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津村建一郎先生

津村建一郎先生のコラム 『Every cloud has a silver lining』 東京理科大学工学部修士課程修了(経営工学修士)後、およそ30年にわたり外資系製薬メーカーにて新薬の臨床開発業務(統計解析を含む)に携わる。2009年にフリーランスとして独立し、医薬翻訳業務や、Medical writing(治験関連、承認申請関連、医学論文、WEB記事等)、翻訳スクール講師、医薬品開発に関するコンサルタント等の実務経験を多数有する。

第23回:英文和訳の軌跡

- 未知の分野の翻訳 -

今回は最近受託した英文和訳の仕事で、仕上げるのに散々苦労した翻訳業務を例に、翻訳の手順とポイントを追ってみましょう。

まずは、以下の英文(論文)をザッと眺めてください。これは、翻訳した英語論文からの抜粋で、タイトルと抄録の部分です。

原文はhttps://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3234102/pdf/zns15807.pdfを参照してください。

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タイトル:
Sustained Firing of Cartwheel Cells in the Dorsal Cochlear Nucleus Evokes Endocannabinoid Release and Retrograde Suppression of Parallel Fiber Synapses

抄録:
Neurons in many brain regions release endocannabinoids from their dendrites that act as retrograde signals to transiently suppress neurotransmitter release from presynaptic terminals. Little is known, however, about the physiological mechanisms of short-term endocannabinoid-mediated plasticity under physiological conditions. Here we investigate calcium-dependent endocannabinoid release from cartwheel cells (CWCs) of the mouse dorsal cochlear nucleus (DCN) in the auditory brainstem that provide feedforward inhibition onto DCN principal neurons. We report that sustained action potential firing by CWCs evokes endocannabinoid release in response to submicromolar elevation of dendritic calcium that transiently suppresses their parallel fiber (PF) inputs by >70%. Basal spontaneous CWC firing rates are insufficient to evoke tonic suppression of PF synapses. However, elevating CWC firing rates by stimulating PFs triggers the release of endocannabinoids and heterosynaptic suppression of PF inputs. Spike-evoked suppression by endocannabinoids selectively suppresses excitatory synapses, but glycinergic/GABAergic inputs onto CWCs are not affected. Our findings demonstrate a mechanism of transient plasticity mediated by endocannabinoids that heterosynaptically suppresses subsets of excitatory presynaptic inputs to CWCs that regulates feedforward inhibition of DCN principal neurons and may influence the output of the DCN.

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どうでしょうか?なんだかチンプンカンプンな文章ですね。とりあえずは、論文のタイトルを訳してみましょう。

翻訳の軌跡_ステップ1:何に関する文章なのか?を把握する

今回に限らず英文を訳す場合はまず、原文(上記のタイトルと抄録)を2回~3回ほど通読して、ポイントになりそうなKey wordsを探し出します。そして、探し出したKey wordsからこの英文が何に関する文章なのかをイメージします。
例えば、今回の英文では次の様な語句・・・

Neurons
Endocannabinoid
Dorsal Cochlear Nucleus
Cartwheel Cells
Parallel Fiber Synapses
auditory brainstem
dendritic calcium
submicromolar

これらは専門用語の様ですね。
さらに、専門用語以外で翻訳上重要と思われる語句として・・・

Firing
Suppression
Block
Inhibitor(inhibition)
spike trains
retrograde signal
plasticity
evoke
heterosynaptic

以上の様なKey wordsを眺めると、今回の論文は次の様な事項について検討しているのではないかというイメージが湧いてきます。

● 聴覚に関する神経の作用について検討しているらしい
● Endocannabinoidという神経伝達物資の作用について検討しているらしい
● Block、inhibition、suppressionなどから、何らかの作用を押さえ込むことを検討しているらしい

翻訳の軌跡_ステップ2:知らない(不明の)Key wordsを調べる

論文の内容がなんとなくイメージ出来たならば、選んだKey wordsを中心に、語句の意味や内容などをWebで調べましょう。

1)基礎知識の確認
以下の項目は、メディカル翻訳者としては当然知っている事項ですが、念のために復習しておきます。

① 神経細胞の構造
特に、樹状突起(dendrite)、シナプス(synapse)、神経伝達物質(neurotransmitte)等の位置や働きを確認してください。

