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津村建一郎先生

津村建一郎先生のコラム 『Every cloud has a silver lining』 東京理科大学工学部修士課程修了(経営工学修士)後、およそ30年にわたり外資系製薬メーカーにて新薬の臨床開発業務(統計解析を含む)に携わる。2009年にフリーランスとして独立し、医薬翻訳業務や、Medical writing(治験関連、承認申請関連、医学論文、WEB記事等)、翻訳スクール講師、医薬品開発に関するコンサルタント等の実務経験を多数有する。

第2回:生物と無生物の狭間

今回は、医学や薬学が対象としている「生物(creature)」について考えてみたいと思います。

医学や薬学が発達してきた経緯を振り返りますと、感染症(infectious disease)との戦いの歴史と言っても過言ではありません。近代になって感染症の原因は微生物(microorganism)が原因であることが解ってきました。

ここで、感染症に罹る人間や動物はもちろん生物ですが、微生物もまた生物で、感染症は生物と生物の相互作用によるものだと思われていました。

コラム:
微生物(microorganism)とは、生体のサイズが小さい、即ち、肉眼でその構造が識別出来ず(最大で1mm~2mm程度)、顕微鏡等を使わないと見えない程度の生物の総称です。
これには、ミジンコやミドリムシ、ギョウ虫、藻類、細菌、ウイルス等が含まれます。

ところが、さらに時代が進むと、感染症の新たな原因としてウイルス(virus)というものの存在が明らかになってきました。その当時、ウイルスの発見は生物学界に一大ショックを与えました。なぜなら、ウイルスは生物としての特徴を持っていないと言う点で「無生物」なのですが、その活動を見ると「生物」の様相を呈している。つまり、自然界にはウイルスという、生物と無生物の狭間に存在する「モノ(thing)」がある、ということが当時の生物学者達の常識を覆してしまったのです。

では、生物と無生物を区別するときの要因とは何でしょうか?

例えば、NHK高校講座の「生物基礎」によりますと、生物に共通する特徴として次の5項目が挙げられています。
1. 細胞(cell)で構成されている
2. 自らエネルギーを作り出してそれを利用している
3. 遺伝因子(hereditary material)を持っている
4. 子孫(offspring)を作る
5. 体内環境(internal environment)を一定に保とうとする

地球上の生物の組織を顕微鏡で調べると、動物でも植物でも微生物でも全て、細胞(cell)で作られていることが解ります。つまり、細胞が生物の基本単位なのです(細胞説:cell theory、Schleiden, Matthias、1838)。そして、全ての生物の細胞の中には基本的に同じ小器官(細胞膜とかゴルジ体、核、リボゾーム、ミトコンドリア、遺伝子など)を持っています。

植物は、太陽光などの光を利用して光合成(photosynthesis)を行うことで、生きていくために必要なエネルギーを自ら作り出しています。動物は食物を食べ、消化することで、必要なエネルギーを得ています。得られたエネルギーは、細胞内でATP(アデノシン三リン酸)という形で蓄えられ、ATPからリン(P)を放出するときに発生するエネルギーを利用しています。

そして、生物は遺伝因子(遺伝子とかDNAとかと呼ばれるもの)を細胞分裂とか生殖行為を経て子孫に伝えていきます。

最後に、「体内環境を一定に保とうとする」能力ですが、エネルギーを蓄えたり、それを消費したりするとどうしても老廃物や不要なものが溜まってきます。それらの老廃物を体外に排出して(平たく言えば大小便のこと)、細胞内や生体内の状態を一定に保とうとするのです。これを生理機能(physiology)といいます。

これらの5つの機能を全て備えている場合、そのモノは「生物」と判断されるのです。

コラム:
細菌(bacteria)もこの5つの機能を全て備えているので生物です。と、言うことは細菌も人間同様に排泄(つまり、ウンコ)をしているのです。そしてこの細菌のウンコが人体にとって有害な場合、その細菌はヒトに病気をもたらす「病原菌(pathogen)」となります。一方、細菌のウンコが人体にとって役立つ場合(例えば、乳酸菌や納豆菌など)、その細菌は「善玉菌(probiotic)」と呼ばれます。細菌はただウンコをしているだけなのですがねぇ。

さて、ウイルスではこの5つの特徴がどうなっているのでしょうか?

まず、ウイルスには細胞の構造がありません。ウイルスは大きくDNAウイルスとRNAウイルスに分類されますが、DNAもRNAも「核酸(nucleic acid)」という化学物質で、人間や動物の遺伝子に含まれているものと同じです。ウイルスはこの核酸をカプシドと呼ばれるタンパク質で覆っているのが基本形ですが、それをさらにエンベロープと言われる脂質で覆っているものと覆っていないものがあります。つまり、細胞に必要なリボゾームやゴルジ体等が一切無いのです。

人間では細胞の核の中に24種類48本のDNA(核酸)を持っていますが、ウイルスの中には1本のDNAの、さらにそのほんの一部しか入っていません。従ってサイズを比較すると、ウイルスはひとつの細胞の1/1000程度(10~100nm)の大きさしかありません。これは、ウイルスをビー玉(1.7cm)くらいの大きさと仮定すると、ひとつの細胞(1μm)は4階建てのビル(17m)ほどの大きさになります。

そして、ウイルスの中には核酸しかありませんので、自らエネルギーを作ったり、吸収や排泄をすることもありません。例えれば、砂浜の一粒の砂の様なものなので、砂がエネルギーを作ったりウンコをしないのと同じで、生理活動を一切していないのです。この様にウイルスは生存にエネルギーを必要としないので、通常の空気中でウイルスが死ぬとか弱まるとか自ら動き回ると言うことはありません。

最後に、ウイルスは自ら分裂したり生殖行為をしませんので、子孫を残すことが出来ません。そこで、ウイルスは人間や動物に感染して、自分の中のDNAやRNA(遺伝因子)を宿主の細胞の核に注入することで、自分のコピーを作らせているのです。つまり、宿主の遺伝子を操作して、コピーを作らせているので、バイオテクノロジーの先駆者と言えるのです。

また、ウイルスは生理活動をしていないので「死ぬ(寿命が尽きる)」ということもありません。
しかし、ウイルス内のDNAやRNAが残存していても、それを覆っているカプシドやエンベロープが破損すると、宿主に感染することが出来なくなります。これをウイルスの「不活化(inactivation)」と呼びますが、これがウイルスにとっての死と考えることも出来ます。

この様に、ウイルスは生物の特徴を持っていないのですが、人間や動物に病気をもたらし、感染して自分のコピーを増やすことが出来ると言う点で、生物(細菌)と似ているのです。

さて、ウイルスは生物でしょうか? それとも 無生物でしょうか?

後記:
実は、生物の細胞の中にじっとせずに、あちこち動き回っているプラスミドと呼ばれる移動する遺伝子があることが解ってきました。その昔、この移動する遺伝子が何らかの理由で、細胞外に飛び出したのがウイルスの起源と言われています。この移動する遺伝子の中で、人間や動物に悪さをしているものをウイルスと呼んでいますが、研究は主にこの悪玉ウイルスに集中していますので、世の中には良い影響を与えている移動する遺伝子(善玉ウイルス?)もある可能性があります。しかし、それについては殆ど研究されていませんので、もしかすると、頭の良し悪しや美貌の良し悪しなども移動する遺伝子の影響を受けているかも・・・

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