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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム
『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗
第19回
ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由
機械翻訳の急速な進化により、翻訳者は存在価値を問われています。瞬時に、しかも無料で翻訳できるなら、なぜ結構な時間を取り、しかも決して安くはない翻訳者に頼む必要があるのでしょう?そして追い討ちをかけるように、ChatGPTが巷で話題となり、自然な文を生成すると評判になっています。早いわ安いわ自然だわ、となると、もはや翻訳者に出番はないように思えます。
これに対する翻訳業界の反論は、機械翻訳や学習機能を備えたAI翻訳は「まだまだ不正確」というものです。その通りではありますが、現時点で正確性が不十分だとしても、数年後はどうでしょう?振り返ると、10年前は機械翻訳など、誰も相手にしていませんでした。それが今やこの騒ぎなわけですから、その延長線上も予測できないはずです。
私は翻訳学校の講師という立場上、ChatGPTで使われているような技術を生かした機械翻訳の「正確性はいずれ100%になる」、しかも「自然な文でそれを実現する」と想定しています。だとすれば翻訳を学んでも仕方ないのに、無意味な講座を続けるつもりか、と思われるかもしれませんが、そうではありません。「ただ単に正確で自然な文に訳せる」にとどまらない翻訳力を身に付けてもらい、将来的にAIがさらに進化したとしても、プロ翻訳者として活躍できるようになってもらおう。そういう意識で指導にあたっているというわけです。
裏を返せば、正確で自然な文に訳すだけでは翻訳とは言えない、ということ。つまり、そこを突き詰めたところで、機械やAIに「真の翻訳」はできない、ということです。以下では、その理由を挙げていきます。
① 文化のギャップを埋められない
「翻訳では足し引きしてはならない」とよく言われますが、それは「書き手が持っていたイメージを足し引きなく読み手に伝えるべし」という意味です。そうするためには、たとえば米日翻訳なら、アメリカの文化的背景を日本語訳に乗せることが求められます。つまり、言葉のレベルでは時に原文への足し引きが必要になるということです。
お決まりのフレーズ等であればAIも学習によってカバーできるでしょう。しかし、文化の違いについての知識を踏まえながらイメージを伝える、という臨機応変な対応はできないはずです。
② 行間を読めない(訳すべき場合)
上記にも関連しますが、日本語はハイコンテクスト言語、つまり阿吽(あ・うん)の呼吸を前提とした言語とされています。 そんな「皆まで言わせるな」という書き手の言葉を、そのまま他言語に置き換えても、国外では通じないでしょう。
これも慣用句レベルなら機械でも対応できそうですが、たとえば「AIを積極的に活用していく」という意味での「AIを拡大する」をexpand AIと訳しても、意味は正しく伝わりません。expand the use of AIのように行間を捕捉する必要があります。
阿吽は決して日本の専売特許ではありません。当然ながらアメリカでも業界内、さらには会社内でツーカーのやり取りが交わされているわけで、その文書を訳す上では行間を読むことを求められます。これは人間であっても、社内翻訳者のように組織内の事情に精通していないと難しいことではありますが。
③ 行間を読めない(直接的に訳す必要はない場合)
そもそも、書き手の持っていたイメージを正確に再現する上では、行間を読む力が欠かせません。まったく同じ文だとしても、熱く説得しようとしているのか、それとも冷たく皮肉を込めているのか、文脈によって訳し方は変わります。
この場合、言外にある含みを訳に補足として入れるというよりも、行間のニュアンスを訳に織り込む(「文脈を乗せる」と呼んでいます)ことになります。これはChatGPTの根幹を成す、確率論に基づいて自然な文を組み立てる大規模言語モデル(LLM)にできる芸当ではありません。
さらに言えば、人が文章を書くとき、「同じ人間として言語を超えて分かり合えることがある」という前提があるはずです。そういう「人間あるある」的な要素を機械がうまく訳し、読み手の共感を誘えるとは思えません。
④ 知識のギャップを埋められない
翻訳では、対象読者に応じて訳文の語彙レベルやスタイルを変えます。ChatGPTなら、対象を指定することによって、ある程度それに合った訳にすることが(将来的には)できるかもしれません。
ただ、そもそも原文の対象読者と訳文の対象読者の知識レベルが、いつも全く同じとは限りません。たとえば難解な概念を、関連知識が(原文の対象読者と比べて)浅い読者に向けて訳すことを求められる場合も珍しくありません。同じ一般読者が対象でも、金融リテラシーが相対的に低い日本の読者が相手なら多少かみ砕いて訳すとか。
そこまでするのはaugmented translation(拡張翻訳)だという意見もあるかもしれませんが、あくまでも「書き手のイメージを読み手がそのまま思い描けるように伝える」のが翻訳であるというのが、私の考えです。
そういう、難しいことを分かりやすく伝えられている文章は、稀少ではないでしょうか。たとえば、AI関連の知識が乏しい人でもChatGPTの仕組みを明快に理解できる文章は、少なくともネット上にはほぼ存在しません。ChatGPTが学習しようにもデータがない、ということです。
一方で私は、たとえばWikipediaの説明を読んでも理解できない人に、同じ情報を文章で分かりやすく説明するのが得意だと思っています。難解な文をさっと理解できるほど頭脳明晰ではないだけに、理解できない人の気持ちが分かるからです。やはりここでも、自然言語処理(NLP)では得られない、(平凡な頭脳の)人間ならではの体験が、読み手にわかりやすい訳文や文章を書く上で生きると思っています。
⑤ 自然で正確な文を書ける=自然で正確な文章を書けるではない
翻訳学校の受講生の訳文を見ていても、この間に大きな壁があるように感じます。つまり、文レベルである程度の正確性を保てるようになってから、書き手のイメージを伝えられるような文にし、それを適切につなぎ、段落や文章を構成できるようになるまでに、かなりの努力を要するということです。
前述の「文脈を乗せた」訳文にするには、行間を読むだけでなく、文章の要旨や段落の要点、その中での各文の役割や文内のポイントを押さえた上で訳すことが求められます。これも、確率論頼りの大規模言語モデルには到達できない領域です。
機械やAIに真の翻訳はできない。それを知っていれば、その進化を恐れずに済みます。むしろ、ChatGPTは敵ではなく、味方だと考えることができます。私自身、機械に直接翻訳を任せることはなくても、ChatGPTをツールとして試し始めたところです。次回は、その辺りの活用法について紹介したいと思います。
村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。
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