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プロ通訳者・翻訳者コラム

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成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。

第14回:原文の何を訳すのか?

今回は、テーマが根本的すぎて(?!)、どうしても結論がうまくまとめられませんでした。あしからずご了承下さい・・・


翻訳初心者の方から最もよく聞かれる技術的な質問のひとつに、
「どこまで意訳していいのでしょうか?」
というものがあります。

意訳。実は、この言葉の意味が年々わからなくなってきました。

「意訳」という言葉は、業界によって異なる意味があります。
例えば大学受験の世界では、「意訳」は「構文通りの訳」の反対の、肯定的な意味合いで使われます。

受験英語では、「原文の構文はなるべく崩さない」という基本ルールがあります。
これに対し、品詞や態は多少変えてでも、原文の意味を再現することを優先し、日本語として破綻なく読めるようにした訳が、特に上級者には奨励されます。
構文通りの訳を「直訳」、意味の再現を優先した訳を「意訳」と呼びます。

この意味で言うと、翻訳とは徹頭徹尾、どこまでも「意訳」することです。


スクールに入学されたばかりの方は、「意訳」という言葉を受験英語的な意味でとらえていることが多いので、あえて「どこまでも意訳していいんですよ」「字面ではなく、意味を訳しましょう」と話します。多くの人が衝撃を受けるようです。
そして、字面を訳すことで意味不明な訳をしていた人が、とたんに生き生きと語り出すような訳をしてくることがあります。

でも原文と細かく照らし合わせてみると、原文で言っていないことを足していたり、細かい情報をさりげなく抜かしていたりするのです。

これは、原文の字面から離れたら、なぜか意味も離れてしまった例です。
こうした「でたらめ訳」は、翻訳業界では最も嫌われるもののひとつです。

翻訳業界では、こうしたでたらめ訳を「意訳」と呼ぶ場合があります。
この場合、意訳は断じてあってはならないものになります。


つまり、ある意味「意訳」は必須だが、別の意味では「意訳」は厳禁である。


・・・一体どっちなんだ、って感じになってきました。

ここで話を切り替えて、別の角度から考えてみたいと思います。すなわち、
「そもそも翻訳は、原文の何を訳すのか?」


先日、ウィンターコースの授業中にこの質問を投げかけられ、絶句してしまいました。
翻訳という行為の根幹に関わる質問なのに、「分野によって異なる、とにかくケースバイケース」以上のことが答えられないのです。
もっと細かく言うと、経験上わかっているのですが、言葉でうまくすくい取ることができないのです。だから今回のこの原稿は結論が出ないのですが…。

ここまでの話から、原文の品詞や構文を訳すことでないのは明らかです。

私はこの質問に対し、さしあたりの答えの手がかりとして、
「原文をもらったら翻訳者が考えなければならない3つの要素」について話しました。

翻訳の3要素。それは「読者」「用途」そして「効果」です。
この3要素をしっかり把握してはじめて、翻訳のスタートラインに立つことができます。
このことについて議論することが、答えに近づく手がかりになると思ったのです。

☆ ☆ ☆

「読者」と「用途」が何かは、それほど難しくないでしょう。

実務翻訳の原文には、ターゲットとする「読者」がいます。
社内文書なら社員、リリースなら消費者や投資家など、論文ならその分野の専門家、広告ならその商品を売りたいと思う客層など・・・

原文を受け取ったら、まず読者を確認します。そして読者層にあわせた言葉を使います。
例えば、humanという単語ひとつとっても、科学論文なら「ヒト」と訳し、幼児が読むものなら「にんげん」と訳します。
すべての単語に対し、読者層を意識した訳語を選ばなければなりません。


また、原文にはそれぞれ「用途」があります。
例えば、社内販売を告知する、新製品を売り込む、契約条件を提示する、などです。

原文を受け取ったら、読者と同時に用途も確認します。

例えば、one million という数ひとつにしても、契約書なら文字通り「魚を100万匹」「100万米ドル」「百万ケース」などの意味でしょう。契約書の用途を考えたらそうなります。
一方、観光案内パンフレットであれば「星が降りそうな満天の夜空」「無数の魚が泳ぐ海」といった意味になるでしょう。
「星が100万個見える空」「100万匹の魚が泳いでいる海」は用途を考えたらおかしいとわかります。
同様に、契約書で「甲は乙に魚を大量に受注する」では困ってしまうでしょう。


そして、見逃されがちですが非常に重要なのが、原文の持つ「効果」です。
実務文であっても、あるいは実務的目的があるからこそ、原文は何らかの「効果」(あるいは「印象」「読後の変化」)を読み手に与えることを意図して書かれています。

