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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第38回

Inauguration:トランプ大統領就任演説を聴いて

相手の暴力が与えた説得力

1月20日、トランプ大統領の二度目となる就任演説をライブ視聴しました。最初に感じたのはリラックスした話しぶりです。えっ、これが全世界の注目を集める演説?だだの記者会見じゃなくて?と錯覚するほど力まず、淡々と聴衆に語り掛けます。

もちろん、寒波襲来のため40年ぶりに屋内での実施となったこと、そしてプロンプター(ガラスに原稿を投影する装置)を読んでいたこともあるでしょう。それにしても、賛否の分かれる新大統領の胆力は、大勢のアンチも認めざるを得ないのでは。

私は後日、湯船につかりながらスマホで演説を再生し、シャドウイングする形で声に出してみましたが、そんな環境でもあれほどリラックスして話せませんでした。

そして、言葉の平易さ。普段からシンプルな英語で話す印象がありますが、演説でも難しい単語や表現はほとんどありませんでした。唯一、難易度がやや高めだったのは、本題への導入部分です。

But first, we must be honest about the challenges we face. While they are plentiful, they will be annihilated by this great momentum that the world is now witnessing in the United States of America.
(ですが、まずは直面する課題にまっすぐ目を向けなければなりません。課題は山積しています。ただし、全世界が目の当たりにしている、アメリカ合衆国のとてつもない勢いによって、いずれ解消されます。)

これは毎度のことですが、文にピリオドが打たれるたびに鳴り響くapplause(拍手喝采)。あちらのspeakerは慣れたもので、「喝采待ち」の間を置きます。自然に起きているのか、余白に促されて起きているのか、もはや分かりません。

喝采が明らかに自然発生した、前半最大の盛り上がりは、このパートでした。

Just a few months ago, in a beautiful Pennsylvania field, an assassin’s bullet ripped through my ear. But I felt then and believe even more so now that my life was saved for a reason. I was saved by God to make America great again.
(ほんの数カ月前、ペンシルバニアの美しい野原で、凶弾が私の耳を切り裂きました。しかし、当時こう感じたのです。そして、今や確信するに至っています。私の命は、理由あって救われたのだと。私は神に、アメリカを再び偉大にすべく、救われたのです。)

Make America Great Again、略してMAGA。2016年選挙の前から繰り返されてきたスローガンですが、 これほど重く響いたことがあったでしょうか。トランプ大統領の言葉に説得力を与えたもの。それは、敵対者の暴力です。自分の考えと違うから、意に沿わないから暴力に頼る。その結果、どうなったでしょう。

狙撃されたトランプ氏は、退場を余儀なくされながらも拳を上げるパフォーマンスによってピンチをチャンスに変え、選挙キャンペーンに勢いをつけ、圧勝して絶対的スローガンにストーリーを与えました。前述の胆力も、この経験によって深まったことでしょう。

具体的すぎてinspirationに欠ける?

さらに、具体的な政策宣言を連発してapplauseを加速させます。移民関連など、2つの国家非常事態宣言(declare a national emergency)を予告。この辺りの主語はI(私は)が目立ちました。その後、we(我々は)が増えていきます。

ただし、このweは「我々アメリカ人は」でなく「我々政府は」のwe。引き続き具体的な方針を並べていきます。

We will pursue our manifest destiny into the stars, launching American astronauts to plant the Stars and Stripes on the planet Mars.
(星々を開拓するという我々の明白なる使命を追求し、アメリカの宇宙飛行士を送り込んで火星に星条旗を打ち立てます。)

ここでカメラが抜いたのは、プロジェクトに関わるイーロン・マスク氏が喜ぶ様子です。国民への約束なのか、一個人への約束なのか。なお、manifest destinyは西部開拓時代から使われている、領土拡大を正当化するスローガンです。

政策を具体的に語るという点では、良い演説と言えるかもしれません。ただ、inspirationalな(心を突き動かす)演説には聞こえません。自分が部外者だから、という理由以外に、政府を表すweでなく聴衆を巻き込むweが、ここまで少なかったのも一因と考えます。

そのweは、終盤に入ってようやく増えます。ただ、いまひとつ刺さらないのはwe will be respected、we will not be conquered、we will not be intimidatedのように受動態を多用したからでしょうか。あのYes, we can! のような「こうするんだ!」という力強さを感じるのは、はやり能動態です。その形が、最後の最後で出てきました。

We will stand bravely, we will live proudly, we will dream boldly, and nothing will stand in our way because we are Americans. The future is ours, and our golden age has just begun.
(勇敢に立ち向かい、誇り高く生き、大胆に夢を見ましょう。さえぎるものなど、何もありません。なぜなら、我々はアメリカ人だからです。未来は我々のものであり、黄金の時代は今、始まったばかりです。)

相変わらず淡々とした口調のまま、演説を締めくくるトランプ大統領。せめてここだけは、もうちょっと力を込めても良かったんじゃないかと思いましたが…

なお、inaugurationは就任または就任式、就任演説はinaugural speech、動詞のinaugurateは他動詞で「就任させる」、あるいは「(新時代を)始める」の意味で使います。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第38回:Inauguration:トランプ大統領就任演説を聴いて

第37回:Demure:ジョークの「奥ゆかしさ」がトレンドに

第36回:Birds of a Feather:最近の洋楽ヒット曲に学ぶ英語表現

第35回:Swing States:無視される大都会

第34回:EqualityとEquity:そしてFairness、Justice

第33回:Resolution:その翻訳、「解像度」は足りていますか?

第32回:Frailty:フレイルと猛暑そして大統領選

第31回:Special moment:「特別な瞬間」よりも自然に訳すコツ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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