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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第18回

“Prima facie”(中編)

前回からディベートのお話をしています。そもそも通訳を自らの生業として選んだ理由は「自分の目指す通訳がディベートと良く似ている」と勝手に考えたからです。表層的な言葉や表現を置き換えるのではなく、話し手の言葉を手掛かりにその意図を理論的に、自らの言葉で聴き手に説明するのが理想の通訳であり、学生時代に没頭したディベートと同じと思えばよいと信じてきたからこそ、語学力に長けているわけでもなく、勉強も大嫌いな人間が30年近くも通訳の世界で生き延びてこられたのだと思います。「言葉に正確なことこそが通訳者の使命だ」と考えていらっしゃる方々からみれば「ディベート?そんなものは通訳ではない」と断じられてしまうかもしれませんが、これが自分の流儀です。これまでも通訳の現場でも、出来得る限りディベートの考え方に沿って論旨を組み立てて説明するよう努めてきました。

 

さて、今回は“Case”についてお話します。ディベートの“Case”とは論旨の組み立て方のオプションです。現状を変えるという命題に対して肯定する“Affirmative”側のオプションとして代表的な“Case”は、「現状(の政策・仕組み)が原因となって重大な問題が発生している。命題のプラン通りに現状を変えることによってのみこの問題を解決することができる」という論旨です。“Traditional case”あるいは“Need-plan advantage case”と呼ばれています。ここで重要な点は“Stock issues”です。“Need-plan advantage case”を立論しようとする場合に立証しなければならないと考えられている重要な項目名です。通訳する際にも往々にしてそのままの言葉で使っています。

  • 1.Problem or Need
    (現在早急に解決すべき重大な問題が発生している)
  • 2.Inherency
    (現在発生している問題は確かに現状に起因している)
  • 3.Workability <Plan>
    (提案するプランは指摘した問題を解決できる能力がある)
  • 4.Practicality <Plan>
    (提案するプランは現実的に実施可能である)
  • 5.Advantages and Disadvantages
    (提案するプランに起因する新たな問題は発生しない)
 

命題肯定側(Affirmative)は以上の5つのstock issuesを立証すれば取り敢えず“prima facie case”の立論を行ったとみなされ、このあと命題否定側(つまりは現状肯定側:Negative)の反論を待つということになります。実際のビジネスの場でのプレゼンテーションで考えてみましょう。
サイバーセキュリティ対策の新しいソフトウェアを提案するという想定です。

 
  • 1.Problem or Need
    御社は今年になってフィッシングによって盗まれた社員の認証情報を悪用したハッカーの侵入を検知できず、ランサムウェアの攻撃により機密情報のファイルを暗号化され10億円もの損害を被りました。
  • 2.Inherency
    既存のセキュリティソフトでは、実在の社員の認証情報を盗用された場合は不正アクセス・侵入と判断することができず阻止できなかったことが原因です。
  • 3.Workability <Plan>
    我々のソフトウェアは、アクセス発信元の国や都市、アクセスに使用された端末の固有情報、ユーザーの「振る舞い」などから総合的に分析し、不正アクセスと判断すれば事前にブロックできます。
  • 4.Practicality <Plan>
    我々のソフトウェアは、既存のハードウェア、ネットワーク環境に手を加えることなくそのままインストール及び設定でき、特別なスキルも必要としませんので誰でもすぐに利用できます。
  • 5.Advantages and Disadvantages
    さらに現在ご利用の他社ソフトウェアと比較して30%も低コストです。
 

話し手がどのような言葉を使ってどのように話すかはわかりませんが、プレゼンテーションの論旨は頭の中でこのように整理しながらどう通訳しようかと考えるわけです。ディベートではこのあと、それぞれのstock issueについてNegative側から反論します。これが“Negative case“です。

  
  • ● 10億円の損害は同様の被害を受けた複数の別の企業と比較すると相対的に非常に小さい。他社では100億円以上の損害が出ているが、現在のソフトウェアのおかげで10億円に抑えることができた。(Problem and Need)
  • ● 今回の事件は社内のシステムに内部から直接ランサムウェアを仕掛けたもので、ネットワークを経由した外部からのアクセスに関する遮断能力の有無は関係ない。(Inherency)
  • ● 提案された新しいソフトウェアを導入したにもかかわらず同じ種類のランサムウェアの被害にあったとの複数の事例が報告されている。(Workability)
  • ● 提案された新しいソフトウェアの仕組みは個人情報保護法に抵触するとの指摘がある。(Practicality)
  • ● 提案された新しいソフトウェアの企業は日本にサポートの拠点がなく、いざという時は海外から英語でのサポートしか受けられない。コストも初期費用は確かに現在よりも30%安いが、3年目以降は逆に20%以上高くなる。(Advantages and Disadvantages)
 

これに対して今後はAffirmative側がさらに反駁(Rebuttal)をしてゆくということになります。通訳の現場ではどちらの側にも立つ可能性があります。いずれにしてもこの“Stock issues”を念頭に話し手の言葉から思考をめぐらせ説明の戦略を組み立てることで、聴き手に理解しやすい通訳をすることができた経験は数え切れないほどあります。通訳者として仕事をし始めた頃にそのことに気づき、今回参考文献としている “The Elements of Debate”を引っ張り出して精読しました。自分の通訳の基盤となっていると言っても過言ではありません。

  

Affirmative caseには、この“Need-Plan Advantage case”以外にも、「現状に深刻な問題や損害があるとは立証できませんが、提案するプランを採用して頂くことによって数々の利点を享受することができます」という “Comparative Advantage case”や、実現すべき成功の状態及びその状態を実現できたか否かを判定するための具体的基準(“success criteria”)を定義し、基準を満たすためのプランを提案する“Goals Criteria”という戦略などもあります。通訳の現場で話し手の言葉を聴きながら、これはどのCaseで説明しようかと思案しては疑似ディベートに勤しんでいます。
今回もお付き合い頂きどうもありがとうございました。次回は後編の“Reasoning”です。

  

それでは次回までごきげんよう。

  

参考文献
Klopf, D.W. & McCroskey, J.C. (1969).The Elements of Debate, the practical aspects of debating and the theory of argumentation, Arco

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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