迎えるということでもあり、神様の祝福の到来を祝ったのでしょう。異文化に接していると、挨拶一つにも、文化や考え方の違いが反映されていて興味深く、教えられることが少なくありません。

冒頭のdifficult childもその一つでした。我が家では、お正月にはできるだけ親族が集まる事にしています。母が私と同居をしていたこともあり、集合は母のもと、つまり私の家です。家族といえども、それぞれが大人になり独立すると、皆が集まるのはだんだんと難しくなってきますが、「家族の絆は、ときどき無理をしても集まることで維持される」というのが母の信念でしたから、昨年9月に母は逝きましたが、今年も我が家に全員集合です。

昨年の正月は、3代ならぬ4代目も加わりました。4代目は私の孫二人に、甥っ子の息子です。私の孫は、当時2歳児と2カ月児の2人、甥っ子の子どもは1歳になったばかりでした。この子がまた、大変な泣き虫です。男の子なのに、何か気に入らないことがあると、泣き出します。まだことばがしゃべれないので、意思の疎通ができないからなのか、とにかく泣きやみません。一度泣き出すと、1時間でも2時間でも泣いているので、両親はもちろん、周りの大人はお手上げです。

翻って、2歳のわが孫は、ほとんど、まったく泣きません。1歳の時もそうでした。この子が泣く時には明白な理由があます。寝起きとおなかがすいている時くらいで、おなかがいっぱいになれば、ハッピーボーイにすぐ戻ります。当然、両親もほとんど声を荒げることはありません。こうなると人はついつい比較をしたくなるものです。甥っ子の父親、それは、私の弟なのですが、自分の孫の様子にあきれ果てた顔を隠しません。その顔には「嫁の育て方が悪い」と書いてあるようです。私の脳裏にも、ちょっとばかし、「いつもどんな育て方をしているのかしら」などという思いがよぎります。

すると、カリフォルニアから帰国していた妹が言いました。「こういう子がいるのよね。Difficult childよ。親は大変なのよねえ。保育園にもいるのよぉ。」彼女が言うのは、これは、親のしつけのせいではなく、子どもはみんな一人ひとり違うので、育てやすい子easy childもいれば、育てにくい子difficult childもいるのだということでした。彼女は、カリフォルニアで、保育園まで併設する日本語学校の園長をしていますから、日々たくさんの子どもに接しています。その彼女のことばに、その場の雰囲気ががらりと変わりました。

「そうかあ、親のしつけのせいじゃないんだぁ」という思いが蔓延し、子どもが泣きやまないことで右往左往し、責任を感じているような様子だった甥っ子の嫁さんは、理解者を得て、うれしそうな顔をしています。舅の嫁を見る目も、「育てにくい子で、大変なんだ」という同情と感謝の顔に変わりました。子育ての持論が喉まで出かかっていた私自身も、自分の固定観念でしか人を見ていなかった狭い視野を反省したり、多様な子どもの存在を認めるアメリカ式の幼児教育を学んだ妹を頼もしく思ったりしました。
これこそが、多様性 diversityの尊重とは何かの理解だなと思いました。1992年5月にケニアのナイロビで採択された生物多様性条約 Convention on Biodiversityで謳われた生物の多様性から価値観の多様性 diverse valuesまで、今では様々なところで多様性の尊重が謳われています。しかし、頭ではわかっていても、本当にその重要性を理解するのは、まさにIt’s easy to say but difficult to do.(言うは易し、行うは難し)です。ついつい自分の狭い了見で人を判断してしまうなあと思い知らされました。
アメリカに留学中、当時のボーイフレンドにも“Don’t judge me. Take me as I am.”(僕のことを自分の価値観で批判しないで。僕は僕としてそのまま受け入れて)と言われたことがあったのを思い出します。アメリカ人だって、人を自分の価値観で判断する人が少なくないからこそ、”Don’t judge me.”という表現があり、今でも人種差別など、厳として残っている現実があるのですが、多様な価値観を認めるべきだとの意識はあるわけです。「人は皆同じ」という考えが当たり前だった当時の日本人にはない意識だなと思ったものです。

