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『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治

第16回

定期特約付終身保険

1990年代にはもう通訳の仕事をしていたという方なら相当な確率で生命保険会社の通訳を経験していらっしゃると思います。通訳の市場は時として特定の業界が大盛況となることがありますが、1990年代から2000年初頭にかけての時期は、まさに「生保通訳バブル」の様相を呈していたと言っても過言ではないでしょう。若い皆さんはご存知無いかも知れませんので先ずはその時代背景から振り返ります。

 

バブル経済の崩壊が引き金となり1997年から2001年の間に7社の中堅生命保険会社が相次いで経営破綻しました。同じ金融機関でも銀行とは異なり、生命保険会社の破綻処理は契約保険金額の削減など契約者の負担を前提に実施されました。その後事業を継承した受け皿会社にとっては非常に有利な状況だったわけですが、ここで登場したのが所謂「カタカナ生保」です。欧米の大手保険会社が競って日本の保険市場に参入してきました。日本の中堅生保はどこも極めて国内色の強い組織だったところに突然社長から役員、課長レベルのマネージャーに到るまで日本語を話さない外国人がやって来たわけです。人だけではありません。組織、経営思想から人事・給与制度や業務管理システムなど日常のあらゆるものが急速に「外資化」していったわけですから相当な混乱があったことは想像するに難くありません。黒船来航と例える人もいました。そんな中でこの時期、通訳者の需要も急増したわけです。

 

カタカナ生保の中の一社に社内通訳者として勤務していたのはこの頃です。それまでやはり社内通訳者として勤務していたIT関係の外資系企業がITバブルの崩壊とともに日本を撤退した際、フリーランスに転ずるか否か案じた末に、もう一年か二年ほど金融関係の通訳を勉強しようと決めたのが理由でした。2002年から2004年までの二年間契約社員としてカタカナ生保の通訳に携わりました。

  

保険関連の仕事は全く初めてだったため最初はなかなか大変でした。すぐに役立つ辞書類もありませんでした。例えば「定期特約付終身保険」と言えば日本の生保では最も標準的な商品です。ベースになる終身保険の上に定期的に更新が必要な定期保険特約を付加することで保険金の金額を高額にするタイプの商品です。

  • ● 終身保険は whole life insurance
  • ● 定期保険は Term life insurance

この程度は調べればすぐにわかったのですが、「特約」の表現がどの辞書を引いてもわかりませんでした。今ならネットで調べればすぐに”rider”とという言葉が出てくるのですが、当時は相当に苦労してやっと英語の文献から見つけました。
「定期付き終身保険」は、 ”Whole life insurance with Term (life insurance) rider” というような表現になるわけです。

  

もう一つ苦労したのが「営業職員」の表現です。”sales rep”でいいじゃないかと最初は思っていたのですが、本社からやってきた外国人の通訳をしている時に今一つしっくりきません。こうした営業職員の方々は契約形態は様々なれど直接雇用関係にある「社員」の皆さんです。損害保険では「代理店」と呼ばれる独立した営業担当者や企業が保険の小売を担っていますが、日本の生保の販売チャネルは「社員」としての営業職員が直販していることが特徴的でした。こういった違いの表現としてこれもいろいろ調べた結果 “captive agent” (特定の保険会社の商品だけを販売する営業)が最も適切だということがわかりました。複数の保険会社の商品を扱うのは “independent agent” です。

  

その他にも英語の文献を読み漁ってようやく発見した適訳語や、通訳現場で聞いて初めて知った言葉や表現など、二年間の間にリストにしたものが300以上になりました。いくつかあげてみましょう。

  
  • ● 特約中途付加 rider in-term addition
  • ● 解約返戻金 cash value
  • ● 契約応当日 anniversary date
  • ● 乗換契約 replacement policy
  • ● 特定疾病保障保険 DD (Dread Disease) Insurance
  • ● 生存給付金据置金元加処理 capitalization process of deferred survivor benefit
  • ● 配当金繰入処理 additional paid-up process with dividend
  • ● 保全取り扱い疎漏 mishandling of policy maintenance
  • ● 不実告知教唆 suggesting the insured to tell untruths on a medical repot
  • ● 扱い者不在契約 orphan policy
  

こののちフリーランスになってからの20年余り、保険関係の通訳はほとんどやっていませんが、今思い起こしてみても、特定の業界に固有のコトバや表現は無数にあるものだと身に沁みます。

  

余談になりますが、社内通訳として勤務していたこの生命保険会社の当時の社長はオーストラリアの方でした。ちょうどその時開催された2003年のラグビーワールドカップの決勝はイングランド対開催国オーストラリアの名勝負でした。両者譲らず延長戦となり、イングランドのウィルキンソンが利き足ではない右足でドロップゴールを決めて勝負がついたという伝説の一戦です。たまたまその翌日に営業職員を集めての大きなカンファレンスがあり、社長が冒頭の挨拶に立ちました。特に何を話すかは事前に聞いていなかったのですが、まず「皆さん、昨日はラグビーワールドカップの決勝戦でした」から話が始まりました。なるほど『ラグビーはOne For All and All For One。皆さんのお一人お一人のセールスは会社で働く仲間全てのために。そして我々会社の各部門で仕事をしている全員は皆さんお一人お一人のために。これがチームワークです』・・・・てっきりそういう話に展開するであろうと思い身構えていたのですが、試合の解説のみが熱く続き、その結論は「敗因はラインアウトです!」でした。ラグビーに関心のない皆さんがポカーンとしていたのが今では懐かしいヒトコマです。

  

今月は以上です。
それではまた次回までごきげんよう。

和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。

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