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石黒弓美子先生のコラム 会議通訳・NHK放送通訳者
USC(南カリフォルニア大学)米語音声学特別講座終了。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)言語学科卒業。ISS同時通訳コース卒業。國學院大學修士号取得(宗教学)。NHK-Gmedia国際研修室講師・コーディネーター。東京外国語大学等で非常勤講師。発音矯正にも力を入れつつ通訳者の養成に携わる。共著:『放送通訳の世界』(アルク)、『改訂新版通訳教本 英語通訳への道』(大修館書店)、『英語リスニング・クリニック』『最強の英語リスニング・ドリル』『英語スピーキング・クリニック』(以上 研究社)など。

第14回:つきない勉強 The more you learn, the more you realized you have more to learn.

「まー、我々はだいたいスピーカーが何をしゃべるかはわかっているんですよ、話す前からね。英語もわかるんですけどね。疲れるんですよねぇ、英語で聞いていると。だから通訳聞いてるんですよね。」

先日、ある会議の後で行われたレセプションでのことです。冒頭のご挨拶の逐次通訳を済ませた後、 何かその場には不釣り合いと思えるカジュアルな格好の紳士が話しかけてこられました。何をおっしゃりたいのかしらと、やや身構えながら、その方の話に耳を傾けました。 通訳と言えば草分けのお一人だったサイマルの故村松増美氏のお名前も飛び出し、長年通訳をお使いになってきたご様子ですが、今は既にリタイアされているとか。私は、会議中の同時通訳や今の挨拶の逐次通訳に、何かご不満がおありなのかしらと、不安になりましたが、そうでもなさそうです。

そこで、「そうですね。最近は皆さま英語がお上手で、通訳者への期待も高くなりましたから、通訳者は針のむしろです」とその紳士の真意に探りを入れます。「まー、昔は、普通一般の日本人はそんなに英語ができなかったからねぇ。」リタイアされたとはいえ、400人以上が参加した政府肝いりのその会議に来ておられたということは、それなりの方であろうと想像がつきますが、今のお役目を聞いてもはっきりしたお答えはなく、引き続いて少しばかりのsmall talkたわいもない雑談の後、その紳士は御馳走のテーブルに集まった人ごみの中へ消えて行かれました。

私のような小人(しょうにん)は、「閑居(かんきょ)して不善(ふぜん)をなす」(余計な時間があると、あれこれどうでもいいことに思い悩み、よくないことを考えてしまう)ものです。気にすることはないと自分に言い聞かせつつ、通訳としての確固たる自信をつけるには、結局は、プロとしての技量を磨き、知識、見識を深めるしかないと、改めて思わされます。

そんなちょっとブルーな気持ちに沈んでいた私ですが、先月、通訳翻訳学会の論文執筆法を研究するグループが行った勉強会では、興味深い発表で勇気づけられたことを思い出しました。日本女子大学の藤井洋子先生の「開放的語用論(emancipatory pragmatics)」のお話です。語用論とは、一言でいえば、ことばの使い方の研究ですが、もちろん文化の研究が絡んできます。

藤井先生のお話の中で、もっとも印象に残ったのは、近代日本の学問は、主として西欧の理論の枠の中で行われてきたが、言語の元には文化があるのだから、日本語の分析も、日本人の生活や歴史、宗教などの日本文化を度外視しては、正しい分析ができない。西欧の理論から自らを開放して、新たな理論を構築し、それを世界に発信しなければならないという主張でした。

例えば、「日本語の主語は、もともとあるべきものなのに、会話では落ちる」という西欧の言語学理論を基にした考え方は、間違っているのではないか。「日本語では主語が誰であるかの情報は述部に含まれるのが自然なのであり、西欧の文法論では分析しきれない」という視点です。

これを、通訳の現場から解釈すれば、How are you?を「あなたは元気ですか」と訳すのは、正しい日本語とは言えないわけで、「お元気ですか」でなければならないということになるでしょう。あるいは、会話への参与者の関係や性別によって「元気?」「お元気?」「元気かい?」「お元気でいらっしゃいますか」などともなるわけですが、あるべき「主語」が欠落しているわけではありません。このような見方は、西欧の語用論から自らを開放しなければ、発想として出てこないというわけです。

