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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム
会社辞めて地方に移住して
翻訳始めて兼業主夫と
イクメンやってみた
鈴木泰雄
第9回
二人のキャリアを両立させるための「家事・子育て共同分担制」
前回までは、翻訳業と家事・子育てを両立させる工夫についてでした。今回取り上げるのは、夫婦のキャリアを両立させるための家事・子育ての分担方法です。
◆原点は友人の一言
地方にIターンして私が自宅で翻訳業、妻が勤め人という形で共働きを始めたときから、双方のキャリアをできるだけ等しく大切にするつもりでした。そう考えたのは、留学時代のアメリカ人の友人の言葉が心に残っていたからです。「僕の在学中はパートナーが働き、卒業後は僕が働いて彼女が進学するんだ」という言葉通りに、彼が卒業して就職すると、今度はパートナーが仕事を辞めて学校に通い始めました。そうやってお互いのキャリアを両立させようとする姿勢が、初めて海外で暮らす私にはとてもフェアに感じられたのです。
一方、そんな理想論とは関係なく、妻が勤めに出てしまえば、保育園や学校や学童保育がある時間帯を除いて幼い子どもと二人きり。「未経験だから(あるいは男だから)家事も子育ても無理」とは言えない現実もありました。
◆キーワードは「公平感」と「機動性」
そこで、夢(好きな仕事)と理想(キャリアの両立)に、目の前のこの現実を掛け合わせた結果として、すべての家事・子育てを分担することになりました。その際に特に重視したのは公平感と機動性です。夫婦のどちらが不公平と感じても、双方のキャリアと家事・子育てを長く円満に両立/並立させることはできません。一方、私に急な翻訳依頼が舞い込んだときや、妻が休日出勤や宿泊出張のときに、臨機応変に家事と子育てを回していけないと暮らしが成り立ちません。
この2つを軸に、試行錯誤(と多少の軋轢)を経てたどり着いたのが“共同分担制”でした。すべての家事・子育てを男女の分け隔てなく分かち合うという意味を込めて、前回触れた共同参画ではなく、共同分担と呼ぶことにします。
◆家事と子育ては「共同分担制」
ゴミ出しと風呂掃除は夫、料理と食器洗いは妻というように家事ごとに担当を決める方式を“家事別担当制”とすると、“共同分担制”では明確な線引きをしません。平日でも休日でも二人が家にいるときは、どんな家事も子育ても、そのつど手分けして片づけるのが原則。残った時間が自由時間になります。どちらかに仕事や用事が入れば、もう一人が、その間の家事・子育てを引き受けます。
こうやって家事と子育てをすべて手分けしていると、夫婦双方が家事・子育て全般に慣れるので、どちらに急な仕事や用事が入っても臨機応変に対処できます。
ここで思い出すのは、ある芸能人が「おしどり夫婦と呼ばれる秘訣は“家事申告制”」と語っていたことです。家事の分担は決めず、洗濯でも食器洗いでも家事をやった人が「○○をやった」と相手に申告し、言われた方は必ずお礼を言うそうです。わが家にはお礼を言うルールはないものの手分けするのが原則なので、たとえ仕事が理由でも、一人で家事をこなしてくれた相手には自然と感謝の一言が出ます。
◆ある日のスケジュール
たとえば、子どもの保育園時代の平日は、だいたい次のように過ぎていきました。
朝6時すぎに起き、妻と手分けして食事の準備や洗濯・ゴミ出しをします。それから子どもを起こして朝食を取り、妻と子は出勤・登園の準備をして8時前に出かけます。私は食器洗いや掃除、洗濯物の片付けなど残った家事を簡単に済ませて机に向かい、夕方まで仕事に専念します。
夕方、仕事を切り上げて食事を作り、18時半前後に保育園に迎えに出ます。妻が帰宅するのを待って夕食を済ませたら、やり残した仕事がない限り、その後は手分けして家事を終わらせて入浴や子どもと遊んでくつろぎます。第7回に紹介した“週1会議”は子どもの就寝後です。
このように妻の勤務時間は私も翻訳に専念し、その上で家事・子育てを“共同分担”することで、お互いの公平感を保ちました。
◆「男らしさ」「女らしさ」という壁