神経細胞の構造
(出典:http://asanagi987.blog27.fc2.com/blog-entry-7874.html

② 耳の構造
特に、内耳(auris interna)、三半規管(three semicircular canals)、蝸牛(cochlea)等の位置や働きを確認してください。

耳の構造
(出典:https://aria.nikkei.com/atcl/cc/nh/100300009/061200018/

③ 脳の構造
特に、小脳(cerebellum)、脊髄(spinal marrow)、脳幹(brainstem)等の位置や働きを確認してください。

脳の構造
(出典:https://oshietekero.com/sekizuishonohenseisho

2)今回の翻訳に関連した知識(ここからが本番!)
次に、今回の翻訳に関連した未知の情報を得るために、以下の事項をWebで調べました。

① Dorsal Cochlear Nucleus(蝸牛神経核)
蝸牛神経核は、鼓膜で捕らえた音が蝸牛(cochlea)を通って大脳の聴覚野へ伝わって行く伝達経路において、延髄(medulla oblongata)から中脳(mesencephalon)・小脳(cerebellum)へと音情報(電気信号)を伝達する仲介ポイントのことです。
聴覚にとって重要なポイントであり、背側核(dorsal cochlear nucleus, DCN)と腹側核(ventral cochlear nucleus, VCN)から構成されています。

聴覚神経伝道路の図
(出典:https://medical.jiji.com/medical/011-0236-12

聴覚神経伝道路の図
(出典:http://www.anatomy.med.keio.ac.jp/funatoka/anatomy/cranial/cn8.html#3E

② Cartwheel Cell(Cartwheel細胞)
これについては散々Webを調べましたが、適確な日本語が見当たらず、殆どがスペルアウトでした。唯一「Cartwheel細胞」という記述が見つかりましたので、それを使わせてもらうことにしました。そして、このCartwheel細胞は本論文の中で重要な要素となっています。
Cartwheel細胞はDCN(蝸牛背側神経核)の神経細胞で、DCNに対する一連のニューロンの中で最も数が多いそうです。DCN内ではもうひとつ数の多いFusiform細胞というニューロンがありますが、Fusiform細胞はグルタミン酸作動性の興奮性神経細胞である一方、Cartwheel細胞はグリシン作動性の抑制性神経細胞として作用します。

蝸牛神経核の神経細胞 −概略図
蝸牛神経核の神経細胞 −概略図:Oertel and Young, 2004より一部改変。
(出典:https://www.ncnp.go.jp/nin/guide/r_diag/Research1-3.html

③ Endocannabinoid(内在性[内因性]カンナビノイド)
カンナビノイドは大麻などに含まれる麻薬成分で快感や幸福感を引き起こす物質です。1990年代に入るとヒトの体内で自然に生産される内因性カンナビノイドが発見され、さらに、その受容体であるCB1が脳などで多量に発現しており、神経伝達の抑制的制御に関与していると考えられています。

内在性[内因性]カンナビノイド
(出典:http://az-mail.tpilet.ee/vulecon88881.php [現在はサイトが閉鎖されています。])

④ Parallel Fiber Synapses(平行線維シナプス)
小脳の出力を担うプルキンエ細胞(Purkinje cell)は抑制性に作用する神経細胞で、平行線維(parallel fiber)と登上線維(climbing fiber)からの興奮性入力と、星状細胞(astrocytic cell)と籠細胞(basket cell)からの抑制性入力を受けています。平行線維は顆粒細胞(granular cell)の軸索で、顆粒細胞は橋、延髄、脊髄にあるさまざまな神経核から苔状線維(mossy fiber)を介して情報を受けています。マウスでは約10万本の平行線維が1個のプルキンエ細胞の遠位樹状突起(distal dendrite)にシナプスを形成していますが、個々のシナプスからの影響は弱い様です。一方、登上線維は延髄の下オリーブ核(inferior olivary nucleus)から伸びる神経細胞の軸索であり、成熟個体では個々のプルキンエ細胞に1本ずつの登上線維が結合しています。しかし、登上線維はプルキンエ細胞の近位樹状突起(proximal dendrite)に数百個のシナプスを有しているので、非常に強い影響をプルキンエ細胞に与えています。

