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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


会社辞めて地方に移住して
翻訳始めて兼業主夫と
イクメンやってみた
鈴木泰雄

第4回

実務翻訳者としてデビューしたけれど、ホントにやりたいのは・・・

当初、私が目ざしていたのは社会・文化系のノンフィクション書の翻訳でした。まず考えたのは、ベテラン翻訳家の下で修行を重ねた末に編集者に紹介してもらうか、翻訳者を公募するコンテストを突破するか。でも、翻訳家にコネはなく、コンテストを勝ち抜くだけの力もまだない・・・。

◆スタートは実務翻訳、ゴールは出版翻訳

そこで選んだのが、自分の強みを生かせそうな実務翻訳で経験を積み、それを土台にして出版翻訳へと仕事を広げていく道でした。すでに40代だったので、翻訳者として通用するかを早く見極めるとともに、一定の収入を確保する狙いもありました。さらに言えば、実戦こそが翻訳力を磨く近道だとも考えました。

一歩前進。だけど、目標とは大きなギャップが

そこで、前回紹介したように翻訳会社に登録し、事務所訪問(「上京カード」)を経て、徐々に翻訳会社から声がかかり始めました。
でも、初めはまだまだ準レギュラー級。レギュラー級の翻訳者が引き受けなかった雑案件が回ってくる感じでした。中でも、翻訳業に転じる直前が環境系大学の職員だったためか、専門外の環境分野が多かったのです。
また、実務翻訳と出版翻訳では、同じ翻訳業でも受注先が違います。前者は企業や官公庁などから依頼を受けた翻訳会社が、社内のコーディネーターを通じて登録翻訳者に発注します。後者は出版社の編集者が翻訳者を決めます。
さらに、実務翻訳の読み手はたいてい依頼元の関係者ですが、出版翻訳は不特定多数の一般読者です。分量や納期の長さも違います。そして、翻訳会社に納品したら手を離れる実務翻訳と違い、書籍ではゲラに何度も手を入れて最終稿まで仕上げます。

◆「飛び石作戦」で描いた道筋

さて、こうしたギャップをどうやって乗り越えるか?
そこで考えたのが下図のような「飛び石作戦」です。翻訳専業に転じて1年目に実際に作成した図ですが、ここでは会社名を実名からA社などと置き換えた上で、説明のために①~⑤の番号を書き加えてあります。

“Island Hopping Strategy”/“Stepping Stone Strategy”とは

この作戦は、かつて経営学の授業で学んだ「飛び石戦略」("Island Hopping Strategy"または"Stepping Stone Strategy")そのものです。第二次世界大戦中、アメリカはこの戦略に沿って島伝いに("island hopping”)太平洋を越え、日本を攻略したと言われています。こう書くと壮大ですが、大きな屋敷や寺などで、飛び飛びに置かれた踏み石(”stepping stones”)を伝って門から玄関にたどり着くのと同じこと。
つまり、一気に到達できない遠い目標を攻略するため、現有の戦力を生かせる途中の島(または踏み石)を順に攻略し、戦力を補強しながら最終目標を目ざします。なお、一般に“strategy”の訳語は「戦略」ですが、私には大げさなので「飛び石作戦」と呼んでいます。

私流「飛び石作戦」

先ほどの図に戻ると、「出版」「実務」「その他」という種別を横方向に、「社会・文化」「ビジネス」「環境」「その他」という分野を縦方向に並べました。スタート地点は①の「実務翻訳×環境分野」、目ざすゴールは④の「出版翻訳×社会・文化分野」です。
接点がないこの2地点をつなぐため、私は「ビジネス」の分野に“踏み石”を置くことにしました。経歴上、最もアピールしやすく、しかも、実務翻訳でも出版翻訳でも需要が多そうな分野だったからです。

「飛び石作戦」でホップ・ステップ・ジャンプ

つまり、何とか足場を築けた実務翻訳でビジネス分野の経験を積み(図中①→②)、それをテコにビジネス書の出版翻訳に進出(→③)。そこから社会・文化分野のノンフィクション書の翻訳につなげていく(→④)という作戦です。
いかにも「とらぬ狸の皮算用」ですが、これを自分の「現有の戦力」(翻訳力と経験)を活用しながら「最終目標」に近づくためのルートと想定しました。とはいえ、駆け出しの身には仕事ひとつもらうだけでも厳しい世界と痛感していたので、「何年以内に」という時間的な目標は設けませんでした。

◆「飛び石作戦」スタート!

