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気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。

西山より子先生のコラム 『Baby Stepsではありますが』 上智大学外国語学部英語学科卒業。総合電機メーカーにて海外営業職を務めた後、経済産業省外郭団体の地球観測衛星運用チームにて、派遣社員として社内翻訳通訳に従事。翻訳会社でコーディネーター兼校閲者を経験した後、フリーランスとして独立。主に、国際協力、地球観測衛星、原子力発電、自動車など、産業技術系実務翻訳通訳を手がける。

第6回:翻訳業界見聞録

プロ翻訳者を目指して日々英語力・日本語力・翻訳力向上に勤しんだ派遣社員時代から一転、翻訳会社のコーディネーターとして新たな生活が始まりました。翻訳会社のコーディネーターとは、会社によっては、営業が取ってきた仕事に翻訳者や校閲者を割り当て、納期管理する、という厳密に定義された仕事を指しますが、私のいたA社では、営業もするし校閲もするし、業務によっては自分で翻訳や通訳を実施してもよく、当時のAB会長は私たちのことをよくmanaging playersと呼んでいました。

何でも自分でやらなければならない反面、稼いでさえすれば何でも自由にできるという社風でしたので、コーディネーター1人1人が個人商店を経営している商店街のような環境でした。ですから、お客様の声を直接聞くことで顧客ニーズを把握し、翻訳者の方々とやり取りすることでどのような翻訳者がエージェントにとって仕事しやすいかを実感し、そして上がって来た翻訳原稿を隅から隅まで校閲することで訳出の技を勉強することができた貴重な2年間となりました。

まず、営業として、お客様には実に様々なニーズがあるということを学びました。翻訳を勉強している身としては、翻訳に求められるもの=最上の質としか考えられませんでしたが、実務翻訳の世界では「明日の朝までにやって」とか「最速でいつもらえる?」とか、急ぎの案件が多く、必ずしも常に最上を追求できるわけではないのです。

翻訳は通訳と違って「時間がある」と思われがちですが、翻訳にも「締切」という時限があり、時として質を犠牲にしても納期を優先しなければならない仕事もあります。そんな場合も、「最上」が無理でも「最低限」の質をきちんと担保するところが、プロ翻訳者の「さすが」と思わせる実力です。

そしてお客様の指名率の高い翻訳者は、やはり分野に精通し、内容をより深く読み込み、直訳調ではなく、アウトプット言語で読みやすく、時に原文よりもわかりやすい簡潔な表現ができる翻訳者でした。

面白いことに、お客様の評価の高い上手な訳者ほど、訳文の語数が少ないのです。語彙力、表現力が豊かなため、同じ概念を表すために言葉を尽くさなくても最適な表現を運用できるということであり、それ以前に原文の読み込み方が深いために力点の置く場所を外さないからだと思います。

次に(狭義の)コーディネーターとして、翻訳も他の多くの仕事と同じく結局は人間相手の仕事だということに気づきました。学校で翻訳を教えていると、時々「対人関係が苦手で、1人でできる翻訳の仕事に興味を持った」とおっしゃる方もいるのですが、結局、入って来た案件をどの翻訳者にお願いするかを判断するのは人間であるコーディネーターです。

基本は、各翻訳者の得意不得意分野、翻訳スピード、納期遵守の傾向(厳守か遅れがちか)、値段、PCリテラシー、リサーチ力、熱意、対応力・サービス精神などに応じて相応しい翻訳者を選ぶわけですが、「この人には頼みやすい」「この人には気を遣う」といったコーディネーターの主観が介在するのも事実です。

また、登録翻訳者を増やすにしても、新規登録を広く募集して「自称・翻訳者」のような人からも有象無象に送られてくるCVをスクリーニングするよりも、既に実績ある翻訳者さんが個人的に紹介してくださる翻訳者さんの方が、トライアルの結果もよかったりします。

そして、CVで興味を持った翻訳者の方には、地理的に可能な限り、極力面接に来ていただき、face to faceの対話を持つようにしました。見ず知らずの相手より、どんな顔でどんな雰囲気の人なのかわかっている方が仕事しやすいのは言うまでもありません。ですから、人間嫌いでは翻訳者として仕事を得続けることは、よほど比類なき翻訳力を持っていない限り、簡単なことではありません。尤も、そもそも翻訳という行為自体、他人の主張をその人になり替わって伝えるわけですから、人間嫌いでは他人の気持ちや考えに寄り添うことはできません。

最後に、校閲者として、「上手な翻訳者」の訳文に触れる幸せたるや、語彙力・表現力に乏しい私にはどれだけ紙幅を費やしても皆様にお伝えすることはできません。当時、「なるほどー!」と感動した先輩方の技を書き留めた単語帳を覗くと、ごく一部に過ぎませんが、

Never compromise in detail    細部にこだわる
In dire straits          八方ふさがりで
Least attractive point      最もいただけない点
(Something) is there to be used. (~は)使わなければ意味がない

といった表現が出てきます。「妥協しない」とか「苦境に立たされる」とか「最も魅力的ではない点」とか「使われるべき」といった辞書通りの訳語ではなく、単語単位の縛りから解放され、一歩踏み込んだ、実に日本語らしい力強い表現になっています。

こうしてmanaging playerとして奔走した経験は、その後フリーランスになる上で、そして現在フリーランスとして続けていく中、私には自分を信じる根拠となっています。

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