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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第29回

Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

幸せの定義

幸せとは、何でしょうか?英語コラムで考えるのはおこがましいほど壮大なテーマではありますが、ここで「幸せ」とは精神的充実、つまりhappiness(気分が健やかな状態)やもっと安定的なmental well-being(心が満たされた状態)とし、物理的・社会的充足、つまりphysical or social well-being(欲求が満たされた状態)とは区別します。

幸せとは「充足曲線の接線の傾き」ではないかと、私は考えます。ややこしければ「接線の」は省いてもらって構いません。要するに、上へ向かうカーブが急になるほど幸せだということです。充足曲線とは、自分の物理的・社会的な充足度が、時間とともにどう変わっていくかを表す曲線です。

志望校に合格し、希望の会社に就職し、高い給料を貰い、理想のパートナーと結婚し、子供に恵まれる。もちろん充足度は限りなくMaxでしょう。しかし、だからといって幸せを感じられるとは限りません。

欲求が満たされた状態が続けば、いつしかそれが当たり前になります。今まで上昇してきた充足曲線は、横ばいになります。このとき接線の傾き(カーブの急峻さ)はゼロです。良くも悪くもない気分で、心はなんだか満たされません。子育てなど、思い通りにいかないことが起きれば、カーブは右下がりになります。傾きはマイナスになり、理想的な人生のはずが不幸せを感じることになります。

逆にいえば、いま欲求が全然満たされていない状況だとしても、幸せは感じられるということです。それどころか、感じやすいはずです。充足曲線が下のほうを這っていて、The only way is up!(あとは上へ向かうだけ)なわけですから。

2年連続最下位の中日ドラゴンズが開幕4試合目にして今季初勝利を収めた時の幸せといったら、まるで優勝したかのような気分でした。下にいるほどほんの小さな幸運でカーブは急上昇し、very happyになれるのです。大事なのは、ちょっとした出来事でもポジティブにとらえようとする姿勢ではないでしょうか。

いまだ変曲点は見えず

経済記事でよく使われるinflexion pointは本来、曲線が緩やかから急、または急から緩やかへと大きく変わるポイント(変曲点)を指します。横ばいになりかけていた曲線が急上昇に転じる点や、上に伸びていた曲線がなだらかに転じる点です。

一方、turning pointは傾きがマイナスからプラス、またはプラスからマイナスに変わるポイント(転換点)です。カーブ上では頂点、つまり底あるいは天井の点となります。

ですから、inflexion pointは経済の文脈だと本来、たとえば経済が低成長から急成長に転換する局面や、株価が緩やかな上昇から急上昇に転じる局面などを指すはずですが、実際にはマイナスからプラスに変わる局面(またはその逆)にも使います。日本語訳も「変曲点」はあまり一般的な言葉ではないので、「転換点」や「ターニングポイント」を充てがちです。

幸せ度でいうと、ジワジワした幸せからサプライズ的な幸せに発展する段階ですが(たとえば、温泉に浸かったあと、思いがけないプレゼントを受け取るとか?)、翻訳の世界のinflexion pointは、どんな局面でしょう?

まず、文をword for wordの置き換えでなく、文全体のイメージを伝える形で訳せるようになった瞬間でしょうか。それを段落単位、さらには文章単位で行うことを心掛けて、真の翻訳へと近づいていくわけです。

私の場合は「翻訳力が通訳に生きている」と感じられる瞬間でしょうか。翻訳と通訳の違いとして、時間的制約が挙げられます。時間をかけて文章を練る翻訳に対し、通訳は限られた時間の中で編集を行うことになります。同時通訳はもちろん、逐次通訳でも与えられる時間はごくわずかです。

それでも、十分に時間をかけて質の高い文章を構成するトレーニング、すなわち翻訳訓練を続ければ、瞬発的に繰り出す通訳の質も上げられるのではないでしょうか。

時間以外にも根本的な差、つまり「読む・書く」の翻訳と「聞く・話す」の通訳という違いもあるため、私はいまだそのinflexion pointにたどり着いていません。通訳力に関しては、まだまだジワジワ上がっている(と思いたい)状態ですが、いつか変曲点に到達できる、つまり翻訳力が通訳に生きていると感じられる瞬間が訪れると信じて、通訳や通訳ガイドの仕事にも挑戦しています。

私が安定を良しとせず挑戦を好むのも、心のどこかで常に充足状態への慣れからの脱却、つまり幸せを追い求めているからかもしれませんね。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第34回:EqualityとEquity:そしてFairness、Justice

第33回:Resolution:その翻訳、「解像度」は足りていますか?

第32回:Frailty:フレイルと猛暑そして大統領選

第31回:Special moment:「特別な瞬間」よりも自然に訳すコツ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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