ホーム  >  Tips/コラム:プロ通訳者・翻訳者コラム  >  津村建一郎先生のコラム 第20回:メモリーT細胞と新型コロナワクチン

Tips/コラム

Tips/コラム

USEFUL INFO

プロ通訳者・翻訳者コラム

気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。

津村建一郎先生

津村建一郎先生のコラム 『Every cloud has a silver lining』 東京理科大学工学部修士課程修了(経営工学修士)後、およそ30年にわたり外資系製薬メーカーにて新薬の臨床開発業務(統計解析を含む)に携わる。2009年にフリーランスとして独立し、医薬翻訳業務や、Medical writing(治験関連、承認申請関連、医学論文、WEB記事等)、翻訳スクール講師、医薬品開発に関するコンサルタント等の実務経験を多数有する。

第20回:メモリーT細胞と新型コロナワクチン

米国のトランプ大統領が言ったとか言わないとか報道されていますが「多くの国民が新型コロナに感染すれば、パンデミックは自然と治まる・・・」というのはあながちウソではありません。それを実現させるのが新型コロナワクチンなのです。

ワクチン接種の重要な作用のひとつは、病原体に対する抗体を事前に体内に発生させておくことで、感染の予防や感染しても軽症で済ませることにあります。しかし、スペインでの大規模調査の結果では、新型コロナウイルスに対する抗体(antibody)は短期間の内に消失する・・・と言うものでした。

果たして、新型コロナワクチンは希望の星なのでしょうか?今回は、このことを考えてみたいと思います。

**********************************

 

1.新型コロナウイルスの抗体は短期間で失われる???

2020年7月初頭に、医学雑誌LANCETに、スペインの保健省が実施した新型コロナウイルス抗体の大規模調査(検査)の結果を発表しました(6万1075人を対象に3カ月にわたって3回実施)(1) 。
スペインでは現在までに、28万人をこえる新型コロナ感染者が確認されていて、3万人近い死亡者も出ています。ところが、発表によりますと、調査対象の内の約5%程度の人しか新型コロナウイルス抗体を持っておらず、特に感染率が高い地域においてさえ、新型コロナウイルスに対する血中抗体反応の多くが陰性だったとのことです。
さらに、第1回目の調査で抗体を持っていたと診断された人の14%が、2回目ないしは3回目の検査で抗体が検出されなくなったのです。つまり、せっかく新型コロナウイルスに対する免疫を獲得したとしても、数週間から数カ月後には免疫(抗体)が失われてしまう可能性があるという、衝撃的な報告でした。

-------------------------------------------------------------
(1)Prevalence of SARS-CoV-2 in Spain (ENE-COVID): a nationwide, population-based seroepidemiological study, The Lancet, July 06, 2020,
https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)31483-5/fulltext

これが事実だとすれば、新型コロナに対するワクチンが出来て、接種したとしても、その効果は長続きせず、新型コロナウイルス感染は納まらない・・・ということになります。

参考:病原ウイルス等に対する抗体は、免疫細胞のひとつであるB細胞によって産生・分泌されます。感染が確認されると、その病原ウイルス等に対する抗体を作り出すB細胞は活性化して、数を増やし、盛んに抗体を分泌します。抗体が病原ウイルス及び病原ウイルスに感染した体細胞に結合すると、それがマーカーとなって、他の免疫細胞(マクロファージやキラーT細胞など)が寄ってきて攻撃を開始します。
病原ウイルス等が攻撃によって破壊・消失すると、活性化していたB細胞の大半は自己破壊(アポトーシス)を起こしていなくなりますが、一部がメモリーB細胞に分化して生き残り、次回の感染に備えます。ワクチンの目的は、人工的に病原ウイルス等を接種することで、疑似感染を起こし、メモリーB細胞を発生させることにあります。

2.メモリーT細胞の発見!!!

スペインの報告と時期を前後して、シンガポール科学技術研究庁の研究グループは科学雑誌NATUREに「長期にわたって維持されるT細胞(メモリーT細胞)」に関する報告を掲載しました。2020年7月に公表された内容は、新型コロナウイルスやSARSに感染したことのない人にも、新型コロナウイルスに反応するメモリーT細胞を持っている人が多いという意外な結果でした。
このチームは、今回の報告に先立って、かつて流行したSARSに罹患し、その11年後の2016年の時点で回復者の免疫を調べた研究結果を公表しています。その結果によりますと、SARSに対する抗体は早期に消えてしまうのに対して、病原ウイルスへの攻撃を担っていた「キラーT細胞」の一部がその後も存続し、10年以上経ってもSARSに反応できることを示したのです。

シンガポールの研究では、新型コロナウイルスから回復した36人、及び、過去にSARSから回復した23人、さらに、いずれの感染症に罹ったことのない37人(感染者と接触もしていない)を対象として実施しました。
その結果、新型コロナやSARSからの回復者では、新型コロナウイルスが持っている「ヌクレオカプシド 」(2)というタンパク質に反応するT細胞が、新型コロナの回復者だけでなくSARSからの回復者にも認められました。SARSも新型コロナウイルスもコロナウイルスに属する親戚関係のウイルスであるため、SARS流行時に獲得した免疫が現代の新型コロナウイルスにも反応したのだと考えられます。
この様に、SARSに対する免疫能が新型コロナに対しても反応し、その免疫能はSARSが収束した後も10年~15年に渡って維持されていたことが示されました。
さらに興味深いことに、未感染の37人中の19人(51.4%)が新型コロナウイルスの持つタンパク質(パーツ)に反応したのです。