成体における小脳を構成する主な神経回路
図 成体における小脳を構成する主な神経回路
(出典:https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2016.880621/data/

なんとまあ、ここまで調べるのにまるまる二日半を費やしてしまいました。
この様に、翻訳は英文自体を訳している時間よりも、準備段階として周辺情報や未知の事項を調べている時間の方がずっと長く掛るのです。ただし、一度調べて理解したならば、今後の類似した翻訳では調べる時間がうんと節約出来ます。

翻訳の軌跡_ステップ3:英文の構造を特定する-パート1

この中間時点で、タイトルの英文を解釈してみました。

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タイトル:
Sustained Firing of Cartwheel Cells in the Dorsal Cochlear Nucleus Evokes Endocannabinoid Release and Retrograde Suppression of Parallel Fiber Synapses
⇒ 蝸牛神経核内でのCartwheel細胞のSustained Firingによって内在性カンナビノイドの放出が喚起され、また、平行線維シナプスのRetrograde Suppressionが引きおこされる。

● Evoke=〔感情・記憶などを〕呼び起こす、喚起する、引きおこす
● 主語=Cartwheel Cells は意志を持たない細胞ですから、このタイトルは英語構文的に「無生物主語」構文となりますので・・・SによってOがVする・・・と言う訳になると考えられます。
● この英文はandで接続された複文ですので、Oは ①Endocannabinoid Releaseと②Retrograde Suppressionの二つになります。

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なんとなく論文のイメージが掴めてきましたが、まだまだ以下の準専門用語が残っていますね。

Sustained Firing
Retrograde Suppression

翻訳の軌跡_ステップ4:準専門用語を調べる

純粋な専門用語は、Web等で比較的簡単に見つけることができますが、準専門用語は類似の意味や用語、用法が多く、かなり丹念に調べないと誤解する危険があります。

① Sustained Firing
Firingを単純に辞書で調べると・・・

火を付ける[燃やす]こと;〔銃の〕点火、発砲;〔エンジンの〕点火、燃焼;〔従業員などの〕解雇;〔陶磁器の〕焼成

などが出てきますが、神経やシナプスと関係ありそうな訳語ではありません。

こういう時は、Firingに「神経(nerve)」とか「ニューロン(neuron)」などの関連語を付けてWebで検索してみましょう。すると・・・

「教えて!goo」で次の様な質問の投稿がヒットしました。(https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7371589.html)

● ニューロンにおけるfiringの意味:ニューロンに関する英語の論文を読んでいます。その中でfiringという語が出てきますが、どういう意味かわかりません。(中略)ニューロンが「興奮すること」だと私は思うのですがどうでしょう。専門用語だと思いますのでその分野のご専門の方教えてください。
まさにバッチリの質問ですね。早速回答をみてみましょう。

● 日本語の文献でも「発火」という言葉は頻繁に使われており、取りも直さずそれは、神経細胞に活動電位が発生することを指します。逆にこれは、英論文のfiringをそのまま訳したものです。

つまり、神経やニューロンでのfiringは日本語で「発火」と訳されているらしいことが解りました。めでたし、めでたし・・・というのはまだ早いです。
「教えて!goo」での回答は必ずしも公認された内容とは限りませんので、さらに別の項目をWebで探してみました。

すると「発火頻度(firing rate)」に関するアイテムが幾つか見つかり、その説明として「神経生理学:神経細胞の活動電位の頻度」と言うのが見つかりました(https://www.emf-portal.org/ja/glossary/2719)

さらに、J-STAGEのサイトに「同期発火現象(Synchronous firing)」についての文献(知能と情報、26巻(2014)3号)が掲載されていまして、次の様に説明されています。

ニューロン(神経細胞)は連続的な刺激の印加によって短い時間幅のスパイクを発生させる.この現象は発火と呼ばれ,脳内の情報処理において重要な役割を担うことは近年の脳科学における基本的な認識となっている.この発火による情報のコーディング方法としては,ニューロンの発火頻度,集団(グループ)の発火活動によるコーディング,短い時間間隔での発火パターンによる符号化などが考えられている.一方で複数のニューロンが同時(あるいはある一定の間隔を保って)に発火するなどニューロン同士が見せる発火のタイミングの関係性が重要であるとも考えられている.このような発火現象は同期発火(Synchronous firing)と呼ばれている.(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsoft/26/3/26_113_1/_article/-char/ja/)

