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成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。

第10回:伝える意志のある言葉~インド英語入門・後編

いきなり題名と関係のない話で恐縮ですが、
"Japan will aim to reduce its emissions by 25% by 2020"
という鳩山首相のスピーチは、実現可能かどうかはさておき、久しぶりに日本の政治家の口から、何かを伝えようという意志のある言葉を聞いた気がしました。
月並みですが、「英語は発音よりも中身」「言葉を飾ることより伝える意欲が重要」ということを改めて感じさせられました。

さてインド英語です。
前回はインド英語が「アルカイックでフォーマル」だということをお話ししました。
今回はその続きです。
なお、繰り返しになりますが、以下ではアメリカ英語とイギリス英語を便宜上「標準英語」と呼びます。


(4)繰り返しが非常に多い


インド英語では、繰り返しが多用されます。
単に読んでいるときはあまり感じないのですが、いざ訳そうとするとくどさを実感します。
同じの意味の語句の繰り返しはもちろん、同じ内容のセンテンスの繰り返しも多々あります。

翻訳にあたっては、繰り返しの表現に振り回されず、大きな流れを訳すときれいにまとまります。
一言一句訳してしまうと、日本語としては冗長すぎて意味不明になってしまいます。

次の例文は長いですが、同じ内容が何度も繰り返されていることがわかります。
「インドIT企業の経営者が語るビジネスのルール」といった内容です。
(ぜひ、インド英語の発音を想像しながらお読み下さい。その方がなぜか内容が頭に入ってきます。)

■例4
Execute ruthlessly: The best strategic and business plans are worthless without proper execution. Focus ruthlessly on execution and keep an eye for details. Keep your eyes and ears open to your customers and follow up with them for their needs. Execute on your account plans without letting a day of plan slip out of schedule. If a customer has informed you to call them on a particular day, don't slip on that. If you don't execute on your plans, your competitor will do. Be paranoid about execution.

この文章は、大げさな表現を多用している例とも言えますが(ruthlessly、paranoidなど)、加えて説明がしつこいほど具体的です。
あまりに細かいので、かえって全体の趣旨が見えづらいほどです。
(特にアメリカ英語の発音を想像して読むと、なぜか内容が頭に入ってこなくなります。)
あえて逐語訳をすると、次のようになります。

□逐語訳
非情に実行すること:最良の戦略計画や事業計画も、正しい実行なくしては価値がない。実行に非情なほど注力し、細部に注目すること。顧客に目と耳を開き、顧客のニーズに対しフォローアップすること。予定は1日たりとも遅れることのないよう、顧客計画を実行すること。ある特定の日に顧客から電話してほしいと依頼された場合は、その依頼を外さないこと。もし計画を実行しなければ、ライバル企業が行うであろう。実行に対して半狂乱になること。

これでは、何の話かさっぱりわかりません。
俯瞰的な視点に立ち、大きな流れを再現するつもりで訳すと、もう少しわかりやすくなります。

□改訳例:
決めたことは実行する:どんなに素晴らしい事業計画を立てても、行動が伴わなければ無意味だ。断固たる意志をもって実行する。またお客様の声に注意し、ニーズにこまめにフォローするなど細部に気を配ること。顧客対応計画は先延ばしにせず、何日に電話してほしいと頼まれたら必ず電話する。でないとライバル企業に出し抜かれてしまうだろう。決めたことは徹底的に実行することが肝心だ。


(5)標準英語とは異なる論理展開


この点は、前回述べた「概念語・抽象語が文脈上意味を持たない」と並び、インド英語を見分けるポイントになります。

インド英語では、標準英語とは異なる論理展開が用いられることが多いようです。
後に行くほど重要なことを述べたり、議論が二転三転して結論がなかなか見えないとことがよくあります。
(なお、標準英語では、「まず結論を述べ、それから具体的な根拠を述べる」「1つのパラグラフでは1つのことしか述べない」といった論理展開に従って書かれるのが基本です。これは英日翻訳の最も重要なカギのひとつなのですが、またの機会に譲ります。)

ただし、インド英語は日本語とは違い、行間を読む必要はありません。
イギリス人のようなウィットもありませんし、MBAホルダーのように論旨をひねりすぎることもありません。
書かれていることをきちんと追えば、ロジックは理解できます。これも大きな特徴です。
論旨の糸をしっかり理解した上で訳すと、読んで意味の分かる文章になります。

少し長くなりますが、例文です。
これも「IT企業経営者が語るビジネスのルール」サイトからの抜粋です。

■例5
All large semiconductor companies look for entrepreneurs within their workforce and try to create an environment to nurture entrepreneurial behavior. However, they often do not clearly articulate where and how the entrepreneurial spirit is needed within the organization. In my opinion, product marketing is where entrepreneurial skills are most needed and should be nurtured. Product marketing is where interaction with customers takes place to decide on the next-generation products and their features. Entrepreneurship in product marketing involves a deep understanding of the system that the product fits in to, the value proposition that the product provides for that system, and the longevity of that value proposition to the customer.

