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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第13回

“significant”(前編)

皆さんこんにちは。
年明けから猛威を振るうオミクロン株。全国の新規感染者数は10万人に近づき、東京都の検査陽性率も40%に迫る勢いです。重症化率は低いと言われながらも目に見えぬ不安は消えず、ワクチンのブースター接種も遅々として進展せず、鬱々とした毎日が続いています。何とか春までには感染も天井を打って終息して欲しいものです。

  

さて、今月は通訳として仕事をする遥か昔に出会った、忘れようにも忘れられないコトバの思い出についてです。
そのコトバとは“significant(ly)”です。何ということはない普通に話し、聞いて理解できるコトバですが、自分にとっては特別な意味を持っています。多くの読者の皆さんには馴染みのない世界のお話になるかも知れませんが、よろしければしばらくお付き合い下さい。

 

significantの定義を辞書で調べてみます。
important, large, or great, especially in leading to a different result or an important change

[Cambridge Academic Content Dictionary]

つまり「これまでとは違った結果や重要な変化をもたらすほどに大きな、あるいは重大な」という意味の言葉です。

 

初めてこのコトバの洗礼を受けたのは今を遡ること40年以上前、学生時代にディベートをしていた時のことです。学生が参加するディベートの大会では多くの場合Policy Debate という政府の政策について論争しますが、Propositionと呼ばれる「命題」に対して肯定側(The affirmative)と否定側(The negative)に分かれて議論し、審判が勝敗を決定します。当時は80年代の初めでしたが、それまでの命題は「日本は原子力発電を廃止すべきである」とか「日本は衆議院選挙に比例代表制を採用すべきである」といったかなり具体的な政策の是非を争うものでした。
それがある年から以下のような命題に変わってしまいました。
Resolved; that the Diet should adopt legislation to significantly reform the structure on National taxes.
(日本の国会は重大な税制改革法案を可決すべきである)

  

具体性が失われ、単に「税制」しか示されていません。インターネットなどまだ影も形も無く、ディベート部員全員で各所の図書館に事前準備のリサーチをしに通っていた時代のことです。途方に暮れるばかりでしたが、それはそれとして本稿にかかわるのはそこではなく、”significantly”という文言です。

  

何をして「重大な」税制改革を指すのか、これは非常に大きな問題です。命題に対する肯定側のディベーター(affirmative)は、現状を否定して新しい政策の提案をするための検証責任を追っています。刑事裁判と全く同じで、現状の政策の問題点(needs)、そしてその問題が現状の政策固有の要素から生じていること(inherency)、さらに提案する新政策のプラン(plan)が荒唐無稽なものでなく実際に実行可能で(practicability)且つ問題を解決できること(workability)を冒頭のスピーチで全て立証しなければなりません。できなければ「疑わしきは罰せず」で、否定側は一言も発せずに勝つことができるのです。命題が「重大な」法改正を求めているということは、現行の制度を修正する範囲で問題解決できるとみなされれば現状を否定する理由にはならないということになります。

  

これに拍車をかけたのが、当時アメリカのトップディベーターという触れ込みで日本の学生に信奉されていた人物が提唱した”barrier” という概念でした。これは、先に述べた命題肯定側立証義務の中の”inherency”に関わる命題否定側(The negative)の攻撃戦術で、 「【現状の政策を変更できない障壁 (barrier)】を立証できない限り、現状の政策・制度の枠組みを否定する理由にはならない」という考え方です。「明文化された法律や制度が障壁になっている(structural barrier)」か、あるいは「その他何らかの理由で現状の変容が期待できない(attitudinal barrier)のいずれかを立証できない限り肯定側が検証責任を果たしたことにはならないという論法です。

  

アメリカの政治制度や法制度と日本の仕組みには大きな違いがあり、これを日本の学生ディベートにそのまま持ち込むのはどうなのかと当時から疑問には思っていましたが、何しろこの戦術は瞬く間に「バズった」状態になり、猫も杓子も(もちろん自分も含めて)「バリア」、「バリア」、「バリア」と連呼し、命題肯定側(The affirmative)は暫く”What is the barrier?” という質問一つで粉砕されるような状況になってしまいました。そもそもこの背景にあったのは例の「”significantly”シリーズ」の命題で、ディベートの対象となる政策や制度が膨大で曖昧になっていたことが原因だと思います。その後、「バリア」戦術自体については対策も開発され下火にはなりましたが、その後も現役の学生ディベーターだった約3年間を通してこの手の命題には悩まされ続けました。

  

★Resolved; that the Japanese government should institute a program to significantly change its food policies.
(日本政府は食糧政策に重大な変換をもたらすプログラムを採用すべきである)

  

★Resolved; that the Diet should adopt a program to significantly change its policies on environmental pollution. (日本の国会は環境政策を大幅に変更する法案を可決すべきである)

  

★Resolved: that the National Government should significantly reform its welfare policies for the aged. (日本政府は高齢者福祉政策に関する重大な改革をすべきである)

  

前編は以上です。そんな学生時代を卒業し、何とか社会人となった数年後、またまたこの “significant”というコトバに振り回されることになろうとは。続きは後編で。

  

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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