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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第11回

“Feelings”

皆さんこんにちは。今月はまず近況から。

  

今年もあっという間に師走です。コロナ禍の毎日もとうとう丸2年が経過しました。日本国内でもデルタ株が猛威を奮いましたが、初秋からは急速に感染が沈静化しています。ワクチンの接種も進み、日本人の間では安堵感も漂い始めた感がありますが、それでも海外では欧米を始めとしてお隣の韓国でも再び感染が急拡大し、南アフリカ発祥と言われる変異種のオミクロン株(Omicron)がWHOによって「懸念される変異株」(Variants Of Concern)に指定されるなど新たな不安の種も萌芽しつつあります。このオミクロン株ですが、ご存知のとおり新型コロナウイルスの変異株はギリシャ文字の順番に名付けられています。VOCと、もう一段警戒レベルの低いVOI (Variants Of Interest/「注目すべき変異株」) に指定された変異株名はα(アルファ)、β(ベータ)、Γ(ガンマ)、δ(デルタ)、μ(ミュー)ときて次はν(ニュー)の番ですが、これは英語読みで “new” となり紛らわしいということでスキップ。実はその次はξ(クサイ)のはずなのですが、この英語読みが何と”Xi”ということでWHOの忖度発動でこれもスキップ。ようやくその次のο(オミクロン)に落ち着いたという噂でネットは賑わっております。真偽の程は不明です。ギリシャ文字は12文字しかなく、このままω(オメガ)まで使い切ってしまった場合は星座の名前を使うことを検討中とのことです。

 

さて、今月のテーマは仮定法 (subjunctive mood) です。今を去ることほぼ半世紀、中学校で英語を学んでいた時に最も難しい文法だと言われたのが仮定法でした。そんなに難しいなら頭の悪い自分には理解できまいと早々にあきらめた記憶があります。このブログは別に文法教室ではありませんし、優秀な読者の皆さんには釈迦に説法でしょうから、今更くどくどと文法の解説するようなおこがましいことは致しません。歌との出会いが仮定法の世界についての理解を少しだけ深くしてくれたというお話です。

 

表題の “Feelings”は70年代にヒットした楽曲名です。ブラジルのモーリス・アルバート(Morris Albert)という人(本名はMauricio Alberto Kaisermann)が発表し、その後も世界中で数多くカバーされたバラードの名曲です。日本でもコーラスグループのハイ・ファイ・セットが作詞家のなかにし礼さんの日本語詩によるカバーを1976年にリリースしました。当時はただ、その何とも甘く切ないメロディーと歌詞が好きになり、へたくそなカラオケでも歌ったりしていたのですが、仮定法がどうしたこうしたという発想は全くありませんでした。
それから月日は巡り、さる英文法の解説書を読んでいた時のことです。その中に「仮定法とは、もし現実と違っていたらという仮定を置くことによって、逆に変えることのできない現実を強調する機能を持っている」という主旨のことが書かれていました。その時に頭の中に突然蘇ってきたのが、あの“Feelings”の切なくも美しいメロディーと歌詞でした。

  

I wish I’ve never met you, girl.
You’ll never come again.
できるなら、君とは出会わなければよかった。
もう君は二度と戻ってこないのだから。
https://www.youtube.com/watch?v=-iW0FVLd-3M

  

恋人との辛く悲しい別れを歌っているわけですが、決して出会わなければよかったということを表現するためではなく「でも、君とは出会ってしまった」「そして君は戻ってこない。これが現実なんだ」という思いの裏返しの仮定法なのだと納得がゆきました。

  

歌を通して出会ったコトバは他にもたくさんあります。
今月は12月ですので、ひとつクリスマスソングで出会ったコトバのお話もしましょう。

  

今度はイギリスのポップデュオのワム!(Wham!)が1984年にリリースした “Last Christmas”です。これもまた失恋の歌なのですが、こちらは去年のクリスマスにフラれた女のと今年のクリスマスにもまたバッタリ!という筋書きです。「もう去年のような辛い思いはしたくない。今年はもっといい別の娘を見つけるぞ」と意気込んではみたものの、本人を目の当たりにすると心はぐらぐらと揺れ動き・・・・というストーリーです。さて、その歌詞の中に唐突にこんなフレーズが出てきます。

  

Once bitten, twice shy

  

中学生や高校生の頃、受験英語ではさんざん「羹に懲りて膾を吹く」と叩き込まれていたこの諺がこんなところで、 こんなふうに使われている!と妙に感心したことが思い出されます。実際にはこうして恋愛で奥手になってしまうような場合によく使われるのだということを知りました。 さすがに「羹に懲りて膾を吹く」ではラブソングもへったくれもありません。 「去年の君とのことで、僕はすっかり恋に臆病になってしまっているけれど」という感じでしょうか。

  

因みにこの後は「去年、君は僕が捧げた心を翌日には捨ててしまった。今年はもう涙を流さないように別の誰かを見つけるんだ」と繰り返しながらもこんなふうに続きます。

  

Now I know what a fool I’ve been.
But if you kissed me now, I know you’d fool me again.
https://www.youtube.com/watch?v=E8gmARGvPlI

  

そうです。ここでまた仮定法です。
「去年の僕は君に弄ばれて何て馬鹿だったのかと思い知ったよ。でも、もしも(そんなことは絶対ないけれど)また君にキスされたらきっと同じように惑わされてしまうだろう」

  

これもまた胸が痛むような切なさです。

  

さて今月は以上です。それでは皆さん、良いお年をお迎え下さい。
I wish you a Merry Christmas and a Happy new year!

  

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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