さて、実際に家事・子育てを共同分担してみると、翻訳業と両立することによる時間と労力の負担よりも、“男らしさの壁”とでも呼べそうなものによる心理的負担の方が、時として重荷に感じられました。
当時はまだ、男性用トイレにおむつ交換台などなく、乳幼児用の椅子も珍しかった時代です。ましてや昭和世代の感覚では、大黒柱として外でしっかり稼いでくるのが男の甲斐性。翻訳者の夢を抱いて前の職場を辞めた際には、私の名を挙げて「そんなヒモみたいな生活、俺にはムリ」と話す声が聞こえてきたこともあります。だから、自ら選んだ暮らし方とはいえ、世間の目は気になりました。初の訳書が刊行されたときに地元の図書館に1冊寄贈したのも、一つには、きちんと仕事をしていることを世間に示したい気持ちからでした。
加えて、自分の心の中にある旧来の男女の役割意識や、家庭内労働を見下す価値観も厄介でした。翻訳業に転じたのは40代の働き盛り。平日の昼間、“大の男”がスーパーの食品売場を歩くことにすら抵抗感を覚えました。保育園のお迎えも小児科の付き添いも、周りは女性ばかりで居心地が悪いものでした。家族の洗濯物を干す姿は、いまでも格好悪くて人に見られたくありません。
しかし、いわゆる”unconscious bias”(無意識の偏見)は、自ら意識して払いのけないと共同分担などできません。「二人のキャリアも家庭も」という“贅沢な”目標を掲げた以上、どこまで達成できたかは別にして、否が応でも家庭内と自分の心の内の”gender equality”(男女/ジェンダー平等)を目ざすしかなかったのです。
◆翻訳業に転身したから得られたもの――料理・子育て・中国語
こうやって、すべての家事と子育てを分担しながら翻訳業を続けるのは、体力的にも精神的にも大変でしたが、そこから得たものも少なくありません。
たとえば、料理を覚えたおかげで、いまは新しいメニューに挑戦して楽しんでいますし、自分が食べたいものを自分好みの味付けで作れる自由も心地よいものです。そして、かなり濃密に子育てに関わったおかげか、いまも親子の距離が近いように感じます。
また、家事や子育てからは離れますが、翻訳業に転じたことで得たものに中国語との出会いがあります。
私の駆け出し時代は中国経済の台頭と重なり、現地のビジネス環境や中国企業の活動が書籍・雑誌や報告書などで盛んに取り上げられていました。私にもそうした文書を訳す案件がよく回ってきました。
その中には、たとえば「人間関係のことを中国人は『グアンシ』と呼んで非常に大切にする」という内容の英文もありました。『グアンシ』(またはグワンシ)というのはコネや人脈というニュアンスが強い言葉で、簡体字では「关系」、英語では”guanxi”と書きます。
つまり、中国語のローマ字表記(拼音:ピンイン)で”xi”とあれば「シ」に近い発音になるのです。ほかにも”qi”(「チ」)や”ca”(「ツァ」)など、英語とは発音が異なるものがいくつかあります。当時はネット辞書の信頼性に不安もあり、自信を持ってカタカナに置き換えるには、中国語の読み方を知っておく必要がありました。
加えて、中国の制度や企業活動に関する説明を正しく理解するため、そしてウラを取るために、中国系新聞・雑誌のサイトや、中国の行政機関や企業のサイトに掲載されている中国語の情報を確認すべき場合もありました。
こうした必要に迫られてゼロから中国語を学び始め、辞書があれば大意をつかめるところまで漕ぎ着けました。このときに基礎を学んだおかげで、最近になって中国語の勉強を再開し、趣味の一つとして楽しんでいます。「人生に無駄なことはない」とよく言われますが、私は料理と子育てと中国語の経験からそれを実感しています。
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今回で家事・子育てとの両立の話を終わります。次回は翻訳者が直面する現実として、お金の話を取り上げます。
鈴木泰雄 京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。
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