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成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。

第8回:Listen until your ears bleed! ~インド英語入門・前編

ここ1年ほど、インド英語がマイブームです。
「よりによってなんで?!」という感想が返ってきそうですが…
なにしろインド英語といえば、「早口で何を言っているのかわからない」「発音が聞き取りにくい」など、訳者泣かせとして知られています。

確かにインド英語はものすごく難しいです。私も最初はこてんぱんにやられました。
なのに、いつの間にかまた舞い戻ってきて、進んで頭を抱えている自分がいます。
よく、インドは好きになるととことんハマってしまうと言いますが、インド英語に同じような魔力があるのかもしれません(?)。

また「そもそも、インド英語の難しさって発音にあるのでは?
発音さえクリアすれば、あとは普通の英語なのでは?」
と疑問を持たれる方も多いことでしょう。

しかし、書き言葉という面でも、インド英語は非常に独特な難しさがあるのです。
英日翻訳者にとってインド英語は、アメリカ英語やイギリス英語とは違う言語だと言っていいくらい異なります。

今回は、インド英語を日本語に翻訳する際の難しさについて書いてみたいと思います。

☆ ☆ ☆

私に初めてインド英語の翻訳案件が回ってきたのは、2003年か04年のことでした。
当時は、それがインド英語だということも、そもそもインド英語という独自のカテゴリーがあることも、分かっていませんでした。

内容は、某大手グローバルIT企業の年間計画だったようです。
「ようです」と言うのは、この文章が本っ当~~~に難しく、何を言っているか全く理解できなかったからです。

IT用語も含まれていましたが、そこまで専門的というわけではありません。
構文も理解できます。
でも、とにかく一つひとつの文で言おうとしていることが、まったくと言っていいほど読み取れないのです。
それまでに味わったことのない種類の難しさでした。

この難しさは、てっきりIT業界の言い回しを知らないせいだと思い、
「IT翻訳ってこんなに難しいとは…私にはやっぱりITは無理だ」と、しばらく打ちのめされていました。

☆ ☆ ☆

実務翻訳において「この英文は難しい」という場合、その難しさにはいくつかの種類があります。
ざっと思いつくだけでも、

(1)専門用語が難しい場合。

「難しい」といって最初に連想するのがこのタイプでしょう。
論文など、その分野の専門家を相手にした文章がこれにあたります。
ただ、今はインターネットのおかげで、この種の難しさは頑張ればかなり対処できます。

(2)社内用語が多用されている場合。

同じ専門用語でも、ネットで調べがつかないものになると、とたんに難しくなります。
この種の表現は、何度も出てくるなかで、文脈から意味を推測することになります。

(3)推敲不足で文が荒れている場合。

これも実務翻訳ではかなりあります。
こうした場合は一語一語に振り回されすぎず、ロジックの流れを重視して訳します。

(4)頭が良すぎる人が書いた場合。

MBAホルダーなどによく見られます(偏見かもしれません)。
頭の回転が速いせいか、このカテゴリーに属する人は常にひねった表現を使ったり、意味不明の比喩を多用します。
たいてい気が利きすぎていて、凡人には意味不明になっているので、
「要はこういうことがいいたいんですよね」と、思考を整理する気持ちで訳します。

そして、

(5)ノンネイティブが書いた場合。

英語のネイティブスピーカー4億人に対し、ノンネイティブスピーカーは地球上に18億人いるとも言われます。
こうした流れを受けて、実務翻訳においても、ノンネイティブ英語の翻訳依頼は年々増えています。

ノンネイティブスピーカーの書いた文には、独特の訳しにくさがあります。
悪文とか劣っているというのではありません。
そうではなく、ノンネイティブの英語は母語の影響を強く受けるため、いわゆる標準的な英語(アメリカやイギリスの英語)とは異なる言い回しが使われるのです。
例えば、フランス人の英語はフランス語の影響を受けて、名詞構文が多い、語彙が少ない(一つの語をさまざまな意味で使う)、分詞構文を多用するといった特徴があります。
実務翻訳の場合、そういった独特なくせを意図的なものとは見なさずに、話の核心を訳すことが求められます。