実は、私たちが日常的に罹患している風邪のウイルスの多くもSARSや新型コロナウイルスと同じコロナウイルス属であり、さらには、牛や馬、豚、ネズミ、コウモリなど複数の動物にも固有のコロナウイルス(人間に感染しても発症しません)が存在しています。
この様に、SARSや新型コロナウイルスの親戚筋にある様々なコロナウイルスに感染していて、それらによって過去に形成された免疫が、新型コロナウイルスにも反応した・・・と考えられます(これを「交差免疫」と言います)。

この様に、抗体(B細胞)とは別に、長期(10年以上)に渡って病原体を記憶しているT細胞、即ち、メモリーT細胞が私たちの体内には数多く存在していることが証明されたのです。

-------------------------------------------------------------
(2)ウイルスが体細胞にくっついて体細胞内に侵入するのに必要な、ウイルス表面にあるパーツ

3.メモリーT細胞って何だ?

病原体が体内に侵入してくると、まず、免疫パトロール隊であるマクロファージや樹状細胞がその病原体を捕食し、分解することで、病原体の情報を得ます。次に、情報を得た樹状細胞(これを「抗原提示細胞」と言います)は近くのリンパ節に移動し、待機しているナイーブT細胞 に情報を渡します。すると、刺激を受けたナイーブT細胞は、ヘルパーT細胞(司令塔)やキラーT細胞(攻撃部隊)、制御性T細胞(沈静化部隊)などに分化し、侵入してきた病原体を攻撃する機動部隊を編成します。この機動隊に加わったT細胞を「エフェクター細胞」と言います。
ちなみに、ヘルパーT細胞の一部(Th1細胞)がB細胞を刺激して、病原体を攻撃する抗体を作らせます。
一連の攻撃(免疫反応)によって、感染が終息すると、機動部隊であるエフェクター細胞の80%~90%は制御性T細胞からの指令を受けて1~2週間の内に自己破壊(アポトーシス)を起こして死滅します。しかし、残りの10%程度のエフェクター細胞(大半がキラーT細胞)は、同じく制御性T細胞からの指令を受けてメモリー細胞に分化し、長期間体内で生存します。
メモリーT細胞が長期間にわたり生存することで、同一の病原体が再度侵入してきた場合に速やかに応答して、抗体を産生するB細胞や攻撃するキラーT細胞などを活性化することが出来る様になります。
最近の研究では、ワクチンの作用が長続きする理由は、メモリーB細胞の残存よりも、このメモリーT細胞の残存の方が重要であることが示されています。
さらに、生ワクチン(弱毒化した生きた病原体を接種)ではメモリーT細胞とメモリーB細胞の両方が誘導されて免疫が長期に渡って維持されるのですが、一方、不活化ワクチン(殺したり破壊した断片の病原体を接種)ではメモリーB細胞しか誘導されず、免疫が持続しないことも解ってきました。

-------------------------------------------------------------
成熟したばかりで、病原体等の情報を持っていないT細胞

通常、私たちが新しい病原ウイルス等に感染すると、最初にIgM抗体が産生され、感染に対する早期対応と病原ウイルス等の詳しい情報収集が行われます。次に、IgMが得た詳しい情報に従って、より結合力が強く、攻撃力の強いIgGが遅れて産生され、本格的な攻撃(免疫反応)が起こります(下図)。

抗体の発現パターン1
(出典:https://nazology.net/archives/60168

ですので、研究チームは図1の抗体発現パターンを予測していました。
ところが、調査した日本人の多くが違うパターン(図2)を示していたのです。

抗体の発現パターン2
(出典:https://nazology.net/archives/60168

つまり、日本人にとって新しいはずの新型コロナウイルスに対する抗体の発現パターンは、過去に感染した経験のあるパターンを示したのでした。
この既感染パターンの場合は、メモリーB細胞だけでなく、メモリーT細胞も残存していることを意味しているのです。このことは、日本人の多くが新型コロナウイルスに対する免疫学習を、既に行っていて、多種類のメモリーT細胞を保持していたことを意味します。

この様に、東アジアでは新型コロナウイルスに対する免疫(先のシンガポールの研究でも)がすでに存在していたことによって、欧米とはことなる感染形態を示しているのだと考えられます(図3)。

新型コロナウイルス感染の違い
(出典:https://nazology.net/archives/60168

以上をまとめますと、新型コロナウイルスに対するワクチンを製造する際のポイントは、抗体(メモリーB細胞)の保持だけでなく、メモリーT細胞が発現・保持されているのかどうかの方が重要な評価指標であると考えられます。
これから出てくるであろう新型コロナワクチンの接種でメモリーT細胞が発現・保持されてくれれば良いのですが・・・

Copyright(C) ISS, INC. All Rights Reserved.