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気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。

和田泰治先生のコラム 『不肖な身ではございますが・・・・こんな私も通訳です!』 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。1983年に明治大学文学部卒業後、旅行会社、マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

第7回:「社会人から通訳者へ」

卒業後、通訳者として仕事を始めるまでの約13年間サラリーマン生活を送りました。旅行会社、マーケティングリサーチ会社、そして最後は広告会社に勤務し、会社勤めの最後の時期に3年ほど通訳スクールに通学しました。今回はこの卒業後の13年間を振り返り、何故全く縁も所縁も無かった通訳者という仕事を選択するに至ったのかをお話致します。

旅行会社では、日本に来る外国人のお世話をする部署に配属されました。私は特にイベント関連で来日する外国人のための様々な手配を担当していました。オーケストラやバレエ団の地方公演旅行とか、スポーツイベントに参加する外国人選手の航空券や宿泊、移動用バスの手配などが主な業務でした。

その後、マーケティングリサーチ会社、広告会社と転職しました。それぞれ外資系の企業を担当する部署を中心に仕事をしましたが、各業界で多くの皆さんのお世話になりました。今でも心から感謝しています。

しかし、十年余りの会社勤めを経るうちに自分の中に迷いが生じてきました。これまで本当に全身全霊をかけて仕事に取り組んで来たかという自問自答です。世の中で自分にとっての天職と言えるような仕事に巡り合える機会はそうは無いでしょう。しかし、たった一度の人生です。「これになら生涯を賭けても良い」と思える何かに出会えないものかと真剣に考えていました。

そんな折、相談をした親友が「和田君の場合は腐れ縁みたいなものなのだから英語に賭けるべきだよ。取り敢えずもう一回徹底的に勉強してみたら?何かが見つかるかも知れないよ」と助言をしてくれました。とは言え何をすればよいのやら全く方向性も決まらぬまま、取り敢えずこれまでとは目先の違った勉強をしてみようということで、夏休みを取って通訳スクールの夏期講習に一週間だけ参加することにしました。

当時は通訳者と言えば「語学オタクと帰国子女の巣窟」というイメージしか無く、通訳自体も自動翻訳機のようなことをして何がおもしろいのかと考えていました。ただ、これまでとは全く異なる環境の中で一週間だけ力試しをしてみるのも新鮮でおもしろいかも知れないなと考えました。言うなればちょっとした道場破りの心境です。

結果的に、一週間という短い期間ではありましたが、通訳のトレーニングを受講して通訳自体についてのイメージが少しだけ変わりました。それは語彙や文法力、聴解力といった語学力では劣っていても通訳対象となるコンテンツに対する理解の深さで勝負できるのではないかと感じたことでした。

スピーカーが話していることを聴く、表層的な言葉を手がかりにして、何について語ろうとしているのかを推察する。それから自分自身で既に持っているコンテンツのストックの中から話し手が伝えようとしているメッセージと同じものを引き出し編集し自分の言葉で説明し直す・・・・・こんなやり方でも通訳は出来る。自動翻訳機のように言葉を処理する無味乾燥なプロセスにこだわる必要は無い。そう考えると通訳という作業がそれまでとは違って何かとても興味深いものに見えてきました。

話し手が何をどのように語ろうが、メッセージさえ正しく伝えられるのであれば自分自身でわかりやすいロジックと言葉を選んで好きなように話せば良いと考えると、まさに与えられた命題に沿ってディベートのスピーチを考えるのと同じだなと思えるようになりました。まぁプロの通訳者の世界でこんなことが通用するかどうかはわかりませんでしたが、とにかく好き勝手にやる分には結構おもしろいと思えてきたのです。

結局その年の秋学期からレギュラーのクラスに通学することにしました。通訳者になろうという気は全くありませんでしたが、通訳スクールで使う様々な分野の教材が、それまで仕事で接してきた内容とは全く違うジャンルばかりで毎回新鮮でした。自分勝手なディベート流通訳を続けながら、まぁそのうちに次はどんな仕事をするか決めれば良いだろうくらいに考えていました。

ちょうど通訳スクールに通学し始めて一年半が経った頃、同時通訳科というクラスに進級しました。長い間通訳スクールに通学していても、やはりプロの通訳者として生きてゆこうという気持ちは全くありませんでした。通訳にはディベートとの共通点を強く感じていましたし、喋ることも好きだったので授業自体はとても楽しかったのですが、やはりプロの通訳ともなれば翻訳機のようなものだろう、語学力だけが幅を利かせる世界だろうという気持ちから相変わらず抜け切ることが出来ていなかったからです。通訳スクールは趣味で通学し続けているような感覚でした。

ところが、同時通訳科に進級した初めての授業で、この固定観念を覆す経験をすることになりました。日本語から英語に通訳をする授業の最初の教材が落語だったのです。確か桂枝雀師匠の「愛宕山」だったと記憶しています。故桂枝雀師匠が英語でも落語をしていたのは知っていましたが、まさか通訳スクールの教材で落語をやらされるとは思ってもいませんでしたので相当に面食らいました。しかしこれがまさに天啓を得る機会になりました。

もともと落語には大いに興味があったのですが、落語ファンにしてみると、日本語の落語を英語にするというのは言うなれば「日本語の落語を通訳する」では許されず、「英語で落語を語らねばならない」ということになります。単に言葉を翻訳したのではちっともおもしろくない。落ちだって外国人が英語で聞いていて笑えるようにしいないといけないし、さらに落語は話術の粋だから、どこをどんなピッチで話すのか、どこにどんな間を入れるべきか・・・・とそんなことまで含めて長時間にわたって無い知恵をふりしぼっているうちに自分の目指す通訳への考え方がこれまでになくはっきりしてきました。

「話し手の言葉を別の言葉にするのではない。その意図、メッセージ、意味を通訳者が自分の知識と能力を駆使して作り直す」これもまた通訳だと改めて割り切ることが出来るようになりました。そしてその後さらに一年半のトレーニング期間を経て通訳者としての第一歩を踏み出すことになりました。通訳スクールに通学し始めてから3年目のことです。

それから今年でもう16年目になりました。年だけはとっても相変わらずの不肖の身ではございますが、これからも身勝手な自分流を貫いて生きてゆきたいと思っています。

さて、次回からはIR (Investor Relations)とIT (Information Technology)の通訳について私の経験に基づいてお話申し上げます。まず次回は IR 通訳についてです。興味のある方は是非ご一読下さい。それでは、また次回。

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