翻訳においては、原文の意図する「効果」を訳すことが必要です。
「原文を読んだときと訳文を読んだときとで、同じ行動を起こせる/同じ印象が心に残る」ということです。

具体的に言うと・・・
コンサートの奏者紹介であれば、「この人の演奏を早く聴いてみたい」と、期待を高めること。

リリースであれば「この会社は信頼に足る」という印象を残すこと。

マニュアルであれば、指示通りに従えばつつがなく何かができることです。

読者・用途・効果。
この3点を、文章全体の方向性として把握するのはもちろん、ひとつひとつの言い回しのレベルでも考えることで、訳語が決まっていきます。


抽象的かもしれないので、ひとつ例を示してみます。
芸術写真展のチラシに掲載する案内文です。


例文
This exhibition of 65 images is taken from the larger collection representing the core element of this captivating theme.



訳例1
この65枚の写真たちの展示会は、この魅惑的なテーマの中核的な要素を表す、大きなコレクションから取られたものです。


この訳はどこがまずいのでしょうか?
この訳がもっとも良くないのは、largeの比較級を誤訳しているところではなく、それ以上に、読者も用途も考えておらず、特に効果をまったく意識していない点にあります。
誰に向かっても語ってなく、ただやみくもに言葉を置き換えただけなのです。
この訳文を読んで「この写真を見てみたい」と思う人はいないでしょう。
これでは使い物になりません。

largeの比較級を誤訳していますが、これでは原文の意味をまったく反映していません。ここでは「65枚よりも大きなコレクションがあり、その中から特に65枚を選んできた」と言うことで、この写真展の素晴らしさを伝えたいのです。
このように、読者・用途・効果を外すと、小さな誤訳でも傷が大きくなります。

そのくせ、写真を擬人化して「写真たち」などとしています。これは悪しき意訳の例、どのような効果を与えるべきかわからず、やみくもにこなれた言葉を使おうとしている例です。

「中核的な要素」はもっとビジネス的な用途の文章なら言うでしょうが、これは写真展の案内文です。こんな言い方をされたら興ざめしてしまいます。


ここでは、原文の前提になっている「この写真展は素晴らしいので見に来て下さい」という思いを訳すのです。この思いが伝わって初めて「効果」を再現できたことになります。

「このコレクションの中にはテーマに沿った写真は65枚よりもたくさんあるが、そのなかでもテーマの殻となるような写真を65枚集めてきました」という事実関係を、芸術写真展の案内文であることを踏まえ、「この65枚を見に行きたいな(見に来て良かったな)」と思わせるように訳すと、taken from a larger collectionあたりの訳が決まってきます。


改訳例
今回はこの魅惑的なテーマに沿ったコレクションのなかから、選りすぐりの65枚を展示いたします。


☆ ☆ ☆

上記が、今の自分にできる「原文の何を訳すのか?」に対する精一杯の答えです。
例を通じて間接的にしか伝えられないのが、非常にもどかしいのですが・・・

原文の読者・用途・効果が見えると、方向性が定まりすっきりするのですが、同時にそこが本当の翻訳の難しさの始まりとも言えます。
「この読者に、この用途で、この効果を与えるには、どんな言葉を選んだらいいのだろう」と悩むことになるのです。

こうした悩みに直面したとき、翻訳者は、それまでよりはるかに緻密に言葉と向き合うことになります。
個々の語のかたちから離れていいと背中を押されたはずなのに、結局はひとつひとつの言葉に非常にこだわる段階に入ってくるのです。


ここまでをまとめると、
「翻訳は、字面から離れ、意味を訳すことである。
意味を訳すには、読者・用途・効果を考えなければならない。
だがそのためには必然的に、個々の言葉を深く考えることになる」

やっぱり結局、なんだか矛盾した内容に・・・
しかし、この相反する方向性を同時にこなすのが、翻訳なんだろうと思います。


ひとつだけ言えることは、ひとつひとつの言葉に悩むという非常に細かいレベルのこだわりを、楽しくてたまらないと言える人が、翻訳を仕事にできるだろうということです。

第35回(最終回):翻訳は何に例えられるか?

第34回:Stay hungry, stay foolishの訳は「ハングリーであれ、愚かであれ」なのか?

第33回:ISS翻訳カフェ:社内翻訳者座談会より

第32回:8/25開催「仕事につながるキャリアパスセミナー~受講生からプロへの道~」より

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第28回:「頑張れ」を英語で訳すと?

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第15回:翻訳者的・筋トレの方法(新聞の読み方、辞書の読み方)

第14回:原文の何を訳すのか?

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第6回:翻訳と文法

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第2回:順境のとき、逆境のとき

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