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石黒弓美子先生のコラム 会議通訳・NHK放送通訳者
USC(南カリフォルニア大学)米語音声学特別講座終了。UCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)言語学科卒業。ISS同時通訳コース卒業。國學院大學修士号取得(宗教学)。NHK-Gmedia国際研修室講師・コーディネーター。東京外国語大学等で非常勤講師。発音矯正にも力を入れつつ通訳者の養成に携わる。共著:『放送通訳の世界』(アルク)、『改訂新版通訳教本 英語通訳への道』(大修館書店)、『英語リスニング・クリニック』『最強の英語リスニング・ドリル』『英語スピーキング・クリニック』(以上 研究社)など。

第18回:大切にしたいことばの力・言語コミュニケーション– Power of words

1年半楽しくコラムを書かせいただきましたが、いよいよ今回が最終月となりました。筆者が通訳を目指したのは、ことばの威力に魅了されたからでした。「ことばは人を活かしもするし殺しもする。ナイフの傷は、いずれは癒えるけれど、とげのある言葉による心の傷は、ずっと長く癒えることがない」と、ことばの大切さを母から言い聞かされて育ち、英語に触れてからは、その言語コミュニケーションの魅力に心動かされたからでした。ことばを道具として人を活かす仕事ができたら嬉しいと思いました。以来、様々な英語の表現に感動することが少なくありませんでしたが、今回の広島でのオバマ大統領の演説にも心揺さぶられました。

5月27日、アメリカの現職大統領による初めての広島訪問が実現しました。歴史の転換点を世界に伝えるべくNHKでは、地上波ではオバマ大統領の演説を日本語への同時通訳で伝えると同時に、NHK World のNewslineという海外向けの番組でも、訪問の様子と演説を伝えました。平和公園でオバマ大統領を迎える安倍総理の演説は、英語への同時通訳をつけて世界に流されることとなり、筆者はその通訳をするために7階のNewlineの通訳ブースに控えていたので、オバマ大統領の演説は、通訳ではなく英語で聞くこととなりました。

晴れ晴れとした青空の下、しかし厳粛な(somber)な空気の中で始まったオバマ大統領の演説。「戦争は人類の」だが、“... we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
(広島と長崎が核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られる未来をわたしたちは選択することができる)”と世界に向けて呼びかけました。“we can choose”とは、強い意志を表明した、何と英語らしい表現でしょう。“our own moral awakening”にも、体の中で電撃が走る思いでした。

これを受けた安倍総理は、「大統領が被爆の実相に触れ、核なき世界を信じてやまない世界中の人々に大きな希望を与えてくれた(The president saw what an a-bomb can do to us, and gave a great hope to the people all over the world who firmly believe that a world void of nuclear weapons can be realized)」と評価しました。安倍総理のスピーチ原稿が手に入らないままで同時通訳をする身にとっては緊張の連続でしたが、被ばく者との会話の後、原爆ドームを仰ぎ見る川越しに大統領をいざない、がっちりと握手を交わした首相の姿にも強い決意を見る思いでした。

2009年の就任直後、プラハで、”as the only country that has used nuclear bombs in the world(世界で唯一核兵器を使用した国)”として、アメリカには、”a world free of nuclear weapons(核のない世界)”の構築に努力する”moral responsibility(道義的責任)”があると宣言したオバマ大統領。そのすぐ後のノーベル平和賞の授賞は、アメリカ初の若き黒人大統領への世界の大きな期待を代弁するものでした。

あれから7年半、大統領の任期もあと半年に過ぎなくなった中で、「核兵器のない世界」への期待はしぼむばかりのようでしたが、広島の人々はオバマ大統領を大歓迎しました。各種調査によると、大統領は謝罪すべきだとの意見も14~18%ほどあったようですが、被爆者(atomic-bomb survivors)を含め7割以上の人々が、「謝罪は必要ない」「広島に足を運び、被爆の実相を見てくれればそれで十分」と答える人が多かったと伝えられています。この反応には、日本人の「恨みを水に流す」という民族性と、「世界で唯一の被爆国(the world’s only atomic-bombed nation)」の国民としての切なる思いが込められていたのだと思います。

大統領の広島訪問の決断を後押ししたのは、「謝罪は必要ない」という日本政府と被爆者からの明確なメッセージだったと言われています。アメリカ国内では、以前の8割以上から6割程度へと減ったとはいえ、今も多くの人々が、「原爆投下は戦争の早期終結と多くのアメリカ人の命を救うために必要だった」と信じています。退役軍人(veterans)などから、現職大統領の広島訪問は「謝罪」と受け止められかねないとして、大きな反発があったのです。

しかし、先代のルース駐日アメリカ大使の時代から夏恒例の広島での慰霊式典への参列が始まり、それが、現ケネディ大使に引き継がれ、G7サミット前の外相会議の際には、とうとうアメリカのケリー国務長官が平和祈念資料館を訪れ、“It’s a gut-wrenching display, it tugs at all of your sensibilities as a human being(心底から揺さぶられる展示だ。人間としてのすべての感性に強く訴えかけるものだ)”と述べ、「すべての人がこれを見るべきだ」とも語りました。これは「オバマ大統領」も見るべきだとのシグナルでした。

それだけに、日本政府も慎重でした。「謝罪は求めない(Japan will not ask for an apology)」「現職大統領の広島訪問は核のない世界へ向けての大きな力になる(it will be a big push forward toward a world void of nuclear weapons)」とのメッセージを送りました。「しかし、決めるのはアメリカ大統領だ」とのスタンスを取り続けたことも賢明だったと思います。

