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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第20回

“Extreme. Relay.”

普段は殆どIT関連やビジネス関連の通訳ばかりなのですが、一年のうち何件かは全く畑の違う分野の通訳依頼が舞い込んでくることがあります。日頃接することのないテーマを通して貴重な財産となる大切な機会です。今年に関しては、8月に某エージェントさんから頂いた依頼が新しいコトバと世界を知る機会を与えてくれました。

 

メールで届いた依頼の概要は以下の通りでした。

『8月某日に「世界の先住民族の国際デー」を記念し同時に開催される展覧会は、カナダの先住民族に伝わる騎馬競技のドキュメンタリー映像と記録写真から構成されており、レセプションではカナダ人の写真家と被写体となった先住民族の方をリモート会議ツールのTeamsで繋ぎ、オンライン参加してもらう予定です。
先住民族の歴史についてはセンシティブな面もあり、クライアントが事前にしっかりと通訳者とのすり合わせを希望されています』

 

メールを受け取って先ず考えたのは、トピックの中心がカナダ先住民族とその伝統的な騎馬競技であること。そして先住民族に対する何らかの人権的な迫害の問題がカナダであったということくらいでした。浅学非才の身を恥じ入るばかりではありますが、それまでカナダの先住民族と言えばカナダエスキモー(この呼称は差別的とされ現在は使われていません)として認識していたイヌイットしか知りませんでしたし、その苦難の歴史についても全く見識を欠いておりました。

そしてその日から急ぎ準備を始めたわけですが、この学習過程を通してこれまでは全く知らなかった数々の事実を学ぶこととなりました。

 

【カナダ先住民族とは】

カナダの先住民族は大きく三つのグループに分類されています。北米インディアンを祖先とするファーストネイションズ(First Nations)、カナダ先住民族とヨーロッパ人を祖先とするメティス(Metis))そして北部を中心に居住するイヌイット(Inuit)です。2021年の人口統計ではカナダ全人口の約5%に相当する180万7250人が先住民族とされており、このうちファーストネイションズが104万8405人、メティスが62万4220人、イヌイットが7万545人です。

  

【Extreme. Relay.とは】

”Extreme. Relay.” はカナダ先住民族に伝わる競馬競技です。
カナダ大使館のウェブページより引用します。

  

Extreme. Relay.(「インディアン・リレー」とも呼ばれる)は、北米で生まれた究極のスポーツのひとつと言われ、激しく、危険で、スリルに満ちた騎馬競走です。競技する人のほとんどは幼い頃から、ときには歩き始める前から馬に乗り、身体に染み込んだ素晴らしい乗馬技術を持っています。競技者である勇士、戦士、族長は、通常、決まった装束を身に着けて出陣化粧を施し、サラブレッドに鞍を付けずに騎乗します。刺激的で伝統あるエクストリームスポーツを楽しむ先住民族の騎手たちの素晴らしい馬術と運動能力を垣間見ていただくことができます】(出典:カナダ大使館)

  

準備過程の一貫としてYouTubeで実際のレース映像も確認しましたが、その鬼気迫るような迫力がいったい何処からくるものなのか。単なる民族伝承の競技を超えたものを感じました。

  

【先住民族に対する迫害について】

先住民族に対するカナダの差別・迫害は長年にわたり公式には明るみに出ていませんでしたが、2008年にカナダ政府はようやく正式にこれを認め先住民族に謝罪しました。実態把握のために「真実和解委員会」(TRC : National Center for Truth and Reconciliation)が発足し2015年に報告書が公表されました。同年にトルドー政権が発足して以降はさらに積極的に調査を進め、その実態が明らかになりつつあります。

 