この文では、後に行けば行くほど筆者の主張が明確化し、しかも熱くしつこくなっています。
そのことを理解せず、学校の英文和訳のようにすべての言葉を同じ強さで訳してしまうと、文と文がまったくつながらなくなってしまいます。
以下は、一言一句を同じ強さで訳した例です。

□逐語訳
すべての大きな半導体企業は、自社の労働力の中に起業家を求め、起業家的行動を育む環境を作ろうとする。しかし彼らは、組織内のどこで、どのように起業家精神が必要なのか、明確に述べないことがしばしばある。私の意見では、製品マーケティングが起業家的技術が最も必要であり、育まれなければならない場所である。製品マーケティングは、次世代製品およびその機能について決定するための顧客とのやりとりが行われる場所である。製品マーケティングに関する起業家精神には、製品があてはまるシステムに対する深い理解、そのシステムに対してその製品が提供する価値提案、そして、その顧客に対するその価値提案の長さに対する深い理解が関わってくる。

この文を通じて筆者が言いたいのは「起業家精神は製品マーケティングにおいてこそ求められる」です。逐語訳ではそこが伝わってきません。
主張とそこに至る論証のステップを明確に伝えるつもりで、言葉に強弱をつけて訳すと、少しわかりやすくなります。

□改訳例
半導体分野の大企業はどこも、社内に「起業家」を見いだし、その人が起業家精神を発揮できるような環境整備に腐心するが、「社内のどの分野で起業家精神が必要か」が明確化されていないことが多いようだ。実のところ、最も起業家精神が必要な部門はほかでもない、製品マーケティングであろう。マーケティングの現場こそ、顧客との対話を通じて次の製品や機能につながるヒントが見えてくる場所なのだ。そんな起業家精神にのっとったマーケティングにおいては、「この製品はどのシステムに適しているか」「このシステムは、どのような価値を、どの程度の期間にわたって提供可能か」などの深い理解が要求される。


(6)標準英語とは異なる価値観


上記の例文からも垣間見える通り、インド英語の背後にはインド独特の価値観があることは明らかです。
ここでそれをまとめることはできませんが、日本的価値観とも、欧米的価値観ともかなり異なることは確かです。
インド英語の翻訳にあたっては、こうしたインド的価値観に対する理解が必要になってくることでしょう。

インドは非常に多様で、安易な一般化を許さない国だそうですが、私に言えるのは「インド英語にはインド同様、圧倒的なパワーがある」ということです。
インド英語には「だいたいの方向性が正しければ細かいことはOK」「堂々として重々しいが、言っていることは穏当」「非常に熱く説得するが、ダメならそれでかまわない」という雰囲気があります。
完璧主義で、ともすれば微差を追求しすぎて苦しくなるような英日翻訳の世界に住む人間にとっては、こうした「ポジティブなゆるさ」はかなり心惹かれるものがあります。

☆おわりに~世界の共通語はインド英語に?!

「世界の共通語は英語ではない」。最近、何度か続けてこのような発言を目にしました。
英語ではないなら、一体何語が共通語になるのでしょうか?
その答えは「ブロークンイングリッシュ」。いわゆるアメリカ英語やイギリス英語ではなく、ノンネイティブの英語だというのです。
日々の翻訳案件を通じ、私もそれを実感しています。
なかでもインド英語は、ノンネイティブ英語の代表格になることでしょう。

インド英語は今後ますます台頭するでしょう。
インドがIT大国であり、中国に次ぐ勢いのある新興国だというのが非常に大きいのですが、それだけではありません。

これまで見てきた通り、インド英語は「繰り返しが多い」「展開は自由だが論理的」「大げさな表現を使う」のが特徴です。
これらはインド国内にとどまらず、世界中のノンネイティブ同士のやりとりにおいてこそ生きてくるはずだからです。
自分も相手もネイティブではないとなると、言いたいことがきちんと伝わるよう、同じことを何度も繰り返したり、論旨の飛躍を避けたり、強い言葉を使うはずです。

大げさかもしれませんが、インド英語は、グローバル時代における英語のひとつの進化形のように思えます。
世界の共通語は「標準英語」ではなく、異なるバックグラウンドの人同士が渡り合うための英語になるでしょう。
英語はもはや、ネイティブのものではありません。30年後の世界の共通語は、インド英語かもしれないのです。

ここまで英日翻訳という観点から見たインド英語の特徴を延々述べてきましたが、翻訳者としては「どうやってインド英語をきれいな日本語に訳すか」を考えるだけでは足りないと、いまや考えています。
「どうしたら自分の英語はインド英語と互角に渡り合えるようなものになるか」
を考えていく必要があると思います。

おそらくは、ネイティブ風の発音を追求するのではなく、「伝えようという意志があるか」がポイントになる気がします。
そんなわけで、私は目下、インド英語と渡り合えるジャパニーズイングリッシュを模索中です。

出典

例4
http://www.siliconindia.com/guestcontributor/guestarticle/98/7_Simple_Rules__to_Ensure_the_Sales_Executives_Commission_in_a_Downturn_Souma_Das.html

例5
http://www.siliconindia.com/guestcontributor/guestarticle/62/Wanted__Entrepreneurs_in_a_large_semiconductor_company.html

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