翻訳会社へのアプローチ(図中①→②)

最初のステップとして、当時、接点があった翻訳会社(図中のD社・E社など)に対して、ビジネス分野をやりたいことを機会あるごとにアピールしました。前回触れた上京カードも使いましたし、医療や技術など完全に専門外の案件が回ってきても断り、「次はビジネス分野を」とお願いしました。
その結果として徐々にビジネス分野の案件が増加。その中には経営誌、新聞記事、ウェブ記事を翻訳する仕事もありましたし、時にはビジネス書の下訳も。どれもまさしく実戦を通じた出版翻訳の修行であり、後には出版社へのアピール材料にもなりました。

出版社へのアプローチ

その一方で、リーディングの仕事を通じて出版社や編集者との接点を探りました。リーディングというのは出版社が版権の取得を検討中の原書を読み、内容を簡潔にまとめた上で、日本で訳書を出版する意義や市場性などを評価する仕事です。1件1~3万円と“タイパ”は最悪ですが、出版翻訳への入口として20~30冊はこなしたと思います。

ビジネス書に進出(②→③)

そんなある日、たびたびリーディングを受注していた出版社がビジネス書の翻訳者を公募しているのを発見。さっそく課題文を翻訳して応募したところ、合格して初の翻訳書が決まりました。
嬉しくて上京カードの要領で出版社に挨拶にうかがうと、編集者から「実は鈴木さんが応募してくれないかと思ってました」という意外な一言が・・・。「それなら公募せずに依頼してよ」と心の中で叫んだことを覚えています。
その出版社からは公募の件を一切知らされていなかったので、いわゆる出来レースではありません。翻訳会社向けの記事翻訳や下訳と出版社向けのリーディングを並行して手掛けてきたことが、こんな形で結実したのだと思います。

社会・文化系のノンフィクション書へ(③→④)

その後は出版社に働きかけて、ビジネス書だけでなく目標だった社会・文化系のノンフィクション書も何冊か担当しました。中には上京カードで獲得したものもあります。
上京して出版社を訪れたところ、ふと思い出したように編集者が「〇〇分野は得意ですか?」と尋ねてきました。「専門じゃないけど好き」と答えると、事務所の奥から原書を取り出してきて社会・文化系の新刊書を任されることになったのです。

◆ふたたび出版翻訳から実務翻訳へ

実務翻訳と出版翻訳を掛け持ちしながら飛び石作戦に沿って進んできましたが、同時並行ゆえに、どちらも中途半端になったことは否定できません。

二正面作戦の限界

実務翻訳と出版翻訳では取引相手が違うだけでなく、仕事(受注~納品)や収入(キャッシュフロー)のサイクルも違います。さらにライフキャリア的な観点からも、「職業人」として実務・出版翻訳を両立させつつ、それ以外の役割をこなすのはとても大変です。スケジュール面でも体力・気力・家計の面でも負担が大きすぎて、実務も出版も泣く泣く打診を断ることが少なくありませんでした。

実務翻訳で生きた出版翻訳の経験(④→②⑤)

結局、それまでの方針を改めて実務翻訳に絞ることにしました。
ただ、駆け出し時代と違って幅広い経験を積んだ後なので、ビジネス分野に加えて、国連機関や国際NPOが依頼元の社会・文化系や国際関係系の案件も頼まれるようになりました。また、書籍を翻訳した経験を買われてか、コンペ用の試訳の依頼も増えました。

◆自分の強みが生きる道

仕事であれ、家事・子育てであれ、趣味であれ、誰にも積み重ねてきた知識や経験があります。そして、日本語に訳すべき文書や書籍の分野や内容は多岐に渡ります。だから、需要の大小は別にして、自分の強みが生きる翻訳の仕事が幅広く存在します。それをたどって進んでいく先に、目ざすゴールが見えてくるかもしれません。



次回はフリーランス翻訳者を「続ける」ための「3つの忍耐」を取り上げます。

鈴木泰雄 京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。

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