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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第30回

Another Version of Me:違う「世界線」の自分

他人より自分と比べよう

The grass is always greener on the other side. 人はついつい他人と比べてしまうもの。そして、隣の芝は青く見えるものです。

比較対象の他人も劇的に増えました。ネット上には赤の他人が無数にいます。同じ年代の人、同じ地域の人、同じ職業の人、同じ立場の人。情報が本当だか嘘だか定かでない、実像だか虚像だかわからない相手にもかかわらず、彼らと自分を比べがちです。

そして、自分より恵まれた人たちと比べがちです。すると、自分が相対的に満たされていないように感じ、前回お話しした物理的・社会的な充足感は下がり、不幸せを感じることになります。

かといって、自分より恵まれていない人たちと比べるというのも、いかがなものでしょうか。他人の不幸は蜜の味、というやつです。英語ではドイツ語から借りてきたschadenfreude(シャーデンフロイデ)という言葉があります。品性は堕落し、向上心もなくなるでしょう。

ならば、「恵まれていない自分」と、今の自分を比較してはどうでしょうか。20年以上、翻訳を稼業としてきましたが、つらいこともありました。収入が思うように伸びず、取引先を増やすために売り込みが必要になったことも。

そんな時も、「魅力的ではない自社商品」の営業をしていた過去の自分と比べることで、前向きな気持ちになれました。自分の翻訳力という「自分の努力次第で魅力を高められる商品」を売り込むなんて、あの頃に比べたら楽だし、収入に直結してやりがいもあるではないかと。

比較対象は仮想の自分でもかまいません。初めての通訳ガイドの仕事の前に、先輩にこう見送られて気持ちが軽くなりました。「お客さんを連れて無事に帰って来るだけでいいから」

今もガイディングが思い通りにいかなかったとき、バス車内で大爆笑が起きるはずがスベって静まり返ってしまったとき、「お客さんをサービスエリアかどこかに置き去りにしてしまった」という、考えただけでゾッとする異世界の自分を想像して「まあまあ、それに比べれば」と気を取り直します。

そのほか、待ち合わせに遅刻した自分と「約束を完全にすっぽかした自分」、ドライブデートを盛り上げられなかった自分と「焦って事故に遭った自分」、なかなか貯金ができない自分と「借金まみれの自分」などなど。比較したところで状況が変わるわけではありませんが、「それに比べれば大したことないか」と気持ちを上げることはできます。

そうやって自分とばかり比べていると、他人は比較対象ではなくなります。妬みやシャーデンフロイデは消え、特に身近な人ならその成功を心から喜び、目標として敬い、あるいは同情や慈悲を向けられるようになります。ゴルフ練習場でついつい隣の人のスイングが気になってしまう私自身、まだその境地に完全に達したわけではありませんが。

「世界線」を英語で表現すると…

こういう異世界、multiverseの中のひとつの世界のことを、いつからかネット上を中心に「世界線」という言葉で表現するようになりました。parallel worldという言葉もありますが、たとえば別の世界線の自分であれば、こんな言い方がより自然です。

a version of me who completely forgot about the appointment and stood them up
(もっとカジュアルにa me who… とすることも)

あるいは、a world where という表現も使えます。
I wish I could see a world where he thrives in Major League Baseball.
「彼がメジャーリーグで活躍する世界線が見たかった」

いずれもmultiverse、つまり無数に存在するパラレルワールドのうちのひとつですから、基本はtheではなくa version of me(またはa me)、a worldになります。

別の世界線の自分と比べる際には、注意が必要です。その世界に入り込みすぎると、現実世界でのヤケドに気づかなくなることも。たとえば、私が計画したある事業は当面の間、毎月数十万円の赤字を出す見込みでした。ぜひやりたかったものの、冷静に計算して泣く泣く断念したのですが、その事業に飛び込んで赤字を垂れ流し続けている自分を比較対象にしたのです。

毎月数十万円を失っている世界線の自分と比べたら、財布の紐を緩めてもっと買ったり食べたり旅行したりしたところで、全然大したことないではないかと。その結果、ますます貯金がたまらなくなったのでした。。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第37回:Demure:ジョークの「奥ゆかしさ」がトレンドに

第36回:Birds of a Feather:最近の洋楽ヒット曲に学ぶ英語表現

第35回:Swing States:無視される大都会

第34回:EqualityとEquity:そしてFairness、Justice

第33回:Resolution:その翻訳、「解像度」は足りていますか?

第32回:Frailty:フレイルと猛暑そして大統領選

第31回:Special moment:「特別な瞬間」よりも自然に訳すコツ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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