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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


会社辞めて地方に移住して
翻訳始めて兼業主夫と
イクメンやってみた
鈴木泰雄

第2回

フリーランス翻訳者は夢の職業か、ブラックか

会社員から転身した後、「翻訳業に興味があるんだけど、実際にやってみてどう?」と尋ねられたことが何度かあります。その多くは海外留学や駐在の経験者からで、「翻訳業って組織や時間に縛られずに自宅から、あるいは故郷に戻ってからでもできる、知的で世間体も悪くない職業かも」という夢を抱いての相談半分、興味半分の質問でした。
一方で、本気で翻訳に取り組み、実際に副業として受注に至った方もいます。私など足元にも及ばない英語力と海外経験を持つ方なので、いつも悪戦苦闘の末に納品する私と違い、スイスイと訳文を仕上げていたはず。でも、ある日、こう言われました。「翻訳の仕事ってブラックだったんですね」。
はたして翻訳業は夢の職業か、ブラックな職業か――この連続コラムが私なりの答えとなるはずですが、ともかくキャリア像も暮らし方も一変したことは確かです。

◆サラリーマン時代のキャリア像

さて、ネット版のCambridge Dictionaryで「キャリア」(“Career”)の意味を調べてみると“a job for which you are trained and in which it is possible to advance during your working life, so that you get greater responsibility and earn more money”とあります。ほかの辞書も似たようなもので、長期的に携わる職業や、その職業に携わる期間の意味です。さらに、多くの場合、地位や収入の面での向上も含意されています。

サラリーマン=「職業キャリア」×「ステップアップ」

私のサラリーマン時代のキャリア像もまさにこの字義に沿ったもので、スキルを磨き、経験を積みながら、上の図のように「職業キャリア」のステップを上っていくイメージでした。

◆フリーランス翻訳者のキャリア像

一方、フリーランス翻訳者になった後は、職業キャリアだけでなく暮らし全般を含むライフキャリアとして見ないと説明できません。

ライフキャリア(“Life Career”)とは?

この「ライフキャリア」という用語は、人材コンサルタントのサイトなどでよく「ライフキャリア・レインボー」の図とともに登場します。これは生涯にわたるキャリアを年齢や場面ごとの複数の役割の組み合わせとしてとらえた概念で、「職業人」だけでなく「家庭人」や「市民」、「余暇人」などの役割も含まれます。

フリーランス翻訳者=「ライフキャリア」×「フラット」

翻訳業を名乗ろうとする以上は、何よりも翻訳の仕事を受注しなければなりません。その一方で、私も共働きの妻もIターン組なので、家事も子育ても二人きりで回すほかありません。いきなり、「職業人」と「家庭人」「生活人」がオーバーラップした毎日に突入です。さらに、慣れない土地での「地域人」としての役割もさぼれません。
その結果、キャリア像も一変しました。それが前回も紹介した右図です。赤い歯車がフリーランス翻訳者という「職業」で、それを取り巻くのは「能力・適性」「お金」「家族」「場所」「年齢」という5つの歯車。
つまり、フリーランス翻訳者として自分の能力や適性を最大限に発揮したい。一方で、フリーランスは収入が不安定。妻もフルタイムの仕事を抱えている中、幼い子どもがいるので日々の暮らしと子育ても手を抜けない。さらに、東京中心の翻訳業界で地方から仕事を獲得しつつ、移住者として地元になじむ努力も欠かせない。また、年齢とともに翻訳者に必須の体力と集中力が衰える一方で、子育ては次の段階に・・・。
こうした現実に対応しながら、前述の複数の役割を自ら主体的に工夫して両立・並立させていく毎日です。どの歯車がうまく噛み合わなくなってもフリーランス翻訳者としての生活はストップ。だから、どれが主でも従でもなく、互いにフラットな位置づけです。こうした生活をひっくるめて時系列で並べたものが、私の社会人後半戦のキャリアです。

◆サラリーマン時代の方が良かったか?