通訳になってからは、多様な国の人々に会い、多様性の重要さを理解していたつもりでした。例えば、通訳になりたての頃、ちょうど日本の景気はすこぶる良く、”Japan as No.1”などともてはやされていたころで、極めて協調的な日本の労使関係amicable labor relationsや、日本式経営Japanese style managementを学びに、いろいろな国からビジネスマンがやってきていました。経団連や日経連に同行して、日本式経営についてのレクチャーを通訳することも少なくありませんでした。ある時インドからやってきたビジネスマンの一行に同行した時のことです。仕事が終わると、御一行から通訳のお礼にとお土産の紅茶をいただきました。日本のように美しい包装紙に包まれているわけでもなく、茶色のただの紙袋に無造作にじかに入れた紅茶でした。私は、失礼なことに「インドからの紅茶???」と思い、持ち帰ったものの、戸棚の奥にしまいこんでほっておきました。

数年後、仕事でインドを尋ねる機会がありました。この時に現地でいただいた紅茶の美味しさに驚いて、あの時のお茶の事を思い出しました。帰国後、戸棚の奥にしまい込んでいた茶袋のお茶をいただきました。そのお茶は、インドでいただいたお茶と同じ味でした。この時も、人を外見やその人の出身国への固定観念で判断してはいけないことを学んだはずでした。戦後の東京裁判で、戦勝国が敗戦国日本を裁くことにひとり異論を唱え、戦犯の無罪を主張したのが、インド人のパール判事であったことも思いだし、巷の風評に惑わされず、しっかり自分の見解を持つことの大切さを思い知ったはずでした。

しかし、ちょっと油断をするとこのざまです。とはいえ、人生は七転び八起き。通訳という仕事ほど日々多様性に触れ、その意味を思い起こすチャンスが度々ある職業も少ないでしょう。新しい年も、心して多様性とは何かに思いを致しつつ、異文化コミュニケーターcross-cultural communicator としての仕事を続けられれば幸いです。

ちなみに、英語では、暮れの「よいお年を!」の挨拶も、同じ、”Happy New Year!”です。今年は、去年より1歳大人になったあのdifficult childが、きっと、ことばも覚えて、happy childになって来ることでしょう。固定観念は変化を認めないところから生じるとも言えます。彼の変化を楽しみにしています。

新年の皆様のご多幸をお祈りします。May you all have another very happy new year!

第18回:大切にしたいことばの力・言語コミュニケーション– Power of words

第17回:遺伝子と文化 Genes and Culture

第16回:聞く人の身になって-「日本人はあらゆるものに神を見る」 We see gods in everything..... with a small letter “g” –

第15回:「読める漢字」 vs 「書ける漢字」 How many Kanji characters can you read? And how many can you write?

第14回:つきない勉強 The more you learn, the more you realized you have more to learn.

第13回:七転び八起き ~Difficult child 難しい子!? 多様性の一つ?~

第12回:「女性が輝く社会 A Society where women shine??」――課題は多いけれど

第11回:「どんなお気持ちでしたか?」 ~How did you feel? What did you think? しか出てこないもどかしさ。

第10回:もう一つの通訳 -本物の「包摂性」とは何か? How much do we really know about inclusiveness?

第9回:英日通訳「言葉に引っかからずに意味を取る」とは

第8回:DLS Dynamic Listening and Speaking 日英通訳力強化のために

第7回:Quick Response Exerciseとlexical approachの勧め ~自動的で速やかな英語のアウトプットのために、単語ではなく句や文でアウトプット~

第6回:順送りの情報処理 Slash reading

第5回:Listening comprehension 本当のところ、どこまで聞取れていますか

第4回:“Inaudible”??? 「聞取り不可能」

第3回:「I started to walk in electronics in 2006???」 母音再確認の勧め

第2回:Who is “’TAni-sensei”? 英語の聞き取りと発音

第1回:背中を押し続けてくれた「継続は力なり!」

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