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プロ通訳者・翻訳者コラム

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成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。

第3回:辞書について

もちろん翻訳者も辞書を引きます。
……といきなり切り出したのは、「翻訳のプロなら辞書なんか引かなくても全部単語は頭の中に入っているんでしょう?」と聞かれるからです。いえ、むしろ学生の頃よりよく引いていると思います。
翻訳者にとって辞書は、料理人にとって包丁のようなもの。ないと仕事になりません。

翻訳者は大辞典を引くのが基本です。昔の翻訳エッセイなどを読んでいると、それがいかに物理的に大変か、その労働を軽減するための工夫がめんめんと書かれていて驚くことがあります。
筋トレと割り切って床からよっこいしょと持ち上げる、取り出しやすいように背表紙をさかさまにして収納してある(90度回転させながら倒すと正しい向きで開くことができる)、下に台車が取り付けてある、軽くなるようアルファベット別に分解してある、辞書引き専用の机がある、などなど。
私にはそこまで執念深い(?)エピソードはありませんが、駆け出し社内翻訳派遣の頃は、フロアに『研究社大英和辞典』や『科学技術45万語辞典』が備え付けてあって、出社したらまずその巨大辞典を自分の机に持ってくるのが仕事でした。かなり重かったです。また巨大な辞書はめくるのも重労働でした。

21世紀の英日翻訳者は、こうした大辞典をパソコンで引きます。
ほとんどの大辞典や専門用語辞典ははCD-ROMになっていますので、そういった辞書を何冊もパソコンにインストールします。その上で、その辞書を引くための専用ソフト「jamming」をインストールすると、一つの画面で複数の辞書を同時に引くことができます。これが翻訳者の基本ツールです。
なにしろ数冊の大辞典を同時に引いているので、エンターキーひとつで1単語につき数百のエントリーが出てくることも珍しくありません。そのうえインターネットという巨大な百科事典が背後に控えています。こうした膨大な情報量に瞬時にアクセスしながら仕事しているのが現代の翻訳者です。書斎で泰然と仕事をする昔ながらの翻訳家のイメージとはだいぶ異なるかもしれません。

インターネットを辞書代わりに使う話は別の機会に譲ることにして、今回はいわゆる従来型の辞書を紹介したいと思います。

☆ ☆ ☆

まずは、私が学習者だった頃に言われた、辞書に関するアドバイスから。

①辞書は「カネで買える実力」である。
ISSの初回の授業で言われた言葉。
「実力がないなら、せめて辞書だけはちゃんとしたものを使いなさい」という文脈だったと思います。

②「翻訳者の3フィートルール」。
すなわち、3フィート以内(90cm、手を伸ばせば届く範囲)に辞書のないところで翻訳を行ってはならない。
そのくらい、こまめに辞書を引きましょうということです。

③翻訳者としての最初の数回の収入は、全部辞書代につぎ込むくらいの姿勢が必要だ。
経験上、これは真実だと思います。駆け出しの頃、そして駆け出しでなくなっても新しい分野を手がける時は、辞書代が翻訳料を上回ることもあります。「そこまでするの?!」と思う人もいると思いますが……しかし、たとえそこまでして、その辞書で役に立った単語が2~3語だったとしても、それによって実は文章全体の訳質が向上するものです。
また、「そこまでするの?!」ということであっても、それをしないと気が済まないという妥協のなさが、次の仕事を得るための条件といえます。

④翻訳者の収入の2割から3割は辞書や参考図書代に消える。
これは収入によると思いますが、扶養控除の範囲を出ていない場合、必要と思った本や辞書をすべて買えば、5割を超えることもあるかもしれません。

☆ ☆ ☆

次に、翻訳者が使う基本的な辞書を紹介します。
仕事であれ勉強であれ、これから実務翻訳を始めるという人は、まず下記をそろえるのがおすすめです。
フリーランスの場合、最終的にはCD-ROM版で持つことになると思います。しかし初期投資額が電子辞書の2~3倍にもなってしまいますので、まずは以下が搭載されている電子辞書を購入し、折をみてCD-ROMに乗り換えるとよいでしょう。
また、社内翻訳者の場合は会社のパソコンに無断でソフトウェアをダウンロードできない場合が大半だと思いますので、やはり以下が搭載されている電子辞書を購入することになるかと思います。

■翻訳用の辞書
・『ランダムハウス英語辞典』(1985、講談社)
日本を代表する大英和辞典。収録語数36万語。
訳語がこなれている点、イディオムが多数収録されている点から、翻訳者のホームグラウンド的な一冊。
また、CD-ROM版は逆引、つまり和英辞典としても使うことができます。初めて使ってみたときはものすごい感動でした。