こう書くと、会社員も家族を大切にするし、お金の心配もあるし・・・と言われそうです。

サラリーマンだってライフキャリアは大事。でも・・・

そう、サラリーマン時代の私にも家族があり、会社以外の暮らしがありました。でも、あくまで能力・適性を磨いて職業キャリアを築くことが主で、その他の要素は従。どの要素も会社勤めの枠の中で半ば自動的に決まるか、職業キャリアに沿って選ぶものでした。
たとえば、年齢や職種に応じたキャリアパスやジョブローテーションがあり、それに沿って能力・適性を伸ばし、そのための研修プログラムもありました。また、お金つまり収入は年齢や役職に連動していて、住む場所は転勤という形で決められました。そして、一定の時間を会社に縛られる毎日ですから、家族との関係も役割分担もその枠内で決まります。その一方で、職業キャリアさえ順調ならば、暮らし全般はそれなりに保障されていたわけです。

フリーランス翻訳者になって失ったもの

いまから思うと片足立ちのようなサラリーマン生活。一方で、転身により失ったものもあります。サラリーマン時代は年齢やスキルに連動して収入や社会的地位が上がるだけでなく、仕事を通じて同僚や関係先の人とのつながりも得られました。また、街で自社製品を目にすれば社会とのつながりも実感できました。
ところが、普通のフリーランス翻訳者が手にする収入や社会的地位はささやかで、昇進や昇給もありません。また、社内翻訳者とも違う点として、自宅で仕事を請け負う登録翻訳者の立場だと仕事を通じた人とのつながりが希薄です。しかも、成果物である訳文を誰がどう使ったかを見ずに終わる場合が大半なので、自分の仕事と社会とのつながりを実感する場面もありません。さらに、社内翻訳者も含めて会社勤めならば上司からの評価やフィードバックがあり、それを糧にスキルアップに励むのでしょうが、登録翻訳者は評価が低ければ次から声が掛からないだけです。
ちなみに、出版翻訳では書店に訳書が並ぶので、“情報や文化の架け橋”という形で社会とのつながりを感じられます。また、ヒットすればお金や社会的地位につながるという淡い期待を抱ける点も実務翻訳と違います。

◆フリーランス翻訳者になって取り戻した世界

このようにフリーランス翻訳者になって失ったものがある一方で、家族や育児を通じて「家庭人」の世界、家事を通じて「生活人」の世界、地域・コミュニティを通じて「地域人/市民」の世界の中で過ごす日常を手に入れました。
サラリーマン時代には縁遠かったそうした世界と「職業人」の世界を両立させることは、楽しいばかりでなく体力的にも精神的にもハードです。それに「イクメン」という言葉が流行語大賞に選ばれたのが2010年で、私が転身したのはその7年前。ワークライフバランスやリモートワークという言葉など耳にしたこともない時代ですから、都会ならまだしも、田舎では世間の目が気になることもありました。
それでも、その見返りとして自分が望む仕事をしながら、自然豊かな土地で、家族と共に毎日を過ごせてきたわけです。

山に登るか森で過ごすか

私が住む鳥取県には中国地方の最高峰、大山(だいせん)があります。伯耆(ほうき)富士(ふじ)とも呼ばれる独立峰で、山頂からは因幡(いなば)の白兎など神話の舞台となった土地や日本海を、さらに晴天なら隠岐の島まで望めるので、多くの登山客が訪れます。また、中腹にはブナの森が広がり、新緑や紅葉の季節には観光客がカメラを構えます。
山ならば今日は山頂、明日はブナの森という過ごし方も可能です。でも、人生ではどちらかを選ばなければなりません。さしずめ私は登山に出かけたのに、5合目あたりで気が変わり森を探索することにしたようなもの。サラリーマンを続けていれば山頂からパノラマを眺められたかも・・・と思うこともありました。でも、フリーランス翻訳者だからこそ森で育つひな鳥を見守り、巣立つ姿をカメラに収められたとも思うのです。



次回は一つ目の「歯車」である能力・適性の切り口から、フリーランス翻訳者の「職業人」としての側面についてお話しします。

鈴木泰雄 京都大学文学部卒業。MBA(ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院)。大手飲料メーカーにて海外展開事業等のキャリアを積んだ後、翻訳者として独立。家事・育児と両立しながら、企業・官公庁・国際機関向けの実務翻訳のほか、「ハーバード・ビジネス・レビュー」「ナショナルジオグラフィック(WEB版)」をはじめとしたビジネスやノンフィクション分野の雑誌・書籍の翻訳を幅広く手掛けてきた。鳥取県在住。

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