Tips/コラム
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プロの視点
『Hocus Corpus』 コトバとの出会いで綴る通訳者の世界 和田泰治
第9回
“Gaslight”ネタバレ注意! (Spoiler warning)
今月は映画のお話です。ここ数年、アメリカの、特にリベラル系のメディアで高頻度で使われた言葉があります。それが今月のトピックの
ご存知の方も大勢いらっしゃるかとは思いますが、この
主人公のポーラは、何者かに殺された叔母の家で新婚の夫と暮らし始めますが、次々と不可解なことが起こります。紛失した物が知らないうちに自分のバッグに入っているなど、巧妙に精神的虐待の罠を仕掛けられ追い詰められてゆくポーラ。タイトルのガス燈は、ポーラが一人になると夜な夜な不気味に薄暗く点滅し、主人公の精神の葛藤と恐怖を視聴者に象徴的に伝えます。ポーラは自分が精神を病み、正気を失ってゆくのではないかとの疑念に取り憑かれ、錯乱寸前にまで追い込まれ・・・・・と物語は展開してゆきます。
ここから派生して「ガスライティング」は、単なる虐めや嫌がらせではなく、周囲の人間からも理解や支援が得られず、自分だけが異常なのではないかという不安を煽ることで精神的に洗脳し、追い詰めてゆく行為を指しているそうです。映画のタイトルが、これほど直接的に機能的言葉として使われるケースは珍しいのではないでしょうか。
リベラル陣営や反トランプを表明した人たちから見たドナルド・トランプ前大統領の手口はまさにこの「ガスライティング」なのでしょう。虚実を巧みに織り交ぜ、途方も無い陰謀論も展開しつつ、それを信用しない、あるいは反対意見を述べた者は、洗脳された熱狂的支持者と連携して徹底的に糾弾し、追い詰めてゆく手法です。
CNNで引用されたある共和党関係者の言葉がこれをよく物語っています。
「空が青い」と言うだけでも・・という例えは強く訴えかけるものがあります。
もし読者の中にトランプ支持者の方がいらっしゃいましたら気を悪くされたかもしれませんが、説明の都合上あくまでリベラル陣営の視点からという前提で執筆しておりますのでご容赦下さい。
さて、映画の「ガス燈」は、前述の通りシャルル・ボワイエが怪演する冷徹な犯罪者が、イングリッド・バーグマンが演じる、若く美しい妻を心理的に追い詰めますが、最後は刑事がそれに気付いて人妻を助け、悪人には正義の鉄槌が下されるというストーリーでした。これとは逆の発想でおもしろかったのが、「生きていた男」という1984年の日本のドラマです。主演は渡瀬恒彦と桃井かおりで、原作は1958年のイギリスの映画 “Chase the crooked shadow”だそうです。このドラマは、「ガス燈」とは逆に、警察が「ガスライティング」の手法をこれでもかと駆使して殺人犯を心理的に追い詰め、ついには自白に至らしめるというドラマでした。
(以下再びネタバレ注意)
ある日、一人暮らしの女性の前に彼女の兄だと称して一人の男が現れます。しかし彼女の兄は猟銃自殺して亡くなっており、わけがわかりません。「俺はお前の兄だぞ。どうしたんだ」と何日も家に居座る兄と称する男。写真など、男が別人だと証明する物もいつのまにかすべて消えてしまっていました。恐ろしくなった彼女は周囲の人達に助けを求めますが、家の使用人も、親類も取り合ってくれません。様々な不審な出来事が起こり、兄の仲間と称する正体不明の女まで家に上がり込んできます。精神的に追い詰められた彼女は、孤立無援の中、密かに警察に連絡し、謎の男と、本当の兄が残した指紋の照合を依頼します。そして関係者全員が一同に会して指紋照合を行う日がやってきました。これでついに謎の男の悪事を暴ける、みんな自分を信じてくれると彼女は確信しますが、照合の結果二人の指紋はピタリと一致してしまいます。極限まで追い詰められ、精神的に逃げ場を失った彼女は錯乱して叫びます。「この人が兄さんのわけないじゃないの。何故って、兄さんは私がこの手で殺したんだもの」男は静かに立ち上がり、電話の受話器を取ります。「捜査一課の風間だ。犯人が自白した」
このドラマの原作が、「ガスライティング」を意識して制作されたものか否かはわかりませんが、この言葉の意味を実感する上では本家の映画「ガス燈」を凌ぐ出来栄えとも思えます。
それでは今月は以上です。また来月のブログでお会いしましょう。
和田泰治 英日通訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 東京校英語通訳コース講師。明治大学文学部卒業後、旅行会社、 マーケティングリサーチ会社、広告会社での勤務を経て1995年よりプロ通訳者として稼働開始。 スポーツメーカー、通信システムインテグレーター、保険会社などで社内通訳者として勤務後、現在はフリーランスの通訳者として活躍中。
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