開放的語用論では、既成概念を打破する(Think outside the box. 箱の外に出て考える)ことが奨励されています。藤井先生は、二人一組で、15枚の絵を見ながら物語をつくるという作業をしてもらうという実験などを行い、以下のような「場の理論」を披露しました。日本人(韓国人もそのようです)は、「相互行為の場」において、自己は他と根源的に結びついているという前提に立って共同で一つの物語を作り上げていく。関係志向的、相互協調的側面(interdependent view of the self with others」を重視し、それが、アメリカ人と比べると断定的陳述文が少ないなど、相手の意見を慮りながら対話を進めることが多いという対話の進め方にも表れている。これは「人間は自然と一体である」と考える仏教思想の影響を受けているということです。つまり、人間は孤立した存在ではなく、「場」の一部だという自己観を持っているということでしょう。

一方、アメリカ文化では、自己とは相互に独立したものであるというのが前提(independent view of the self from others)であるということです。よく、西欧人は、自然と人間を対立するものととらえるとも言われています。この自己観が、自分の意見をはっきりと表明する陳述文が多いなど、二人で共同作業を行う際の対話にも現れているというのです。

このような「場の理論」や、開放的語用論の萌芽は、すでに2009年ころには見えていたようですが、日本では、2014年に、くろしお出版から、井出祥子他の「文化・インターアクション・言語 開放的語用論への挑戦」という論文集としても出版されていますので、詳しくはそれを参照していただきたいと思います。

通訳のクラスで指導をしていると、すべての“I”を「私は」と訳出し、“We”は「我々は」とか「私たちは」と訳し出すだけでなく、すべてのことばを文字通り逐一訳出しなければならないと思いこんでいる人が少なくありません。I didn’t go.は、場合によって「私は行きませんでした」とも「行きませんでした」とも訳出できますが、訳文の意味の違いは明白です。もしかしたら、私たちは無意識のうちに誤訳をしているのかもしれないのです。

今までの英語教育によって、通訳をする際にも一つの既成概念の箱に自らを閉じ込めている可能性があることに、私たちは気づいていないのかもしれないと思います。「箱の外へ出て」考える習慣をつけたいものですが、そのためには、文化と言語のつながりについてなど、新しい研究成果にも目を開き、学習を深めていきたいと考えています。

第18回:大切にしたいことばの力・言語コミュニケーション– Power of words

第17回:遺伝子と文化 Genes and Culture

第16回:聞く人の身になって-「日本人はあらゆるものに神を見る」 We see gods in everything..... with a small letter “g” –

第15回:「読める漢字」 vs 「書ける漢字」 How many Kanji characters can you read? And how many can you write?

第14回:つきない勉強 The more you learn, the more you realized you have more to learn.

第13回:七転び八起き ~Difficult child 難しい子!? 多様性の一つ?~

第12回:「女性が輝く社会 A Society where women shine??」――課題は多いけれど

第11回:「どんなお気持ちでしたか?」 ~How did you feel? What did you think? しか出てこないもどかしさ。

第10回:もう一つの通訳 -本物の「包摂性」とは何か? How much do we really know about inclusiveness?

第9回:英日通訳「言葉に引っかからずに意味を取る」とは

第8回:DLS Dynamic Listening and Speaking 日英通訳力強化のために

第7回:Quick Response Exerciseとlexical approachの勧め ~自動的で速やかな英語のアウトプットのために、単語ではなく句や文でアウトプット~

第6回:順送りの情報処理 Slash reading

第5回:Listening comprehension 本当のところ、どこまで聞取れていますか

第4回:“Inaudible”??? 「聞取り不可能」

第3回:「I started to walk in electronics in 2006???」 母音再確認の勧め

第2回:Who is “’TAni-sensei”? 英語の聞き取りと発音

第1回:背中を押し続けてくれた「継続は力なり!」

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