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プロの視点


『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第21回

「銃を捨てろ!」

本連載も残すところあと3回となりました。今回と次回は、自分が通訳者として身を立てる上で理想としている通訳についてお話したいと思います。今回はその前編です。

 

通訳者を志してこのかた三十年近くの月日を生き延びてきましたが、その試行錯誤の繰り返しの中で悟るに至った理想の通訳は、『天衣無縫』の通訳です。言うなれば聴き手に通訳者の介在を全く意識させないまでに違和感の無い通訳とでも定義すべきでしょうか。

この『天衣無縫の通訳』を理解して頂くために、卓越した技量を持つ声優が日本語で吹き替えた映画を観ているところを想像してみて下さい。子供の頃からテレビの洋画劇場や海外のドラマが大好きでよく観ていました。よく考えれば外国人が日本語を話しているわけですから非常に不自然な世界であるはずなのですが、子供の時はそれが当たり前でした。「0011ナポレオン・ソロ」というドラマが特に好きでした。主役はロバート・ヴォーンとデヴィッド・マッカラムでしたが、吹き替えをされた矢島正明さんと野沢那智さんの声が染み付いていて、少し大人になってからロバート・ヴォーンやデヴィッド・マッカラムの出演する映画やドラマをオリジナルの英語で観ても逆に何か妙な違和感を覚えたほどです。

 

言語が違うわけですからよく見れば口の動きと台詞が物理的にはシンクロしているわけもないのですが、考えてみれば矢島正明さんと野沢那智さんのような第一線の俳優・声優が持つ超絶的才腕と技巧によって、外国人が日本語を話している方がしっくりしてしまうという驚くばかりの世界を創り上げてしまったということなのでしょう。有名な「刑事コロンボ」もしかり。小池朝雄さんの吹き替えはピーター・フォークが日本語を話したら間違いなくこうなる(そんなことはあるわけがないので当然証明しようもないのですが)と確信させるほどに違和感がありませんでした。個人的に大好きだった「刑事コジャック」の森山周一郎さんの吹き替えも、どう考えてもテリー・サバラスが日本語を話しているとしか思えないほどに同化していました。

  

そして、これと同じことを通訳で目指そうという何ともおこがましくも知小謀大なる理想を掲げてこれまで悪戦苦闘、四苦八苦、苦心惨憺を繰り返してきたのがこの三十年に渡る通訳人生だと言っても過言ではありません。

  

これも大ヒットしたアメリカのドラマで「24(Twenty four)」があります。日本や韓国でもリメイクされたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、このドラマ「24」で主役のジャック・バウアー(キーファー・サザーランド)を担当する声優の小山力也さんが、ある番組で “Drop the weapon!” という台詞の吹き替えについて解説してくれました。

  

このシーン、日本語の吹き替えの台詞では 「銃を捨てろ!」 となるのですが、この時、オリジナルの英語では命令形の動詞である “Drop”にアクセントがかかっています。文字で表現するとDrop! the weapon” となります。英語と日本語は語順が完全に逆になっていて、本来は「銃を捨てろ!となるべきところですが、そうすると英語を話している俳優の表情や口の動きとのシンクロが不自然になるということで、日本語の吹き替えでも前にアクセントを置いて銃を!捨てろ」と表現したというのです。すごいことだと思いました。

  

この番組には同じく第一線の声優である古谷徹さんと野沢雅子さんも出演されていて、役作りについての考えや、その時々の表現に合わせてマイク位置の高低やマイクと自分との距離を調整するなどのお話もされていました。

  

通訳は俳優や声優ではありません。人によっては「そんなどうでも良いことに時間を使うくらいなら単語の一つでも覚えろ」と一喝されてしまうかも知れませんが、聴き手にとって通訳者の存在を意識することがないほどに全く違和感が無く、あたかも話し手自身が外国語で話していると錯覚するかのような『天衣無縫の通訳』に一歩でも近づきたいと難行苦行に身を投じている者にとっては決して避けて通れぬ課題のうちの一つです。

 

会議室で「マイクを用意して下さい」とお願いして「どうしても必要なの?この程度の広さの部屋だったら少し大きい声を出せば届くだろ?」と却下されることもしばしばですが、これは声を届かせるためではなく、声を張り上げず静かな落ち着いた話し方をするために必要なものなのです。また生の声やパナガイドを使った所謂「ウィスパリング」は逆に「ささやく」ことしかできなくなるため、声の音量やピッチでメリハリをつけることが全く出来なくなってしまいます。仮にささやきの発声のまま無理にこれをやろうとすると声帯を痛めてしまう恐れがあります。

  

防音・フルスペックのブース内で行う同時通訳とウィスパリングではこの点が決定的に違う全く異質なものですが、この区別をせず、ひとくくりで「同時通訳」とだけ通訳者に依頼をしてくるエージェントやクライアントの担当者が後を絶ちません。残念ながら「通訳者は話し手の言葉だけを落とさず正確に訳出すれはいいだけ。言葉を出せばいいだけ」という認識なのでしょう。

  

「洋画の吹き替えのように通訳することを目指す」などということは能力的にも非現実であり、その信条もなかなか理解されないであろうことはよくわかっていますが、一念通天、通訳者としての矜持を持って挑み続けてゆきたいと思います。

  

さて、次回は後編として、『天衣無縫の通訳』の根幹を支える(と勝手に思い込んでいる)重要な概念を表す言葉についてお話したいと思います。

  

今回は以上です。それでは皆さん、ごきげんよう!!

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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