・『リーダース英和辞典』(1999、研究社)
上級者向け電子辞書に最も多く搭載されている辞書で、補遺といえる「リーダース・プラス」と合わせると収録語数は45万語。ランダムハウスと並ぶホームグラウンド的な一冊。

・『ビジネス技術実用英語辞典』(2002、日外アソシエーツ)
翻訳業界では「海野さんの辞書」という別名で知られる辞典。技術翻訳者の海野夫妻が「リーダース」を補うことを目的に実務翻訳の訳語を集めて作ったという経緯からもわかるように、とにかく訳語がぴったり決まります!! この辞書を知らない翻訳者はもぐりといっても過言ではありません。

・『研究社大和英辞典』(研究社、2004)
紙版の背表紙が緑色だったことからThe Green Goddessとも呼ばれる、日本英語界最大の和英辞典。これまで和英中辞典しか引いたことのない人は、収録語数の多さに驚くことでしょう。日英翻訳を手がけたい人は必ず持っていたい一冊。

・『ロングマン現代英英辞典』(桐原書店、2008)
翻訳では英英辞典も意外と役立ちます。特に基本語の訳語がしっくりこないときは、英英の説明がヒントになることが少なくありません。英英は上記とOxford Advanced Learners Dictionary、Collins Cobuildの三つどもえなので、買おうと思った時点で最新のもの、あるいは相性で選ぶとよいでしょう。ロングマンは例文まで音声つきなので、私はひまな時に見よう見まねのシャドウイングの練習に使っています(翻訳のスピードアップのため)。

上記を電子辞書で買う場合は、どの辞書が入っているか、よく確認することをおすすめします。ボタンに書いてある文字だけで判断しないことが大事です。また、あまりに小さいと使いづらいので、店頭でいくつか単語を引いてみて、キーが押しやすいかどうかも確認するとよいと思います。それと少しでも画面が大きいほうが使いやすいはずです。

電子辞書はどんどん新しい機種が出ており、搭載辞書も変化しています。
2009年2月現在は、「リーダース+海野さん+研究社大和英+Oxford Advanced Learners」が組み合わされている電子辞書があるようです。
また分野によっては、下記に紹介する専門辞典が入っているものを選ぶのもいいかもしれません。

実は私自身は、今は電子辞書は使っておらず、パソコンか紙かのどちらかしか使っていません。
小さめのノートパソコンを持っていて、そこに上記の辞書をすべてインストールしてあります。
最大の理由は、電子辞書だと画面が小さすぎて引きにくいからなのですが、加えてパソコンだと以下のようなプラスアルファの辞書を自由に組み合わせられるのがメリットです。

■プラスアルファの辞典

・『科学技術45万語対訳辞典』(日外アソシエーツ)
その名の通り、科学技術関連の用語ばかりを45万語も集めた辞典。基本的に訳語だけで、内容説明や用例はありません。まずこれで引いてから、その訳語が一般的かどうかインターネットで調べるという手順で使っています。

・『CD-専門用語対訳集 ビジネス・法律16万語』(日外アソシエーツ)
上記と同じ出版社の、ビジネスと契約書用語ばかりを16万語収録した辞典。契約用語は菊地義明『契約・法律用語英和辞典(初版)』が収録されています。

・『ステッドマン医学大辞典』(メジカルビュー)
医学用語辞典の代表格。医学用語は純粋な医薬翻訳だけでなく、バイオ・化学などの周辺分野にも登場するので、医薬翻訳者でなくても意外と重宝します。医薬はお金の回る分野だからか、この辞書は5年に1回とかなりのハイペースで改訂が続いています。

(なお、カッコ内はこれらの辞書の紙版の出版社で、電子版は複数の会社から出ています。ご購入の際はお使いのパソコンに搭載可能かよくご確認ください。)

☆ ☆ ☆

思い返すと、辞書のステップアップは、いつも翻訳者的ステップアップとともにありました。
初めて電子辞書を買ったのは97年、ISSに入学したときでした。まだ電子辞書が出始めたばかりの頃で、お弁当箱のようにごろんと大きく、今よりロースペックなのに高価でしたが、持っているだけで仕事に一歩近づいたような気がしたものでした(実は重大な落とし穴があることを数年後に知るのですが、その話は次回に)。
一度通訳クラスの中をのぞいてみると、全員のブースの前に「どうよ?!」と言わんばかりに電子辞書が鎮座しており、「やる気のある人はもうみんな電子辞書なんだな~」と思った記憶があります。修理しながら4~5年は使いました。

