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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第24回

Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

先月、また歳をひとつ重ねました。ケーキをいただいたあと、午後9時に家を出て、ひとり歩き出します。手にはスマホ、耳にはワイヤレスイヤホン。好きな70年代フォーク(特に高田渡)を聴いて、この1年に感謝しながら散歩、というわけではありません。「ビフォーダ パンデミック リアーディッツ アグリヘッ」などとぶつぶつ独りごとを言いながら、あてもなく住宅街をさまよいます。

翻訳者は辞書を効率的に引ければそれでいい?

翻訳者は通訳者ほど即応力を求められません。分からない語句があれば辞書やネットで調べられます。ということは、それほど語彙力がなくたって十分にやっていけそうです。実際、翻訳者にとっての語彙力の重要性を説く人や、その蓄積に重きを置いている人をあまり見たことがありません。それよりも辞書・辞典の効率的な引き方のほうがよっぽど重要だと、考えられているようです。

たしかに、ひと昔前であれば、それで十分だったかもしれません。正確で、原文に忠実で、それなりに分かればOK。そんな訳で通用した時代であれば。しかし今、私たちは機械・AI翻訳との競争にもさらされています。差別化が必要なわけです。つまりは、正確さ、分かりやすさ、自然さ、簡潔さ、忠実さのどこに軸足を置くかを文書の目的や対象読者に応じて見極めた上で、「文脈を乗せた」訳に仕上げることを求められています。

そのためには、文章の全体像あるいは要旨、段落の要点、各文のポイントを押さえること、そして論理的構成(手段と目的、原因・理由と結果・帰結の関係など)を見抜くことが必須になります。しかし、どれだけ効率的だとしても、意味が曖昧な語句をいちいち調べ、そのたびに原文から目も意識もそらしていて、そんなことができるでしょうか?

そして、やはりスピード。文字通り一瞬で訳してしまう機械には到底かないません。それでも対抗上、同じ人間である通訳者の処理速度を、翻訳でも目指すべきではないでしょうか。となると、いちいち調べている暇はありません。もちろん、正確を期するとともに、読みやすさを確保するためにも、辞書・辞典の使用を含むリサーチは非常に重要です。ですが、その手間を極力減らす努力も極めて重要だということです。

かく言う私も、語彙力の重要性をナメていました。それに気づかされたのは、ISSの通訳コースを受講したときです。読めば、聞けばわかるけど、特に日→英では、さっと言葉が出てこない。アウトプット・ボキャブラリーの不足を痛感しました。

そこで、アプリを使った語彙力強化トレーニングを始めました。使用しているのはWordHolicというアプリです。これを選んだのは音声対応だから。以前にも文例集をミニノートで作ってジムでバイクを漕ぎながら復習していましたが、なかなか続きませんでした。これなら、スマホで再生ボタンを押すだけで、犬とお散歩しながら、お料理しながら復習できます。

これぞ最強!語彙力の高め方

具体的には、こんな手順です。

  • 1. New York Times等(ネイティブらしい表現を拾うのにおすすめ)やJapan Times(日本ならでは物事の英語表現を拾うのにおすすめ)を電子版で読み、覚えたい表現(語句や文)を選択する
  • 2. 「共有」ボタンでOneNoteに保存する(ここまではスマホやタブレットでもできる)
  • 3. PCでGoogleのスプレッドシートに対訳をつけてまとめる(「日常」「金融」「イカす表現」など、テーマごとにシートを分け、それぞれ500行までとする)
  • 4. WordHolicにシートをインポートする(各シートを別々のフォルダに入れる)
  • 5. 設定を「日→英(反対にもできる)、シャッフル(ランダム並び)、未暗記カードのみ」にする
  • 6. 再生ボタンを押し、日本語が読み上げられたら英語で声に出して返す(スピード調整可、私はゆっくりめ)
  • 7. 次のカードに替わる前に返せたら、チェックをタップする
  • 8. そのフォルダを終え、今度復習するときは、未暗記カードだけになっている(例500枚→350枚)
  • 9. これを、未暗記がゼロになるまで繰り返す(できれば1週間以内)
  • 10. 全クリアしたら、シートをインポートし直して、また一からやる(それまでに語句・文が追加されている)

受験時代は単語カードを使い、その後ノートも使いましたが、このやり方が一番頭に残ります。「読んで、書いて、聞いて、話す」という形で4技能をすべて絡めているからでしょうか。「日英を対にして暗記しても、言葉が邪魔をして実践では使えない」という意見もありますが、私はそうは思いません。

百人一首のようなもので、たとえば「コロナ禍が始まる前から、サプライチェーンに大混乱をもたらしていた」と全部読み上げられなくても、何度もやっていると頭を聞くだけで It had already caused massive disruptions to the supply chain before the pandemic reared its ugly head. と返せるようになります。つまり、cause massive disruptionsやrear its ugly headのような表現を、日本語と関係なくパターンとして獲得できるのです。

能力のピークを過ぎても

誕生日に歩き出したのは、蓄積した語句・文(現時点で3,250カード)の総復習を終え、「この1年間での成長」を形にするためでした。数週間前から始めていたものの、まだ残り2フォルダ、約300カード。未暗記がゼロになるまで繰り返しているうちに隣の隣の町まで来てしまい、帰宅は午前3時となり期限をちょっとオーバーしてしまいました。

そして、新しい表現を日々追加するとともに、また一から始めます。総復習をしたところで、次にやる頃には半分近くはさっと出なくなっているでしょう。年齢とともに記憶力は衰えます。ピーク年齢が30代と言われる将棋の世界と同様、翻訳の世界も能力的なピークは意外と早いのかもしれません。それでも、何度でも立ち上がってきた私は断言できます。少なくとも語彙力あるいは英語力は、今が自己ベストだと。

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

村瀬隆宗のプロの視点のアーカイブ

第28回:Hallucination:生成AIとの付き合い方

第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

第5回:Meta:メタ選手権で優勝しちゃいました

第4回:For〜木を見るために森を見よう〜

第3回:Trade-off〜満点の訳文は存在しない〜

第2回:Translate〜翻訳者は翻訳するべからず?〜

第1回:Principle〜翻訳の三原則とは〜

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