さらに蛇足ながら

(6) (1)~(5)の複合型。

ノンネイティブのMBAホルダーが書いた、社内用語だらけの文章など。
冗談みたいですが、決して珍しいものではありません。
これらは文字通り、頭をかきむしりながら訳すことになります。

さて、インド英語は、(5)あるいは(6)の難しさに分類されます。
それも、フランス人英語等々とは比べものにならないくらい、独特のくせが強いのが特徴です。
また、後で詳しく述べますが、インド英語はそうと知らずに訳そうとする場合、(2)(社内用語を多用した文章)または(4)(頭が良すぎる人が書いた文章)に見えるのも大きな特徴です。

☆ ☆ ☆

その後、他のIT企業の翻訳を何度か引き受け、「専門性のそれほど高くないものであればIT翻訳もできます」と一応は言えるようになった頃、再びくだんの某大手グローバルIT企業からの翻訳案件が回ってきました。

ぱっと見たところ、(2)(社内用語が多用されている)種類の文に見えました。
そこで、この会社で言う「process」とはどういう意味だろう、verifyとは、assessとは…と文脈から推測してみようとしました。

でも、これがどうしてもできないのです。
全体的に重々しい言い回しが多いので、重要でオフィシャルなものだろうと思うのですが、その割には社内向けのような内容でもあり、どうにも想像がつきません。
一語一語を緻密に読み込んでも、何を言っているのかまったく見えてこないのです。

途中から(3)(推敲不足)か? (4)(頭が良すぎる人の文)か? と思って眺めても、やはり理解不能です。
締切時間も迫ってきますが、あせるばかりで一向に突破口がつかめません。

そのとき、「SEにとって必要なのは、クライアントに対し次のようにすることだ」という流れで、

Listen until your ears bleed (耳から血が出るほど聞くこと)

という1行が目に入りました。
そのとき、なぜか突然ひらめいたのです。
「もしやこれは、インド人の書いた英語ではないのか?!」

インド人ならこういうことを言いそうな気がした…というのは乱暴ですが、とにかく、この表現に垣間見えるユーモアがアメリカ人やイギリス人のユーモアのセンスと違うので、何かピンと来るものがありました。

それに、「耳から血が出るくらい聞け!!」というほど黙っているのが難しいということは、ものすごくよくしゃべる人を対象にしていると想像できます。
そこから、直感的にインド英語だとひらめいたのだと思います。

その後、インド英語について書かれた本を読んだり、インドのニュースサイトを読んだりして調べていくうちに、この文章が典型的なインド英語であることが確認できました。
この文章はIT関連だから難しいのではなく、インド英語だから難しかったのです。

☆ ☆ ☆

このように、インド英語を翻訳する際の最初の難関は、インド英語だとすぐに気づくのが難しい点にあります。
通訳だったら、話し手の顔や発音から、インド英語だとすぐに分かるでしょう。
しかし翻訳の場合、書き手の顔や発音はもちろん、名前も分からないことが少なくないので、インド英語だとすぐに(場合によっては最後まで)分からないのです。

「耳から血が出るほど聞け!」の一件以来、「なんだか独特の訳しにくさがある」と感じる文章はインド英語を疑ってみたところ、これが意外なほど多いのが判明しました。
これをお読みの社内翻訳者の皆様も、「訳しても訳してもさっぱり意味不明」といった印象の英文の翻訳を任されることがあると思います。
それらの中にはインド英語もあるかもしれません。

☆ ☆ ☆

インド英語というのは、ただ読むだけならともかく、いざ日本語に訳すとなると、アメリカ英語やイギリス英語とはまったく違うスタンスが必要になります。
冒頭の繰り返しになりますが
「英単語を使ってこそいるが、これは英語(=アメリカ英語やイギリス英語)とは別の言語なのだ」
くらいの認識が必要と言っても、過言ではありません。

ここで、インド英語の例を見てみたいと思います。
まずアメリカ英語の例文です:

We were able to deliver solid financial results thanks to your ongoing commitment.

