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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム
『読書三到~或る通訳者の本棚』 和田泰治
第2回
『日英語表現辞典』『英語類義語活用辞典』(最所フミ 著)ちくま学芸文庫
小生の書棚(実際には汚い部屋の中に所狭しと散乱する書籍の山の中)から毎回通訳に関係する書籍をご紹介しようというのがこのブログの趣旨である。今回からは、通訳者に必要だとこれまで筆者が考えてきた能力、情報、技術を身に付け、磨くためにと実際に読んできた書物の中から目的別・分野別に取り上げてゆきたい。
今月は「語彙力を磨く」ための書籍を選んだ。
『日英語表現辞典』は著者の最所フミ氏の旧著である『日本語にならない英語』と『英語にならない日本語』を合冊、改定したものである。書名にも辞典を冠しているし体裁もアルファベット順、五十音順で辞典のようだが本書は辞典というよりはむしろ知見と含蓄に富んだエッセイ集といった趣である。それぞれの見出し語が一語一語の背景にある英語と日本語の語感の違いという観点から例文と共に精緻に解説されている。著者自身の記した冒頭の「はしがき」の中に通訳者としても重要な外国語を学習する者へのメッセージが込められている。
「英語による思考法は日本語の思考法とはまったく別のプロセスを経て機能する。それを会得するには、まずは日本語とどう違うかをはっきり認識してかかるのが、実は最も近道なのである。しかしこのためにはかなり高度な日本語の知識を必要とする。日本語の水準は高ければ高いほどよい。この点私は英語の幼児教育を重視しない。それどころか大人になってから英語を学ぶことに大きな利点を認めるものである。それは何かと言うと、日本語に関するゆるぎのない自信である。自国語こそがどんな人からも取りあげることの出来ない個人の財産でありコミュニケーションの利器である」
(『日英語表現辞典』はしがきより抜粋)
外国語の語感を体得するほど困難なものはないだろう。我々通訳者も語彙の強化は生涯継続してゆかねばならない課題ではあるが、単に辞書を引いて表層的に当てはまる別の言語の言葉の置き換えだけをいくら暗記してみても、それを機能的に活用しようとするには限界がある。それ故、その言葉だけでなく言葉が含まれる文脈全体の中での意味合いを体感しながら学ぼうとするのだが、「何となくこうだろう」という域を出ず、日本語と英語の語感の違いを明確に意識し、説明するのは至難の技だ。
『日英語表現辞典』及び『英語類義語活用辞典』の他に類を見ないところは筆者自身の経験、知見と感性を基にこの語感の違いを明文化し、豊富な例文とともに論理的に説明仕切っているところである。
一例を引用してみよう。
これは英和の部の中の”believe in”の項目である。
「英語にはあって日本語には元来ない言葉のなかで、最も典型的なものに、believe inがある。これは「・・・を信ずる」とか「・・・をよいと信ずる」と訳されているが、日本語ではあまりぴんとこない言葉である・・(中略)・・・これは、believe in youが「あなたはいい人だ」とか「信ずるに足る人だ」とかいう批評語ではなく、「あなたを師と仰いでいます」といったような積極性を持った言葉だからである。believe inが日本語の本来の表現にないのはなぜであろうか?私はこれは実に面白い課題だと思っている。この言葉は個人主義の伝統からきた言葉だからである。西欧では、人は、それぞれ個人として独立に生き、そのよしと信ずることを、パン焼きの方法に至るまで、その通り実行して生存してきている。日本のように、「民はよらしむべくして、知らしむべからず」式の封建思想で何百年も、十把一からげに律せられ、何を信じていいか考えたこともないという手合いの多い国とは性格がはっきり違うのである・・・(以下省略)・・・」
ここまで踏み込んだ考察をして初めて、これまであやふやな感覚でしか体得できていなかった英語、日本語両言語の「語感」の違いを自分自身で論理的に理解、体感し使いこなすことができるのだということだ。これは言葉を学ぶうえでの大いなる道標となろう。
「英和の部」は見出し語である英語の固有の語感や意味、背景を起点に、「和英の部」は見出し語である日本語の持つ固有の語感や意味、背景を起点に同様の考察、解説がなされている。
『英語類義語活用辞典』は英語と日本語の間の差異ではなく、複数の類義的英語についてその意味、語感の違いを解説、洞察したものである。こちらも辞書としてももちろん有益であるが、質の高いエッセイ集として熟読するとよりその価値を実感できる。
さきほど述べたように語彙というものは通訳者に限らず語学の習得を志す者すべてにとっての一里塚とも言える領域ではあるが、単に表層的、逐語的な言葉の変換だけでは甚だ不十分である。何をどこまで突き詰めねばならないのか、その目指すべき遥かなる道程がこの一連の著作には明確に示されている。
今月はこのへんで。ごきげんよう。
引用文献:
最所フミ(2004)日英語表現辞典 ちくま学芸文庫
最所フミ(2003)英語類義語活用辞典 ちくま学芸文庫
和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。
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