と、言うことで、神経やニューロンでのfiringは日本語で「発火」と訳されていることが確認出来ました。この様に、Web検索ではひとつの記事がヒットしたならば、その発信元をチェックし、信用度が低い場合はその他の類似記事も検索して、確認することが重要です。

以上のことから Sustained Firing は「持続的な発火」と訳せることが解りました。

② Retrograde Suppression
Suppressionは「抑制」だよね・・・と思った方、それは危険です。ここは「Retrograde-Suppression」とone wordにして、さらに「内在性カンナビノイド」を組み合わせてWeb検索しましょう。
すると「内因性カンナビノイドによる逆行性シナプス伝達調節のメカニズム(生化学 第83巻 第8号,pp.704―714,2011)」と言う論文がヒットしました。その抄録によりますと・・・

・・・内因性カンナビノイドは,シナプス後部のニューロンで産生され,シナプス前終末に局在する1型カンナビノイド受容体を逆行性に活性化し,神経伝達物質の放出を短期あるいは長期に抑制する.この分野の最近の進展として内因性カンナビノイド産生酵素のノックアウトマウスが作製・解析され,長年の疑問であった逆行性シグナル伝達を担う内因性カンナビノイドの分子実体が解明されたことがあげられる.・・・(http://www.jbsoc.or.jp/seika/wp-content/uploads/2013/05/83-08-03.pdf)

というまさにドンピシャの情報が得られました。このことから、Retrograde Suppressionは「逆行性シナプス伝達調節」という訳があてはまることが解りました。

以上の検索から、タイトルの英文の翻訳は次の様になることが解りました。

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タイトル:
Sustained Firing of Cartwheel Cells in the Dorsal Cochlear Nucleus Evokes Endocannabinoid Release and Retrograde Suppression of Parallel Fiber Synapses
⇒ 蝸牛神経核内でのCartwheel細胞のSustained Firing持続的発火によって内在性カンナビノイドの放出が喚起され、また、平行線維シナプスのRetrograde Suppression逆行性シナプス伝達調節が引きおこされる。

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このドンピシャの(和文)論文を見つけられたことで、今回の英文和訳作業はウンとはかどりました。

この様に、関連情報を根気よく調べる事で、今回の様にドンピシャの情報に巡り会うという幸運が訪れることもあります。

以上の様に、翻訳とは単にある言語を別の言語に置き換えるだけではなく、そのベースにある様々な情報を丹念に調査することで、さらに深く、正確な翻訳が出来ると言うことを忘れないで頂きたいです。

最後に、冒頭の抄録の和訳を参考までに示します。
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抄録
多くの脳領域内のニューロンはその樹状突起から、シナプス前末端からの神経伝達物質の放出を一過性に抑制するための逆行性シグナルとして作用する内在性カンナビノイドを放出している。しかし、生理的条件下で内在性カンナビノイドにより誘発された短時間の可塑性に関する生理学的メカニズムは殆ど解明されていない。今回我々は、マウス聴覚脳幹の蝸牛神経核(DCN)にあるcartwheel細胞(CWC)からのDCNの主ニューロンに対する正方向阻害を引きおこすカルシウム依存性内在性カンナビノイドの放出について検討した。CWCによる持続的な活動電位発火により樹状突起内カルシウムのマイクロモル以下の上昇に応答した内在性カンナビノイドの放出、並びに、平行繊維(PF)からのインプットが70%以上抑制されることが起こることを報告する。基本的な自発性CWC発火頻度ではPFシノプシスの持続的抑制には不十分である。しかし、PFを刺激することでCWCの発火頻度を増加させると、内在性カンナビノイド放出の引き金となり、また、PFからのインプットの異シナプス性抑制の引き金となる。内在性カンナビノイドによるスパイクで誘発された抑制によって興奮姓シナプスが選択的に抑制されるが、CWCに対するグリシン作動性/GABA作動性のインプットには影響されない。我々の所見より、内在性カンナビノイドによって媒介された一過性の可塑性のメカニズム、即ち、内在性カンナビノイドが異シナプス性にCWCへの興奮姓シナプス前インプットのサブセットを抑制し、DCNのアウトプットに影響を与えていると考えられることが明らかになった。

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