カナダによる様々な先住民族に対する迫害行為の中でも広く知れることとなったのが1800年代から本格化した先住民族の同化政策ですが、その中の一つが1996年まで100年以上にわたって続けられていた子どもたちに対する強制的同化政策です。先住民族の子どもたちは親の許可もなく強制的に連れ去られ、主にローマ・カトリック教会が運営していた寄宿学校(Residential school)と称する強制収容所で暴力的に白人化を強いられました。その数は現在判明しているだけでも15万人と言われています。収容所では身体的、心理的、性的な虐待が常態化し、想像を絶する蛮行の中で数え切れない数の子どもたちが命を落としたことがわかっています。2015年の報告書によれば、少なくとも6000人以上の子どもたちが虐待の犠牲となって亡くなったことが判明しています。

  

この「文化的ジェノサイド」と断定された虐殺行為に長年にわたり直接関わったローマ・カトリック教会は、毎度のことながら事実を黙殺し続けました。カナダ政府の閣僚から「恥ずべきことだ」と非難されてなお、こうした声を無視し続け、カナダ政府からの再三の要請にもかかわらず公式見解の発表や謝罪はその後も一切ありませんでした。

  

こうした強制収容施設は最大139か所で運営されていたと言われていますが、真実はまだ全て明らかにされたわけではありません。そのような状況の中で、2021年にはブリティッシュ・コロンビア州の施設跡地から215人の子どもの遺骨が発見されました。1900年から1971年頃までの遺骨と推定されている中には3歳児のものと思われる遺骨も含まれていると伝えられています。サスカチュワン州でも同様に数百基の墓標のない墓が見つかりました。

  

そしてローマ・カトリック教会がようやく重い腰を上げたのが今年に入ってからです。カナダ側の調査結果と強制収容施設の跡地や遺骨の発見が相次ぐ中、フランシスコ教皇は7月にカナダを訪問し、運営していた施設がカナダ政府の同化政策に協力して先住民族の子どもたちを虐待していた事実を認めて公式に謝罪しました。この謝罪は「歴史的」だと評価される一方で、未だ十分ではないとの指摘も数多いと報道されています。

  

そして、こうした背景、状況を事前に調べて準備し臨んだのがカナダ先住民族のアイデンティティを体現する“Extreme. Relay.”の騎手を務める男性を中心とした講演会でした。

  

講演と質疑応答で語られた要旨は二点です。
先ず、”Extreme. Relay.”は原住民族がこれまでの同化政策による迫害で奪われようとしてきた民族としてのアイデンティティを守り、未来の世代へと継承してゆく象徴であるということでした。
第二の点は、質疑応答で今回のフランシスコ教皇の謝罪が十分ではないのではないかという意見に対する回答に込められていました。

  

『謝罪が十分ではないという意見は確かにあるでしょう。しかし、実際に寄宿学校に収容されていた虐待の経験者ほど、今回の教皇の謝罪によって、ようやく自分たち誇りある先住民族の存在が、そして我々の苦難の歴史が事実であったということが、公に認められたのだと実感できたのです。これは非常に重要なことだと思います』

  

その、感情を抑えた、それでいて一語一語に圧倒的な意思の力のこもった発言を懸命に通訳しながら、事前準備の机上の学習では理解できていなかった大切なことに気づくことができたのだと悟りました。

  

準備を始めた当初は、この”Extreme. Relay.”を単に珍しい伝統芸能的な競馬競技だとしか思っていませんでした。しかし実は、一方的に否定され、迫害によって葬られようとしていた民族のアイデンティティを、誇りを、文化を、命を掛けて守り続けた魂の競技である。それこそがこの“Extreme. Relay.”から感じるあの凄まじい迫力の源泉なのだということが、通訳を終えて沁み入るように理解できたのです。また一つ通訳者として、人としての貴重な財産が増えました。

  

今回は以上です。
それではまた次回までごきげんよう。

  

出典:カナダ大使館 https://www.international.gc.ca/country-pays/japan-japon/galerie-prince_takamado-gallery.aspx?lang=jpn (アクセス日:2022年9月29日)

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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