オバマ大統領の広島訪問は世界中が注目し、各国のメディアも取り上げましたが、筆者が最も嬉しかったのは、アメリカ公共テレビPBSの取り上げ方でした。歴史的ニュースとして取り上げ、その背景を解説し論評を伝え、同時に” How a Hiroshima survivor helped remember 12 U.S. POWs killed by bomb” と題して、自らも被爆者(atomic-bomb survivor)で歴史学者の森重昭さんが、原爆投下で命を落としたアメリカ人捕虜(prisoners of war/ POWs)のことを調査し遺族に伝える努力を続けてきたことを紹介しました。平和公園での式典の後、オバマ大統領と抱擁しあって涙を流したあの男性です。

日本人に恨み心がないわけではありません。しかし、森重昭さんは、被爆という前代未聞の苦難をなめた者だからこその世界平和と核廃絶への強い決意を持ち、アメリカ人の戦争捕虜のことをも忘れてはならないという思いだったのではないかと想像します。日本人は自分のことだけを考えているのではないんだという思いもアメリカの人々にわかってもらいたかったのではないでしょうか。PBSのこの番組は、こうした日本人の心情をアメリカの視聴者に伝え、人類が憎しみの連鎖から抜け出す方法がここにあると示してくれたように思えました。

オバマ大統領は、「自分の生きているうちには核なき世界は実現しないかもしれない」が、そして「理想の実現は決して簡単ではないが、理想に忠実であることは、努力する価値がある」と訴え、“the incredible worth of every person, the insistence that every life is precious(一人ひとりがかけがえのない命)” であり、”that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell (わたしたちは皆、人類という一つの家族の一員である。それを伝えていかなければならない)”と強調しました。中でも、筆者が最も唸らせられたのは、以下のくだりです。

“That is why we come to Hiroshima so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent. We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.”
(だからこそ私たちは広島に来たのです。自分の愛する人々のことを思いだすことができるように。朝起きて最初に目にするわが子の笑顔、テーブルに向かい合う伴侶があなたに触れるやさしい手、大丈夫だよと思わせてくれる父や母の両腕。こうしたことを思う時、同じかけがえのない瞬間が71年前ここにもあったことを理解することができるはずです。あの日命をなくした人たちも、私たちと同じであったのです。)

日本語ではとても言えない台詞ですが、これを聞いた被爆者は、ついに「アメリカ大統領が我々の苦しみを理解してくれた」と感じたことでしょう。聞いていたすべての視聴者が、大切な家族とのなにげない日常の大切さに思いを致し、戦争回避のために一人ひとりが努力することの大切さを感じたことでしょう。

私たち一人ひとりが平和のためにできることは何なのか。1人じゃ何もできないと思ってしまいそうですが、一つできることがあるとしたら、互いの理解を深めるためのふれあいとコミュニケーションではないかと思うのです。いろいろな国の人たちとの繋がりを深めることへのささやかな貢献は誰にでもできるのではないでしょうか。それに欠かせないのが言語表現によるコミュニケーション能力です。「言わなきゃ、わかんないのか」という表現にあらわれているように、日本人は言語表現があまり得意ではありませんし、筆者も大学で学生たちをほめる時、日本語より英語の方が、”Very good!” “Good job!”などとほめやすいと感じますが、私たちのコミュニケーション能力の強化も「継続は力なり」です。

通訳の勉強は単なる英会話と違って、リスニングと速やかな理解というinputと即時の訳出というoutputの組み合わせで、英語運用能力の向上に大いに役立つと思います。また、筆者は10年ほど前から東京外国語大学で英語のpublic speakingのクラスを担当して来た経験から、論理的に人前で話す訓練もコミュニケーション能力を大きく向上させるものだと思うようになりました。これからは日本の「察しの文化」も大切にしつつ、日本人の英語による言語コミュニケーション能力の向上という点でも社会の役に立ちたいものだと願いつつ、感謝をこめて筆を置きます。皆さんの未来に幸あれ!  日常に驚きと新発見があれ!!

第18回:大切にしたいことばの力・言語コミュニケーション– Power of words

第17回:遺伝子と文化 Genes and Culture

第16回:聞く人の身になって-「日本人はあらゆるものに神を見る」 We see gods in everything..... with a small letter “g” –

第15回:「読める漢字」 vs 「書ける漢字」 How many Kanji characters can you read? And how many can you write?

第14回:つきない勉強 The more you learn, the more you realized you have more to learn.

第13回:七転び八起き ~Difficult child 難しい子!? 多様性の一つ?~

第12回:「女性が輝く社会 A Society where women shine??」――課題は多いけれど

第11回:「どんなお気持ちでしたか?」 ~How did you feel? What did you think? しか出てこないもどかしさ。

第10回:もう一つの通訳 -本物の「包摂性」とは何か? How much do we really know about inclusiveness?

第9回:英日通訳「言葉に引っかからずに意味を取る」とは

第8回:DLS Dynamic Listening and Speaking 日英通訳力強化のために

第7回:Quick Response Exerciseとlexical approachの勧め ~自動的で速やかな英語のアウトプットのために、単語ではなく句や文でアウトプット~

第6回:順送りの情報処理 Slash reading

第5回:Listening comprehension 本当のところ、どこまで聞取れていますか

第4回:“Inaudible”??? 「聞取り不可能」

第3回:「I started to walk in electronics in 2006???」 母音再確認の勧め

第2回:Who is “’TAni-sensei”? 英語の聞き取りと発音

第1回:背中を押し続けてくれた「継続は力なり!」

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