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徳久圭先生のコラム 『中国語通訳の現場から』 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業。出版社等に勤務後、社内通訳者等を経て、フリーランスの通訳者・翻訳者に。現在、アイ・エス・エス・インスティテュート講師、文化外国語専門学校講師。

第10回:做事還要靠行家──私達のナイーブな言語観

先日、元アイドルグループSMAPのメンバー三人が新たな公式ファンサイト「新しい地図」を立ち上げ、話題になりました。アジア圏を含め、世界中にファンがいる三人のサイトということで、中国語や韓国語のページも用意されています。ところがこれらのページはGoogleの自動翻訳によって提供されており、文章によっては非常に奇妙な、あるいは意味不明な中国語が並ぶ結果になっていました。

新しい地図
https://atarashiichizu.com/

せっかく広い中国語圏のファンに向けた再出発のお披露目メッセージがこれでは、伝えたいものも伝わらないですよね。本当にもったいないと思います。ことほどさように、日本語を母語とする私達は、どうも他の言語への想像力が薄いようです。言語間のやりとりについて“天真(うぶ)”というか、“想得美(考えが甘い)”というか、あるいはもっと端的に「舐めている」というべきでしょうか。

この対極にあるような事例もご紹介しましょう。いささか旧聞に属しますが、昨年の一月に台湾では総統(大統領)選挙と立法院(国会)議員選挙が行われ、民進党の蔡英文氏が総統に当選、立法院でも民進党が議席の過半数を占めるという「完全勝利」で幕を閉じました。その日の夜に行われた「勝利集会」は内外の記者を集めて全世界に発信する形の記者会見を兼ねていたため、英語の通訳者が逐次通訳で蔡英文氏の言葉を伝えていました。

勝選國際記者會
https://youtu.be/QoOguLKS9hI

この記者会見については、意外な部分が話題になっていました。英語の通訳者を務めていた趙怡翔氏が人気になっているというのです。ニュースの見出しには“口譯哥(通訳のお兄さん)”の素敵な声に“耳朵懷孕了(耳が妊娠しちゃった)”とか……ちょっとちょっと。でも、ふだんは裏方であり黒衣的存在である通訳者がこうやってクローズアップされるのは面白いですね。

蔡國際記者會「口譯哥」秀流利英文
https://youtu.be/kP89vHN3Bcc

この件については、さらにこんな報道もありました。もとより蔡英文氏は英語が堪能なのに、なぜわざわざ通訳者を使うのか……について、その疑問に答え、さらには通訳者という職業についての基礎的な知識を提供している記事です。こういう解説が新聞に載るところが多言語国家ならではの、一種の「すごみ」ですよね。

蔡英文的英文不是很好嗎? 為何還要請人翻譯? 關於口譯工作的7件事
http://www.storm.mg/lifestyle/79031

通訳という業務、ないしは作業について、こうした簡にして要を得た記事が新聞に載るというのは、残念ながら日本ではあまり例がありません。冒頭でも述べたように、総じて日本の私達は、異なる言語間のコミュニケーション、「母語」で話すことと「外語」で話すことの違い、「外語」で発信することの功罪、通訳者や翻訳者が行っている作業について……などなどへの理解が薄いように思います。

それはほぼ単一言語国家と言っていい日本の、ある意味幸せな部分でもあります。例えば侵略や植民地統治の結果、土着の言葉以外に英語もかなりの比重で使わざるを得なくなったインドやフィリピンなどの国々と違い、ひとつの言語、それも自らの母語だけで社会が機能し、文化を成熟させていくことができるのですから。でも、逆にそうであったが故に、日本人は外語に対して未だに「ナイーブ」な感覚のままでいるのだとも言えます。

以下、少々批判めいて心苦しいのですが、「ナイーブ」の例をひとつご紹介してみましょう。冒頭の蔡英文氏による記者会見の映像で、30分46秒あたりからをご覧ください。この記者会見で日本のメディアとしては唯一、読売新聞の記者が中国語で質問しています。私などが言うのも大変おこがましいのですが、しかし、この方の中国語はどうひいき目に聞いても拙いと思います。内容はありますが、発音と発話の仕方はとても拙いと言わざるを得ません。

内容があればよいではないか、発音や発話のスタイルなどは二の次だろうと思われますか。私もそう思いたいのです。でも、相手もそう思うかどうかはまた別の問題。これ、なかなか想像するのが難しいのですが、例えば日本の首相の記者会見で外国の記者が質問に立ち、その方の日本語がひどく聞きづらい(聞き取る際に大きなストレスを感じる)ものだったらどうでしょうか。

「一所懸命に、慣れない日本語を駆使して質問してくれてありがとう」と思う人もいるでしょう。私もその方の度胸に拍手を送りたいと思います。でも世の中には逆に「なんだそんな日本語で質問して、失礼だな」などと思う人もいるのです。ひどい方になると、発話者の知的能力を疑うことさえある。

「国益」などという大袈裟な概念をあまり持ち出したくはないけれど、蔡英文氏の記者会見は全世界に発信されるのです。何十億という華人も目にし耳にする可能性がある。そんな場で、表面的なこととはいえ拙さ全開の映像が流れることは日本の国際的イメージに影響すると思います。なぜそういう想像力が働かないのでしょうか。

くだんの記者はメモを見ながら質問していました。たぶん質問内容の中国語を作文しておいて、それを読み上げたのだと思います。であればもっと中国語が堪能な別の記者か、通訳者を介して質問させればよいではないですか。日本では政財界から庶民にいたるまで、なぜか外語(なかんずく英語)で発信しなければいけないと思い込んでいる節がありますが、日本語で自由闊達に話し、それを優れた語学の使い手に託すという手もあるのです。

自ら質問することで誠意を表したかったのかも知れません。でも、これも通訳の現場でよく目の当たりにすることなのですが「誠意があれば伝わる」わけではないのです。「誠意があれば……」は美しい考え方ではありますが、残念ながら国際的なやりとりの場では幻想です。私達はもう少し「表面的なイメージ」にも注意を払うべきだと思います。

虚飾を排する潔さ、そして本質を重んじる日本人的なメンタリティとは相容れないかもしれないけれど、「誠意があれば伝わる」や「大事なのは形じゃない、心だ」というスタンスには、私達の言語に対するナイーブな一面が表れているのではないでしょうか。話し方の巧拙という本質的ではない、表面的なことだからこそ、その非本質的・表面的なところで要らぬ誤解を招いたり「国益」を損じてしまったりするのは本当に残念でもったいないと思います。

それに上記の「通訳兄さん」の記事でも指摘されていましたが、特に逐次通訳の場合、通訳者を介することでそのタイムラグを利用して自分の考えをまとめたり、冷静さを取り戻したり、相手の反応を見ながら戦略を考えたりもできるのです。以前インハウス(社内)通訳者をしていた時、私の上司は外語が堪能な方でしたが、それでも「交渉の時には必ず通訳者を使う」と言っていました。分かっている方は(外国人との交渉や駆け引きに慣れている方は)分かっているのです。言語の壁を乗り越えることの難しさも、怖さも。

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