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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第37回

Demure:ジョークの「奥ゆかしさ」がトレンドに

2024年の流行語

前年に続いてWord of the Yearを振り返ると、2024年はbrat(やんちゃな子)がCollins Dictionaryの流行語大賞に選ばれました。

これはイギリス出身の女性ミュージシャン、チャーリーxcxが夏にリリースしたアルバム『brat』に由来するもの。前回のヒット曲紹介には入れられませんでしたが、彼女のインタビュー記事も翻訳したことがあります。当時この国での知名度はまだまだだったものの、歌舞伎町や大黒ふ頭でミュージックビデオを撮影するなど、あふれる日本愛を感じたものです。

そのチャーリーの新譜が、昨夏アメリカを席巻しました。ヒットチャートを駆け上がるだけでなく、黄緑にシンプルな書体でbratと書いただけのカバーはSNSを駆け巡りました。

言葉が流行するとき、その使用数が劇的に増加するとともに、新たな意味やニュアンスを帯びるとされています。bratは「やんちゃな子、悪ガキ」という、どちらかというとネガティブな意味を持つ単語ですが、ポップカルチャーでは「周囲に流されることなく自分らしさを全面に出す人」というポジティブな定義で使われるようになりました。

それに便乗したのが民主党のカマラ・ハリス大統領選候補です。バイデン大統領が次期選挙から撤退してハリス氏が引き継ぐことが決まると、チャーリーがXで ”kamala IS brat” とツイート。すると、ハリス陣営はヘッダーを黄緑に塗り、アルバム同様小文字で ”kamala hq” と入れました。

チャーリーとしては、(かつてのボブ・ディランのようにアーティストとして政治的発言をしたわけではなく)、bratのポジティブなイメージをハリス氏に感じただけだと、のちに説明しています(そもそもイギリス人であり大統領選で投票できるわけではない、とも)。

ただし、自身のアルバムのビジュアル利用や自身のツイートへの便乗について、”to prevent democracy from failing forever”(民主主義の永続的失墜を阻止するため)に歓迎するとも述べています。

ハリス氏を候補者としてendorse(正式に支持)したわけではないが、その政治姿勢はembrace(個人的に応援)する、ということでしょうか。

意図せぬ言葉の利用が横行しやすい時代

Dictionary.comの流行語大賞に輝いたのは、bratとは対極的なdemure(控えめな、奥ゆかしい)です。

bratの流行が夏だったのに対し、demureは秋。bratへの反動から生まれた流行語のようにも見えます。発端は、これをきっかけにインフルエンサーに仲間入りした、ジュールズ・レブロンのTikTok動画でした。

MtF(Male to Female)トランスジェンダーのレブロンさんが出勤前に車内で自撮りしながら、職場へ行く時の身支度は”very demure, very mindful”(めちゃくちゃ控えめに、めちゃくちゃ配慮して)と、あまりdemureとは思えないルックと物言いで視聴者に訴えました。これが大いにバズり、ジェニファー・ロペスなどの著名人もパロディーをポストしました。

その影響は世界各地のファッションショーにもおよび、数々の有名ブランドがdemureなスタイルを採り入れるに至っています。

demureはそれまでのbratの流れに対するカウンターとして放たれた言葉のようで、実は単なるジョークだったと、レブロンさんはのちに認めています。自分らしく生き、自分らしく着飾る、むしろbratの彼女が、それとは真逆の奥ゆかしさを強調することで、そのギャップを楽しんでもらおうとしたのでしょう。

しかし、ファッション業界は発信元の本来の意図など、気にも留めません。バズった言葉をうまく利用するだけです。そんな商業利用や、bratの例に見るような政治利用が、発信元と利用者の関係がwin-winである限り、引き続きSNSによって加速していくでしょう。「ほんとはこういう意味だったんだけど…まあいっか」という感じで。

Words of the Yearウォッチャーとしては、今後もその辺りに注目していきたいと思います。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第37回:Demure:ジョークの「奥ゆかしさ」がトレンドに

第36回:Birds of a Feather:最近の洋楽ヒット曲に学ぶ英語表現

第35回:Swing States:無視される大都会

第34回:EqualityとEquity:そしてFairness、Justice

第33回:Resolution:その翻訳、「解像度」は足りていますか?

第32回:Frailty:フレイルと猛暑そして大統領選

第31回:Special moment:「特別な瞬間」よりも自然に訳すコツ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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