次の転機は2001年、フリーランスになったのを機に、ランダムハウスのCD-ROMを購入したときでした。
パソコンで引くと、画面が大きいので一度にたくさんの情報を見ることができ、より高い視点から訳語を決めることができます。その視野の広がり方はかなり感動的でした。
しかも和英も引ける! 速い! 訳語もきれい!!
2~3日はただひたすらいろんな単語を引いて感動し続け、「読者カード」まで出してしまいました。それまでの旧式電子辞書とは、果物ナイフと包丁くらいの違いがありました。

そして翌年、串刺し検索(複数辞書の一括検索)ソフトのjammingを導入。
jammingで初めて串刺し検索の結果を見たときは、思わず叫んでました。視野の広がりがまったく違うのです。
それまで壁の節穴からむこうの景色をのぞいていたのが、突然その壁が倒れて360度景色が見えた、というくらいの違いがあります。導入してしばらくは「あ~この単語ってこういう解釈も可能なんだ…」と創造的破壊に酔いしれました。以来、jammingのないパソコンで翻訳をしたことは一日たりともありません。

・・・すみません、辞書の話になるとつい熱くなってしまいます。

☆ ☆ ☆

ところで、翻訳学習を始めたばかりの人(あるいはすでに仕事をしている人のなかにも)、辞書はオンラインの無料辞典で済ませている人は少なくないと思います。
個人的には、オンライン辞書だけで翻訳をするのは、人から借りた道具で仕事をするような感じがします。一回二回の急場しのぎならなんとかなるかもしれませんが、長期に見ると訳した内容が自分のものになることは決してないでしょう。
それに辞書がタダで手に入るからといってそこにお金を出さないのは、めぐりめぐって自分の訳も安く買い叩かれることにつながる気がします。
翻訳者として長く仕事をしたいなら、きちんとした辞書を使って、きちんとした訳をすべきだと思います。そのためにも、辞書代をケチってはいけません。

さて、ここまで電子辞書の話ばかりしてきましたが、特に四十代以上の方々にとっては、「電子辞書もいいけど昔ながらの紙の辞書も捨てがたいのよね」という方、結構いらっしゃるのではないでしょうか。
前述の通り、私は辞書は紙とパソコンに特化しており、紙の辞書についてはパソコンの辞書以上に熱く語れます(笑)。が、あまりに熱い文章が続くのもなんですので、この件については、次回改めてご紹介したいと思います。

第35回(最終回):翻訳は何に例えられるか?

第34回:Stay hungry, stay foolishの訳は「ハングリーであれ、愚かであれ」なのか?

第33回:ISS翻訳カフェ:社内翻訳者座談会より

第32回:8/25開催「仕事につながるキャリアパスセミナー~受講生からプロへの道~」より

第31回:翻訳は男子一生の仕事となりし乎?

第30回:フリーランス翻訳者、PTA役員になる

第29回:翻訳者就活Q&A

第28回:「頑張れ」を英語で訳すと?

第27回:アラサーのあなたへ

第26回:ラテン英語入門・後編

第25回:ラテン英語入門・中編

第24回:ラテン英語入門・前編

第23回:海野さんの辞書V5発売!!+セミナー「新たに求められる翻訳者のスキル」(後編)

第22回:セミナー「新たに求められる翻訳者のスキル」(前編)

第21回:愛をこめて引き算をする

第20回:点について、いくつかの点から

第19回:翻訳Hacks!~初めて仕事で翻訳することになった人へ~

第18回:修羅場について(子が熱を出した編)

第17回:初心者に(も)お勧め・英日翻訳の技法本3冊

第16回:英日併記されたデータから、原文のみを一括消去する方法

第15回:翻訳者的・筋トレの方法(新聞の読み方、辞書の読み方)

第14回:原文の何を訳すのか?

第13回:むかし女子学生だった者より

第12回:『ワンランク上の通訳テクニック』連動企画(笑):Q&A特集

第11回:読書、してますか? (無料診断テストつき)

第10回:伝える意志のある言葉~インド英語入門・後編

第9回:インド人もびっくり?! インド英語入門・中編

第8回:Listen until your ears bleed! ~インド英語入門・前編

第7回:翻訳者の時間感覚

第6回:翻訳と文法

第5回:翻訳と受験和訳、二足のわらじ

第4回:辞書について(2)~アナログの効用

第3回:辞書について

第2回:順境のとき、逆境のとき

第1回:はじめまして

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