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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第26回

Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

カタカナ語の弊害

新しく入って来た概念を単刀直入に表すのは簡単ではありません。たとえばinclusionという、よくdiversityとセットで使われがちな、機会の平等な待遇の公平を求める声に応じて生まれたコンセプト。これを表す日本語としては、「包摂」、「包含」、「一体性」などが挙げられます。

ただ、こうした語句だけではinclusionの意味を理解することどころか、連想することも難しいでしょう。ならば、「インクルージョン」とカタカナのままにすることで「これは新しい概念ですよ」とほのめかしつつ、その定義を明確に示したほうが良さそうです。

しかし実情は、明確に定義することなくカタカナ語が多用されています。inclusionも、どこまで理解されているのか疑問です。「includeだから受け入れる、要するに、いろんな人を受け入れる、ってことかな?」ぐらいの理解で広まっているように感じますが、それはむしろdiversityの考え方です。

inclusionとは、そうした多様な人々が疎外されずに個性や能力を発揮できるような環境を構築すること。diversityと区別せず、はっきりと理解しないまま適当に伝えるのは「翻訳者の怠慢」であり、誤解を広める元凶です。

例えば、会社案内にWe value diversity and inclusion. という文言があったとしましょう。「当社はダイバーシティとインクルージョンを重視します。」と訳して「要するに、いろんな人を受け入れるってことなか?」と解釈されないように、カタカナを入れるにしても「当社はダイバーシティ、つまり多様な人材を受け入れる体制、そしてインクルージョン、つまり誰もが居心地の良さを感じながら個性や能力を存分に発揮できる職場環境の構築に取り組んでいます」のように訳すべきではないでしょうか。少なくとも、インクルージョンという言葉が正しく理解され、普及するまでは。

Insightはインサイトでいいのか

この、「何となく」でカタカナに訳す傾向は、新しい概念に限りません。insightには「洞察」(「洞察力」という意味もありますが、ここでは除外します)という、内容がかなり一致した辞書訳があるにもかかわらず、特に最近は「インサイト」で済まされがちです。

そもそも「洞察」という言葉自体が難解な響きを持つために避けられやすい、というのもあるかもしれません。また、若干ズレている点として、洞察が本来は「深く理解すること」、つまりプロセスを意味する一方、insightはOxford Dictionary of English によればan accurate and deep understanding(正確で深い理解)、つまり結果を意味しがちです。その点では「(深い)知見」のほうがinsightとマッチします。

そしてコロケーションの問題。insight を目的語に取る動詞として、gainのほか、その反対のprovideもあります。つまり、gain an insightもprovide an insightも自然な組み合わせですが、「洞察を与える」は自然でしょうか?洞察は自分で行うプロセスですから、「洞察を得る」はまだしも、与えるものではない気がします。

ただし、たとえば同系列の言葉といえる「気づき」は、「気づきを与える」という翻訳調にも聞こえる表現が、普通に使われるようになっています。それを考えると、「洞察を与える」もアリだといえるかもしれませんね。個人的には違和感がありますが。

そういう煩わしさもあって、「インサイト」と訳されることが増えたのでしょう。想定される読者がそれで十分に理解できそうなら、問題はありません。また、用語として特有の意味を持っているのであれば(たとえばマーケティングで消費者インサイトは「消費者の選択動機」)「洞察」などとするべきではありません。

自然に訳すコツ

でも、誰にでも分かるように、なおかつ自然に訳すには?まず、意味への理解を深めること。そして、視点を変えてみることです。

以前訳した本に「<data>が意味ある<information>になり、それを分析することで役立つ<knowledge>になる」という話がありましたが、このknowledgeに代えてinsightを使う説明も見かけます。ですから、文脈によってはinsightを「分析結果」と訳すこともできるでしょう。

そして、たとえばThe survey provided us with many insights. を「調査は我々に多くの洞察を与えた」とするより、us の目線で考えて訳したほうが自然になります。つまり、「我々は多くの洞察を得た=いろいろ深く理解できた」ということですから、それを中心に「調査によって、さまざまな点について深く理解できた」という訳し方もできるわけです。

原文の視点や辞書訳、品詞にとらわれず、語句についての深い理解、つまりinsightをベースに考え、それを訳文として表現することが重要です。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第30回:Another Version of Me:違う「世界線」の自分

第29回:Inflection Point:いつか翻訳が通訳に繋がると信じて

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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