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加藤早和子先生

加藤早和子先生のコラム 『いつもPresent Progressive』 南山大学卒業。特許文書翻訳、調査会社勤務を経て、アイ・エス・エス・インスティテュート同時通訳科で訓練。
現在はフリーランスの会議通訳者として、医学・獣医学、薬学、バイオテクノロジー、自動車、情報通信、環境、知財、財務、デザインなど幅広い分野で活躍中。

第6回:英語のexposure

コラム執筆も今回は6回目となり、短文ではありますが締め切りを持ちながら書くということにやっと慣れてきました。
もうしばらくお付き合え願えれば幸いです。

前回は日本語のテクストを聴く姿勢について私の思っていることを書いてみました。母語とはいえ、中立的に客観的に過不足なく聴解することが意外に意識的な行為だということを書きました。母語なら何でも正しく理解しているわけではないのです。
話し手は考えながら直感的に話をすることもあるでしょうから、「言葉に出してみて初めて自分が何を考えているかがわかる」こともあるでしょうし、そのまま口述筆記すれば日本語の体裁が崩壊していることもあるかもしれません。
聴いて理解に落とし込む、この部分が一つの通訳の肝です。
理解度のレベルは、通訳スキルの一つの重要指標でもあります。

今回は他言語である英語が少しでも自分のものになるよう、どう工夫して勉強してきたのか、筆者の経験を共有してみたいと思います。

最初にもご説明しましたが、筆者は帰国子女ではありませんし、大学でも英語学や英文学を専攻したわけでもなく(一応、英語の授業や文献読解の授業はありましたが)、海外留学もしていません。また、家庭の事情で、長期にわたって、いわゆる年単位で日本を離れることはできませんでした。
で、何故?どうやって?と思われるかもしれません。
申し上げたように、好奇心がドライバーと言えばそうなのですが、振り返って考えると、中学生時代にフルブライト留学生だった先生が主宰していらした英語塾に通ったこと、それからキャリアの初期に偶然でしたが翻訳をしていたことが基礎づくりに役立ったように思います。

その頃の英語塾では、基本的に学校の授業のおさらい、その頃よく使われていたSONYの英語カード(磁気カードを読み取り機にかけると発音してくれる、あれです、すみません、何という仕組みだったのか忘れてしまいました!)と、たまに、少し発展したEnglish Exerciseをやっていたぐらいです。毎週日曜日に、夏は霧が立ち上る川沿いを自転車で走って塾に通っていました。先生の塾での授業にはとても感謝しています。おかげさまで英語の成績はよかったです。

話はそれますが、幼少期の子供達の英語教育に熱心な方々には、「そんなに頑張らなくてもいいからリラックスして~」と申し上げたいです。たまたま、ある英単語を子供がネイティブ並みに発音できたとしても、何の意味もありません。そのうち忘れますし、大人になって習った英語の発音がネイティブ風でなかったとしても、その頃に重要になるのは内容、コンテクスト、それに人柄です。
私のように、普通に義務教育から英語学習を始めても通訳になることはできます。筆者がその好例です。
それよりは、日本語の感性をじっくり育んで、知的で幅広い日本語能力の基礎を形作ることの方がもっと重要だと思います。小学~中学生の年齢ではその基礎作りがとても大切なのではと、強調したいです。

申しました通り、初期の頃は、産業翻訳というジャンルで特許明細書の翻訳をやっていました。粛々と翻訳作業をしながらcompriseとincludeの違いとか、「ブラケットの取り付け」がmountなのかattachmentなのか、などの細かい単語の使い分けを考え、ブラケット自体が何をするものなのかはわからないながらも、学ぶことができました。もともと凝り性な性格もあり、気になりだすと拘るほうなので、日本語と同様に英語でも細かい表現の違いは大切だと学びました。

その後、通訳を始めて10年ほどの期間は、数週間〜数ヶ月の出張ベースのプロジェクトが多く、現地のナマな環境の中でいろんな英語に触れ、吸収することができました。この期間のexposureが、英語という国際言語の背景にある固有文化を体験したという意味では、一番肥やしになったように思います。
思えば、良いクライアントに恵まれて各地に連れて行っていただけました。
技術系の英語に慣れていたおかげで、重宝していただけたと思います。
米国でのプロジェクトもありましたし、英国にも何度も連れて行っていただき、現地の文化に深く浸って過ごすこともできました。90年代の英国は不況の影もありましたが、おそらく今とは違ってちょっとのんびりした古めかしいけど良い面もまだ残っていた時代です。クライアント先は製鉄会社でしたので、英国内のローカルな地方での機会もあり、地方の方言や訛りも多少区別できるようになる副産物もありました。相手先の担当者がボキャブラリーの豊富な人で、おしゃべりも楽しかったし多くを学びました。リバプールとビートルズ博物館に行けたのも思い出ですし、何より、行くたびにチャンスを見つけて劇場で演劇やミュージカルを堪能しました。
いろいろな舞台を観ましたが、RSCのシェークスピア劇は言葉の韻律や音楽性(という表現が適切かはわかりませんが)が気持ちよく「英語ってこういうリズムの言語なんだな」と肌で感じられます。言葉一つ一つが全て理解できなくても、大まかな流れとリズムに身を任せて楽しむのが秘訣です。
シェークスピア劇は、悲劇にしても喜劇にしても大抵は最後の大団円で全ての筋のからくりの説明があり、観客は顚末を知って「納得」するパターンが多いように思いますが、逆に日本の芝居は曖昧さを残すエンディングも多く、こんなところにも特徴的な文化背景が見つかるように思います。変な言い方ですが、芝居の筋にもaccountabilityを求めるのかしら、との視点で見れば、日本に「アカウンタビリティー」という概念がなかなか根付かないのもさもありなん、と思ってしまいます。
日本の歌舞伎や文楽もよく観に行きますが、それぞれに言語固有の語りや意味の伝え方のリズムやスピードがあって、非常に奥深いものです。

本筋に戻しますが、現在は日本にいながらでも生の英語にアクセスすることは容易です。CNNやBBCのニュースはもとより、インターネットラジオも聞けるし、隔世の感があります。言語のExposureはどこにいても可能になりましたが、文化へのexposureにはさらにひとひねりの想像力が必要でしょう。

それであってもプロの通訳を目指すのであれば、地道な勉強が必要であることは全く変わりません。
どんな経験も無駄になるものはありません。
無駄にしない意志と努力と、無駄にしないための発想の転換があってこそ、「何も無駄なことはなかった」と言えるのだと筆者は思います。

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