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成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。
第9回:インド人もびっくり?! インド英語入門・中編
残暑お見舞い申し上げます。
今回は「インド英語入門・中編」をお届けいたします。
●はじめに
ここ数年、実務翻訳の現場で急増している「インド英語」。
英米人の英語と特に違いはないと思いがちですが、そんなことはありません。
むしろ、翻訳にあたっては、インド英語は英米人の英語とは別の言語といってもいいほど違いがあります。
今回は、インド英語の特徴のうち、実務翻訳に関連するものを紹介します。
なお、以下では、アメリカ・イギリスの英語をまとめて「標準英語」と呼ぶことにします。
「日本の学校で教えられているような英語」くらいの意味です。
●インド英語の特徴
英日実務翻訳という観点から見た場合、インド英語の特徴は、以下の6点にまとめることができます。
(1)独自の用語がある
(2)大げさで古風な表現を使う
(3)概念語・抽象語の意味が独特である
(4)繰り返しが非常に多い
(5)標準英語とは異なる論理展開
(6)標準英語とは異なる価値
今回は、(1)から(3)までを紹介します。
(1)独自の用語がある
インド英語には、標準英語にはない独自の用語が存在します。
インド英語の用語集が出版されているほどです。
~代表的なインド英単語の例~
crore:1000万
lakh:10万
the subcontinent:インドのこと(インド亜大陸より)
prepone:前進させる、(先行して)行う(postponeの逆)
botheration:トラブル、問題
■例1
The government has approved 22 foreign investment proposals worth Rs.541 crore.
□訳例
インド政府は22件、計54.1億ルピーに相当する外国からの投資計画を承認した。
このほかにも、namaste(あいさつ)、mantra(正しい方法、大原則)など、現地語が英語の中に使われるケースも多々あります。
いずれも、一目見てすぐにインド英語だとわかるので、それほど翻訳者泣かせというわけではありません。
手間はかかりますが、調べればなんとかなります。
翻訳者にとっては、「一見標準英語のような顔をしているが実はインド英語」のほうがはるかに手ごわいのです。
次にそういった特徴を見ていきます。
(2)大げさで古風な表現を使う
インド英語には、標準英語とは明らかに異なる言葉遣いが見られます。
大きな特徴として、よく言われるのが「アルカイックでフォーマル」(archaic and formal)です。
「古風で大げさ」「時代がかっていて形式張っている」「文語調でお役所風」
……などと言い換えることができます。
見慣れない単語を辞書で引くと、[古]とあることも珍しくありません。
構文も、名詞構文や前置詞+関係代名詞など、硬めのものが多用されます。
加えて、硬い表現とカジュアルな表現がミックスされて使われる傾向があります。
重々しい表現とくだけた表現を混在させた文がよくみられます。
(標準英語の)エンジニアや理系の研究者などに時々見られる言葉遣いに、少し似ています(まったく同じというわけではないですが)。
こうした、インド英語の「アルカイックでフォーマル」という点は、非常に翻訳者泣かせと言えます。
標準英語のひとつひとつの単語に対して翻訳者が持っている「この単語はこんな感じの意味」という感覚が狂うからです。
インド英語はそうと知らずに読むと、とにかく荘重な雰囲気があります。
なので、インド英語だと気づかない状態で訳そうとすると
「よほど偉い人向けに書かれているのだな」
「最大級にフォーマルな文書に違いない」
などと思いながら、(間違って)重々しい言葉を選んでしまったりします。
しかし、言葉の重々しさに比べ、内容がどうも軽い感じが否めず、何かしっくりこない感じが強くなってきます。
こうして「おかしい。なんで社内向けの内容なのにこんなに仰々しいのだろう…」
と頭を抱えることになるのが、インド英語を訳す際の典型的な失敗パターンです。
次の例文は、ムンバイに近いMatheranという山間の観光地の探訪記からの一文です。
■例2
If Matheran is thankfully devoid of motorcars, the nuisance value is made up for by monkeys: they are everywhere, outnumbering the human population.
the nuisance value(直訳すると「迷惑値」)という専門用語風の主語に、A is made up for(「Aによって埋め合わされる」というくだけた述語がついているのが、標準英語とは違う雰囲気です。
また、there are more monkeys than people.と言えるところで、outnumberのような硬い言葉を使うのも、いかにもインド英語です。
□訳例
マテランは、自動車の立ち入りが禁止されているという点は良いが、代わりにサルが多いのが難点か。サルは人間よりも多く、あらゆるところにいる。
実際に訳してみると、フォーマルな表現をどこまでくずしていいのか迷うと同時に、thankfullyが訳しにくいことに気づきます。
ちなみに、インド英語の古風で大げさな表現は、イギリスの植民地時代にさかのぼると言われています。
インドにとって英語は、宗主国の言語であり、行政や裁判の言語であり、また教養層の言語でした。
この影響があって、現在でも硬く、重々しい言葉が多く使われるようです。
また、古風な表現が多いのは、植民地下にあった19世紀頃のイギリス英語から分化して、独自の発展を遂げたからとも言えそうです。
(そう聞くと、インド英語に何やら「小公女」の世界に通じる魅惑的な香りを感じてしまうのは私だけでしょうか…)
(3)概念語・抽象語の意味が独特である
インド英語では、抽象概念を表す用語が、しばしば標準英語とは異なる意味合いで使われたり、または文脈上意味を持たなかったりします。
次の例文は、ソフトウェアのマニュアルの巻末にあるglossary(用語集)からの文です。
■例3
Failure mode: a single event that causes a functional failure.
Failure consequences: the way(s) in which a failure mode or a multiple failure matters.
Failure modeの定義では、modeがeventと同じ意味で使われています。
「様式、モード」といった標準的な意味ではないようです。
Failure modeと言っても、「障害モード」というわけではないところに、この文の第1の難しさがあります。
Failure consequencesでは、consequenceが「結果」という意味では使われていないようです。
Failure consequencesは「1つまたは複数の障害イベントがどの程度重大か」を意味するとあります。
よって、consequenceは「重大性」さらには「影響力・波及力」などと訳すことができます。
普通に考えたら、consequenceを「影響力」と訳すにはかなりの飛躍が必要なはずです。
さらに、failure modeとmultiple failureが並べられている点から考えて、実はmodeには意味がないと考えることも可能です。
□訳例
障害イベント-機能的障害を引き起こす単独の出来事(イベント)。
障害の影響度-1つまたは複数の障害イベントが及ぼす影響力の程度。
もともと抽象語は標準英語でも多義的で訳語が決めづらいものです。
そこへ持ってきて、インド英語では標準英語とは異なる意味合いを持っていたり、意味を持たなかったりするとなると、混乱度は非常に高まると言えます。
また、上記のよなうIT系の分野では、えてして「概念語の意味は一律に決まっている」という前提があり、「この言葉にはこの訳語」が固定しているものですが、IT系の内容がインド英語で書かれていた場合(そういうことは実はけっこう多いわけですが)、この前提を疑ってかかる必要があるでしょう。
とても長くなってしまいました。次回は残る3点の特徴をご紹介します。
引用元:
例2
http://blog.deshvidesh.com/tag/matheran/
参考図書:
Shinie Antony, Craig Scutt: Indian English: Language & Culture. Lonely Planet, 2008.
Craig Storti: Speaking of India: Bridging the Communication Gap When Working With Indians. Intercultural Press, 2007.
Sailaja Pingali: Indian English (Dialects of English). Edinburgh University Press, 2009.
本名信行「事典アジアの最新英語事情」大修館、2002
本名信行編「アジア英語辞典」三省堂、2002
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