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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第17回

SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

ネット上のどこで始まるのか、新語が生まれては消えていきます。新語といっても一から作った言葉というより、組み合わせを少し変えたものや、それを短縮したものがほとんどです。最近よく見かける「タイパ」もそう。「コスパ」と一緒によく使われていることもあり、何となく意味を推測できました。

 

タイ焼きパーティー?いや、「パ」はおそらくコスパと同じでパフォーマンス、「タイ」は…タイムかな?思ったとおり「タイム・パフォーマンス」の略で、時間効率みたいな意味のようです。三省堂の「今年の新語 2022」大賞を受賞したそうで、最近見つけた私はかなり遅れていました。

 

たとえば私もやりがちな動画を倍速で観る行為は「タイパがいい」とされていますが、本来の意味は単純に「時短で済ませられる」ということではないはずです。

  

「コスパがいい」というのも、ただ単に「安い」というより、食べ物であれば「安くておなかいっぱいになる」(cheap and filling)、一般的には「少ない費用で満足できる」ということであり、それに基づけば「タイパがいい」とは「短い時間で満足できる」という意味かと思われます。

  

英語で表すならquick and satisfying というより、quick and gratifyingかなと。というのも、ここでいう「満足」はsatisfactionよりも軽い気がするんです。パフォーマンス(成果)をパの1文字で表しているのも要因かもしれませんが、「時短で素早く」の裏には「労力をかけずにサクっと」のニュアンスもあるはずです。

  

だとすれば「努力の末に充足感を味わえた」というよりは「手軽に欲望を満たせた」、「労せず喜びを感じられた」ということで、gratificationのほうが近いかなと。instant gratification(すぐ得られる喜び)が最適かもしれませんね。

  

そもそもtime performanceというフレーズは英語になく(on-time performanceであれば「交通機関などの定時運行率」の意味で使えます)、これを英語で表すならtime-efficiency あるいは time-effectivenessでしょうか。

  

今度はefficiencyとeffectivenessの違いについて改めて考えてみると、efficiency(効率)は「やり方」の話。そのやり方でどこに向かうか、は問題にせず、たくさん進むことができればefficientだということ。一方、effectiveness(効果)は「目的」の話。ちゃんと目的に向かっていればeffectiveだということ。efficiency は大きさだけを問うスカラー、effectivenessは方向を持つベクトル、という言い方もできそうです。

  

本来、タイパはtime-effectiveness、つまり時間効率というより時間対効果を意味するものなのかもしれませんが、やはり言葉の軽さ、使われ方のチャラさのせいか、目的までは意識せず、目先しか考えていないという印象で、せいぜいtime-efficiency止まりかなと思います。

  

たとえば倍速での動画視聴も、結局はinstant gratificationを得るためのものであり、動画を観る真の目的まで意識しているようには思えません。動画を観て本当に得たいものは何なのか。それが「心に刺さるインスピレーション」だとすれば、視聴のしかたは変わりそうです。

  

ですから、needやwantを満たすsatisfactionとeffectivenessは重厚、desireを満たすgratificationとefficiencyは軽薄、という分け方ができるかもしれません。明確な線引きができるわけではなく、特にefficiencyにネガティブな意味合いは普通ありませんが。

  

翻訳業のタイパについて考えてみると、短時間で大した労力をかけることなく手軽に喜びを味わえる仕事とは、とても思えません。ですから、タイパは悪いということになるでしょう。むしろ、タイパとは対極にある仕事ではないでしょうか。必要なスキルを身に着けるには、時間も労力もかかる。でもその先には、計り知れない充足感が待っている。

  

そうしたsatisfactionを与えてくれる仕事ということで、翻訳業はrewardingだといえます。ということは、タイパとrewardingは真逆、つまり「タイパが悪い仕事こそ、やりがいがある」。これが、最近知ったタイパという言葉についていろいろ考えてみた末の結論です。

  

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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