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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム
『読書三到~或る通訳者の本棚』 和田泰治
第1回
英会話の音法50(東後勝明 著)
【読書三到】
読書して真意を悟るには、目でよく見、声に出し、心を集中することの三つが大事であるということ。(大辞泉)
今でこそインターネットで膨大な情報にいつでも、どこでもアクセスすることができ、さらにChatGPTなどの生成AIを活用すれば、あらゆる分野の知識や用語を瞬時に収集・要約して表示してくれるようになった。
私が通訳スクールに通学して勉強をしていた90年代初頭には未だインターネットなど「イ」の字も無く(当時はパソコンですらそれほど一般的な機器ではなかった)、知識習得のための媒体は「書籍」(もちろん紙の)しか無い時代である。もちろんアマゾンなどのネット通販も無く、必要な書籍を求めて毎日、毎日、足を棒にして書店巡りをしたものだ。
今年で通訳を生業として30年目を迎えた。本格的に英語の学習を始めた学生時代に遡れば40有余年、様々な本と出会い、多くを学んできた。数少ない限られた蔵書ではあるが、これまで通訳業や語学の学習に際し知見習得の糧となった書籍の中から選んで毎回紹介してゆこうというのが本連載の趣旨である。通訳者を目指して切磋琢磨している学習者の皆さんに役立てていただけそうなものはもちろんのこと、私自身のこれまでの経験の中で個人的に重要な意味を持つものも含め様々な角度から紹介してゆきたい。
第一回目は早稲田大学の東後勝明先生が著された『英会話の音法50』を取り上げる。この書籍は私が大学に入学して英語部に入部し、初めて受験勉強以外の英語を学習し始めた時に購入した思い出深い本である。ある意味、それ以降数十年に渡って切っても切れない関係になる「英語」との出会いを象徴する一冊だ。
高校卒業後に一年間浪人して明治大学に入学し英語部に入部した。ESSと呼ばれているクラブである。入部までの詳しい経緯は省くが、当時はただ何となく英語劇に興味があったというような程度の軽い気持ちで部室の扉を叩いた。
入部すると毎日英会話を学習するよう上級生や顧問の先生から指導された。具体的には「NHKラジオ英会話」を毎日聴いて勉強するようにと言われた。確か最初の4月号だけは無料で配布してもらったように記憶している。それまでそんなラジオ番組があることすら全く知らなかったがとにかく聴き始めた。そしてあっと言う間にこの番組の大ファンになってしまったのだが、当時講師を担当していたのが早稲田大学の東後勝明先生だった。明治大学で英語部の顧問をしていただいていたアメリカ人の先生からは、毎日このラジオ英会話を聴き、テキストをとにかく丸暗記するように言われた。ネイティブスピーカーのように、状況に応じた英語のアウトプットが無意識に、考える間も無く口をついて出てくるまで頭に染み込ませるのが目標だ。10回声に出して読んで暗記しろと言われ、10回読んでも覚えられませんと言うとそれなら20回、30回音読しなさいと言われたものだ。
英語部でこの「NHKラジオ英会話」を推奨していたのには理由があった。講師の東後勝明先生は早稲田大学ESSのOBであり、その偉大なる存在は他大学のESSでも夙に知られていたからである。早稲田大学ではなく明治大学ESSの部員であった我々ですら「発音矯正のために歯を抜いたという凄い人だ」など東後先生の逸話を先輩から聞かされていた。番組の構成、テキストの内容も充実したもので、東後先生の歯切れの良いお話を毎日聴くのがとても楽しみだった。番組のオープニング曲ですら40年以上たった今でもはっきりと口ずさめるくらいである。
英語部では最終的に英語劇ではなくディベートの活動に進んだが、パブリックスピーチという観点から、発音、イントネーション、リズムなどスピーキング力の研鑽には自分なりに力を入れて取り組んだ。そしてその当時購入したのが東後勝明先生の著書『英会話の音法50』だった。
第1章「音」、第2章「リズム」、第3章「イントネーション」の構成で合計50の音法が非常にわかりやすく解説されている。母音・子音それぞれの発音のポイントや品詞ごとの考察、リズムの変化によって表現される意味の違い、イギリス英語とアメリカ英語の差異など初めて知ることばかりで本当に勉強になった。当時は大学1年生だったがとにかく集中して一生懸命に読んだ。発音記号やリズム、イントネーションは記号に従い声に出して何度も練習した。まさしく「心到」、「眼到」、「口到」の読書三到である。
何よりも「英語を話す」ことの楽しさに目覚め、もっともっと上手く話せるようになりたいという気持ちが掻き立てられた。通訳者として現場に立つ現在もその気持ちを持ち続けている。
私が所有しているものは昭和52年にジャパンタイムズから出版された初版本だが、調べてみたところ現在も同タイトルで日本児童英語振興協会より再販されている。装丁やイラストなどは刷新されているが内容は同じもののようだ。こうして40年以上もの長い期間、読みつがれ、学びつがれているということだけでもこの本の価値が充分に実証されていると言えるだろう。
東後勝明先生は2019年に逝去されたとのことだ。直接教えを賜わったわけではないが、「ラジオ英語会話」や書籍から掛け替えの無い大きな薫陶をいただいたと感謝している。
今こうして思い返せば、未だ十代の若かりし頃、その後数十年の年月を経て通訳者として仕事をすることになろうとは露ほども思い至らぬ時代に手にしたこの書籍が、実は私にとっての大きな一歩を踏み出すきっかけになった。本連載の第一回に相応しい一冊だと思う。
今月はこのへんで。ごきげんよう。
参考文献
東後勝明(1977)『英会話の音法50 - 英会話の3要素:音、リズム、イントネーション』ジャパンタイムズ出版
和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。
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