これは、

「皆様からの不断の献身のかいあって、好調な業績をあげることができました」

などと訳すことが出来ます。
solidやongoingの訳語選びにちょっと工夫が必要という以外は、基本的には逐語訳です。

次にインド英語:

The gathering of the customer existing "as-is" state shall be measured by utilizing a questionnaire.

gatheringでいきなり詰まり、existing "as-is" stateで「なんじゃこりゃ」となるはずです。

アメリカ英語の翻訳と同じ感覚で
「アンケートを活用することで顧客の既存の「現状有姿」状態の収集を測る」
と逐語訳を作ってみても、意味不明です。

おそらくこれは「質問票を用い、顧客の現状を把握する」くらいの意味です。

☆ ☆ ☆

もう一つ、例をご紹介します。
ヒラリー・クリントン国務長官が7月20日にインドを訪問し、ラメシュ環境相と会談したときのやりとりです。

クリントン国務長官:

The US does not and will not do anything that will limit India's economic progress. We believe that economic progress in India is in everyone's interest and not just in the interest of Indians.

これも逐語訳で十分きれいな日本語になります。

「米国は、インドの経済発展を制限するようなことは現在もしていないし、今後もするつもりはない。
インドの経済発展はインド国民だけでなく、我々全員のためになると我々は信じている」

ここから縮めて
「米国は今後ともインドの経済発展を制限しない。インドの経済発展はインド国民だけでなく我々のためにもなる」
などともできます。

さて、上の発言を引き出したラメシュ環境相の言葉は、次の通りです:

There is simply no case for the pressure that we, who have been among the lowest emitters per capita, face to actually reduce emissions. And as if this pressure was not enough, we also face the threat of carbon tariffs on our exports to countries such as yours.

アメリカ側に強く反対していることはわかります。
しかし、いざ訳すとなると、訳語選びに非常に苦労します。

まず、いきなりThere is simply no case for ...でつまづきます。
また構文がかなり入り組んでいます。
we face pressure to reduce emissionsを変形してthe pressure (we face) to reduce emissionsとし、
そこにwho節を挿入しているのですが、用意した原稿を読み上げているとしても相当複雑な構文です。

また、And as is this pressure was not enough, は
「この圧力だけでは不十分だろうと言わんばかりに」といった意味でしょうが、
この訳だと文学的すぎると言いますか、飾り立てすぎる感じになってしまいます。

さらに、文脈上、先進国輸出への炭素税は「不当だ」と言いたいのだと思われますが、そうは明言していないため、「不当だ」という言葉を足していいのか迷います。

逐語訳:

「人口一人当たりの排出量が最も低い国の一つであるインドが、実際に排出量削減のために直面する圧力はまったく不当である。そして、この圧力だけでは不十分と言わんばかりに、インドはあなた方のような国への輸出に対し炭素税を課される圧力にも直面している。」

これではやはり意味不明なので、まとめることにしますが、落としどころが難しいです。

改訳例1:できるだけ短くした例
「人口一人あたりのCO2排出量が最も低い国の一つであるインドは、排出量削減要求には応じられない。
それなのに目下インドは、米国など先進国輸出への炭素税導入の圧力をも受けている」

改訳例2:アメリカへの反論のニュアンスを強く出した例
「我が国は人口1人あたりのCO2排出量が世界でも最低水準にあるというのに、さらなる排出量削減を受け入れることは到底できない。
しかもそれでは足りないとばかりに、あなた方のような先進国への輸出に対し炭素税を課そうという動きがある」

☆ ☆ ☆

インド英語とアメリカ英語の違い、実感していただけたでしょうか?
「うちの部署ではこういう英語ばっかり訳しています!」という方もいるかもしれません。
次回はさらに具体的に、インド英語の特徴を紹介したいと思います。

参考サイト
http://en.wikipedia.org/wiki/English_language#cite_note-3 (Retrieved July 22nd, 2009)

http://www1.timesofindia.indiatimes.com/articleshow/4796258.cms (Retrieved July 20th, 2009)

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