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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第22回

「月を指す指」

前回と今回は、自分が理想として目指している通訳についてお伝えしています。今回はその後編として、より根本的な通訳に対する信条について、そしてそれを決定づけたコトバとの出会いについてお話します。

 

前回もお話した通り、通訳の勉強を続ける中で掲げてきた目指すべき理想は「天衣無縫の通訳」です(これはあくまで究極の理想です。そこまで到達するのは一生涯をかけても自分には絶対に不可能でしょう)。言い換えれば、聴き手に通訳者が介在していることを全く意識させないまでに自然で話し手に同化した通訳とでも言えるでしょうか。

そもそもはアイ・エス・エスに通学している際に落語の教材を授業で勉強したことがきっかけでしたが、この「天衣無縫の通訳」を極めるためには何が必要かと思案を続け、最も重要なことは「表層的な言葉を超える」ことではないかと考えるに至りました。日本語にしろ、英語にしろ、「話し手の発する言葉は単なる記号であり、そこから話し手の頭の中にある伝えようとする真意、意図をイメージして自分の言葉で説明し直す」ということでもあります。ですから通訳という作業の対象となるのは話し手の言葉ではなく、その記号から解読された真実であるべきだと考えています。言葉を抽象化してイメージするとも言えるでしょう。日本語と英語は全く異なる言語ですから、表層的に言葉対言葉の置き換えで同じことを表現すること自体が不可能です。「両言語の差異を吸収して抽象化し、そのイメージを自分自身の言葉で説明する」それが通訳だと結論づけました。

 

このことで思い出されるのは中学生の時に通っていた英語塾です。兄や姉も中学時代にお世話になっていた塾ということで通わされていたのですが、絵に書いたような劣等生で、塾へ行くふりをしてはサボッて友人達と遊んでいたところ塾から通報されてこっぴどく叱られるという体たらく。週末に先生のご自宅で特別の補習をして頂くなど、それでも見捨てられずに中学校を卒業するまで通いました。数十年を経た中学校の同窓会では、当時同じ英語塾に通っていた同級生の女性から「えっ!あんたが通訳!?・・・・・」と絶句されたものです。

  

さて、そんなありさまで授業など全く記憶に無いのですが、何故かひとつだけ脳裏に刻み込まれていることがあります。それは「言葉は真実の影だ」と語った先生の言葉です。今にして思い返してみても、どんな話の展開でこうしたお話をされたのかも思い出せませんし、当時はこの言葉の意味などさっぱり理解できませんでした。ただこの言葉だけが妙に脳裏に焼き付いていました。不思議なものですが、「言葉は真実の影だ」というこの概念こそ、今、通訳者として目指している「表層的な言葉を超える」ということに他なりません。

  

そして同じ考え方を説くもう一つの言葉、それが「月を指す指」です。

  

これももう随分昔の話になりますが、自分の目指す理想の通訳というような話をしていた時に、ある通訳者の方が「なるほど。それは月を指す指よね」と教えてくれました。
「月を指す指」というのは、仏教の教えのひとつです。手元にある「仏教名言辞典」から引用してみましょう。

  

『痴者が、指を指すを見て、その指を観て月を観ざるがごとく、名字に計著する者は、我の真実を見ず』<出典>楞伽経『仏教名言辞典』(東京書籍)編著 奈良康明

  

これは大乗仏教で言葉や文字の空を強調する教えを示したものと言われています。
『言葉や文字に囚われていると、言葉や文字の遊びになり、言葉や文字の解釈に明け暮れることになる。それは指で指し示す方向にあるものを見ないで、その指の先端を見る愚かさに似ている行為である』という教えです。これを知った時には心の底から、自分の目指そうとする道が正しいものなのだという確信が持てました。

もう一つお話しましょう。
これもまた随分と古い映画ですが、カリスマ的カンフーの達人ブルース・リーのハリウッド初主演作となった1973年公開の『燃えよドラゴン』(“Enter the Dragon”)に登場する一シーンです。このシーンは、映画の冒頭で少林寺の師範を演ずるブルース・リーが若い弟子を指導するところです。「頭で考えるな、感じて気を入れろ」と説く場面でのブルース・リーの台詞は、かの知る人ぞ知る“Don’t think. Feel”という言葉から始まります。
そしてこれに続く説法は・・・・・
“It is like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on a finger or you’ll miss all that heavenly glory”

 

当時は中学生でしたが、7歳年上の姉が本作の封切り時に映画館に連れて行ってくれた思い出の映画でもあります。その時も、まさか何十年も経ってこんなひとつの映画のシーンが自分の生き方に大きな意味を持つことになるとは考えてもみませんでした。

 

そして現在もこの見果てぬ理想を追い求めて四苦八苦する毎日を送っているわけですが、「表層的な言葉を超える」とか「言葉に引き摺られない」、「言葉に惑わされずその奥の真実を通訳する」と言ってはみるものの前途多難です。

  

そもそも言葉を超えるためには先ずその言葉を徹底的に知らなければなりません。理想の景色が見えるのはまだまだその先です。未だ指の先の「月」どころか月を指してる「指」さえまともに見ることが出来ない幼稚な段階でもがいています。そんな自分が理想の世界を見ること、天衣無縫の通訳を実現することなど生涯できないでしょう。それでも、その理想がかすかにでも見えている限り(あるいは、たとえ見えないほど彼方にあるとしても、その存在を信じている限り)目の前に続く道を歩む道標となり、目標へ向かって歩いてゆこうという勇気の糧となります。才能も無く、勉強は大嫌い、海外での生活経験も皆無という無い無い尽くしの身でありながら通訳などという職業を生業としていられるのは、この理想の世界に気づくことができたからだと思います。

  

さて、2022年もあっという間に慌ただしい師走がやってきました。出口の見えないコロナ禍での生活が続く中での年明けから、北京冬期オリンピック、その直後のロシアによるウクライナへの侵攻、旧統一教会にかかわる社会問題の噴出そしてサッカーワールドカップでの日本代表の躍進と実に様々な出来事に接し、それぞれにまつわるコトバが私達のまわりを飛び交いました。来年こそはもっと明るい、希望に満ちた一年の中でまた新しいコトバの数々と出会えることを心から祈りつつ。

  

Wishing You a Happy Holiday and a New Year!

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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