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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム
『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗
第13回
Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき
ワールドカップ・カタール大会が閉幕しました。午前0時や午前4時の開始が多く、サッカーファンの会社員にとっては過酷な大会だったかもしれません。ただ、気合いさえあれば全64試合を観られたはずです。2002年の日韓大会は、自国開催だけにそれがかないませんでした。日本がチュニジアを下して初の決勝トーナメント進出を決めた一戦も、キックオフは金曜日の午後3時半です。
営業中にサボる後ろめたさを感じることなく堂々と全部観るには、会社を辞めるしかない。ワールドカップは、私が何の関係もなかったフリーランス翻訳者という道を選んだきっかけになりました。結局、その年の春に個人事業主となり、伝説のチュニジア戦も現地大阪で観戦できました。
その後、主にサッカー関係の翻訳をするようになってワールドカップにも関わってきましたが、今回は世代交代的な感覚で見送り(深夜仕事だし結構な重労働なんです)、20年ぶりに大会を純粋に楽しむことができました。関連の報道にも、翻訳する側だった時よりも積極的に触れました。
日本代表関連で印象に残ったフレーズがa bird’s eye viewです。2-1でまさかの勝利を収めたスペイン戦の決勝ゴール。それをもたらしたのは三苫選手が滑り込みながら左足で上げた執念のクロスでしたが、その瞬間にボールはすでにwent over the line、つまりゴールラインを割っていたように見えたため、各国のテレビやSNSで大論争を招きました。
それに終止符を打ったのが、a photo from a bird’s eye view、つまり真上からの写真です。たしかに横からの映像ではボールの接地面がラインを越えていたものの、国際サッカー連盟(FIFA)が定める競技規則にはこうあります。
The ball is in play "if the curvature of the ball is
こちらのoverは「越えた」ではなく「真上」の意味。つまり(真上から見て)curvature (ボールの曲面)がライン上に少しでもかかっていればプレイは切れない、ということです。
Other social media users explained how
SNSでは、ボールがラインを割っているようで真上から見ると実は割っていないことを説明する動画や写真が多数アップされました。結局、映像解析によって1.88ミリだけボールがライン上に残っていたことが判明。紙一重ならぬ、太麺スパゲティー1本の勝利でした。
そして大会MVPに輝いたのはアルゼンチンのメッシ選手。もはや誰もが認める史上最高のサッカー選手ではありますが、私は異論を唱えます。異論というより、自分だけにとっての史上最高の選手というのを、誰しも持っていていいと思うのです。
私にとってはドラガン・ストイコビッチ、通称ピクシー。地元のチーム名古屋グランパスで活躍し、そのワールドクラスをも超越するプレイを何度も直に見たからです。
ピクシーの何がすごかったのか(翻訳者として「すごい」というある意味万能な言葉は忌避しているのですが、ピクシーはすごすぎるので使います)を振り返っているうちに、こう思うようになりました。翻訳者はピクシーを目指すべきだと。翻訳学校でもこれを熱弁してよくポカンとされるのですが、改めて主張させていただきます。
まず、奇想天外。思いも寄らぬ急所にパスを出し、相手の守備陣を驚愕させるだけでなく観客の度肝を抜きます(味方さえついて来られずゴールにならないことも)。プレイ中の選手は普通、ground-level viewしか持っていません。ボールに近すぎて、俯瞰では見られない。だからスタジアムやテレビからbird’s eye viewで観ているど素人の観客やテレビ視聴者に「なんであそこにパスを出さないんだ!」と失望されがちです。
一方、ピクシーはピッチ上にいながらゲーム全体をプロの視点で見られるのです。これは、優れた翻訳にも欠かせません。自分で書いた訳文は、なかなか客観的に見られないものです。熟考しているうちに各文や各語句に接近しすぎ、全体像が見えなくなります。しかし、それを読む人がどう解釈し、どう感じるかを推し量るには、読み手の視点で俯瞰してみる必要があります。このbird’s eye viewがないと、読み手に想定外の解釈をされたり、自分では伝えたつもりでも伝わらなかったりします。
さらに、ピクシーはパス、トラップ、ドリブル、シュートのどれを取っても一級品。パスだけでも1本で局面を打開するロングパスから相手を切り裂くスルーパスまで、至高のパターンをいくつも持ち合わせています。そして、その中から場面に最も適したプレイを、瞬時の判断で繰り出すのです。
翻訳者も、こうあるべきです。つまり、原文1文に対して、硬め、柔らかめ、わかりやすさ重視、簡潔さ重視など、さまざまなパターンで上質な訳を出せるようにしておく。そして、文脈に応じて最適解を提供する。機械には決してできないことです。
いかがでしょう?ちょっと強引だったかもしれませんが、ワールドカップの余熱が冷めやらない中ということでご勘弁いただければと思います。
あっ、最後に訂正させてください。スペイン戦の勝利はどうせならスパゲティーより日本食でたとえたかったのですが、蕎麦じゃ細すぎるし、うどんじゃ太すぎる…と思っていたら、わが名古屋メシに厚さ1.8ミリのものがありました。というわけで言い換えます。
スペイン戦は、きしめん一重の勝利でした!(幅じゃなくて厚さです)
引用文献
*1)Jones, R. (2022, December 2) New angle emerges of controversial Japan goal that knocked Germany out of World Cup.
https://www.mirror.co.uk/sport/football/news/germany-japan-world-cup-goal-28634350
*2)Ramsay, G. (2022, December 2) Did the ball cross the line? Japan reaches World Cup knockout stages with hotly debated goal.
https://edition.cnn.com/2022/12/02/football/japan-world-cup-goal-spain-spt-intl/index.html
村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。
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