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プロの視点 ー 通訳者・翻訳者コラム


『LEARN & PERFORM!』 翻訳道(みち)へようこそ 村瀬隆宗

第8回

Commitment:行動の約束

アジェンダ、ガバナンス、サプライチェーン。紙面も会話もカタカナ語であふれるにつれ、翻訳でもカタカナ訳が幅を利かせています。決して翻訳者の怠惰のせいではないのです。日本人の英語ボキャブラリー、いえ英語語彙力が上がるとともに、下手に近似する日本語に置き換えるよりも、そのままにしたほうが通りやすくなった結果ではないでしょうか。

  

最近でいうとsustainability。「持続可能性」と訳すより「サステナビリティ」としたほうが文書の目的や対象の読み手によっては自然で、「サボってるように思われたくないから漢字にしたい」という気持ちを抑えて後者を選択することが増えています。

  

通りがいい、自然に聞こえる、というだけでなく、コンパクトな熟語に押し込めようとすることで発生するニュアンスのずれも防げます。たとえばcommitmentは「約束」でいいのか。promiseとは少し違うのではないか。ならば無難に「コミットメント」でいこう。こんなところもカタカナ訳が増えている気がします。SDGsの目標にもcommitmentがいくつか出てきますが、コミットメントと訳されています。

  

翻訳者が横着をしている側面はまったくない、といえば嘘になるかもしれません。文脈に即した意味を考えることなくコミットメントで済ませられるなら、そのほうが楽です。しかし、そういう姿勢が機械翻訳につけ入る隙を与えるのではないでしょうか。

  

コミットメントと訳すとしても、語義を正しく把握した上で、日本語にしようと思えばできるという前提で、そうするべきです。さもなければコミットメントという言葉を中心に文を組み立てることになりますが、語義を踏まえた上で柔軟に落とし込まなければ、自然な文にはなりにくいでしょう。

  

では、commitmentとpromiseでは何が違うのか。ネイティブの間でも見方が分かれるようですが、以下のいずれかの違いを指摘する意見を多く見かけました。

  

① promiseは対他人、commitmentは対自分 たしかにI made a promise to write an English essay once a month. というと先生か誰かにやるように言われて約束しているような印象を受けます。一方、I made a commitment to write… の場合は自分で決めたことという感じがします。ならば、「約束した」という訳では合わず、「することにした」「決意した」が自然ではないでしょうか。

  

ただ、たとえばtrade commitments の場合、貿易交渉の中で自主的に決めたとしても、守る義務を相手に対して負うことになるはずです。中国が対米交渉で掲げたtrade commitmentsを果たさなければ米国は怒るでしょう。ここでは「約束」の訳がマッチします。

  

対自分ではない例として、温暖化防止のcommitmentも挙げられます。上のような二者間でなく、社会的または国際的commitmentの場合は「目標」が使われがちです。ですから、commitmentには自発的なニュアンスがあるとしても必ずしも「対自分」ではなく、義務を負う対象によって訳し方が変わるようです。

  

② promiseは言葉、commitmentは行動 自分としては、これが一番納得できました。promiseは口約束というと聞こえが悪いのですが、「とにかく結果を出す」という表明であり、気持ちが先行している感じがします。一方、The company has made a commitment to diversity. というと、ダイバーシティ(多様性)促進のための部署をつくるなど、それに向けて取り組むことを約束している印象です。こちらは気持ちよりも責任感でしょうか。

  

ですからcommitmentは「行動の約束」と考えられ、それを踏まえると「(責任を持って)実現に向けて取り組んでまいります」と訳すことができます。実際、Longmanでは“a promise to do something or to behave in a particular way”と定義されています。

  

某CMから「結果にコミット」という言葉が流行りましたが、行動だけでなく結果も約束するのだとすればcommitmentとpromiseを包括したフレーズということになり、だからこそ訴求力があったのかもしれません。

  

③ promiseはインフォーマル、commitmentはフォーマルで重大 これはどうなんでしょう。むしろ、promiseのほうが重大、つまり守れなかった場合の代償は大きい、という見方もできるのではないでしょうか。「約束を破ると罰せられる」というイメージがあり、”punishment for a broken promise”で検索をかけると文例が出てきます。

  

他方、”punishment for a failed commitment”は出てきません。climate change commitmentsを達成できなかったところで、罰則があるわけではありません。「必ず取り組みますよ、達成できるかどうかはともかく」というふうにも聞こえます。そういう意味では「目標」というより「努力目標」程度なのかもしれません。そして、ペナルティーがないからこそ企業や政府にとって使いやすい言葉であるがために、フォーマルに聞こえるのかもしれません。

  

あえてまとめるなら、こんなところでしょうか。
promise:どうにかして実現するという気持ちで交わす約束
commitment:実現に向けて責任を持って取り組むという約束

村瀬隆宗 慶応義塾大学商学部卒業。フリーランス翻訳者、アイ・エス・エス・インスティテュート 英語翻訳コース講師。 経済・金融とスポーツを中心に活躍中。金融・経済では、各業界の証券銘柄レポート、投資情報サイト、金融雑誌やマーケティング資料、 IRなどの翻訳に長年携わっている。スポーツは特にサッカーが得意分野。さらに、映画・ドラマ、ドキュメンタリーなどの映像コンテンツ、 出版へと翻訳分野の垣根を超えてマルチに対応力を発揮。また、通訳ガイドも守備範囲。家族4人と1匹のワンちゃんを支える大黒柱としてのプロ翻訳者生活は既に20年以上。

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第27回:opportunity:ただの「機会」ではない

第26回:Insight:洞察?インサイト?訳し方を考える

第25回:Share:provideやgiveより使われがちな理由

第24回:Vocabulary:翻訳者は通訳者ほど語彙力を求められない?

第23回:Relive:「追体験」ってなに?

第22回:Invoice:なぜ「インボイス制度」というのか

第21回:Excuseflation:値上げの理由は単なる口実か

第20回:ChatGPTその2:翻訳者の生成AI活用法(翻訳以外)

第19回:ChatGPTその1:AIに「真の翻訳」ができない理由

第18回:Serendipity:英語を書き続けるために偶然の出会いを

第17回:SatisfactionとGratification:翻訳業の「タイパ」を考える

第16回:No one knows me:翻訳と通訳ガイド、二刀流の苦悩

第15回:Middle out:トップダウンでもボトムアップでもなく

第14回:Resolution:まだまだ夢見る50代のライティング上達への道

第13回:Bird’s eye view:翻訳者はピクシーを目指すべき

第12回:2つのquit:働き方改革と責任追及

第11回:Freelance と “Freeter”:違いを改めて考えてみる

第10回:BetrayとBelie:エリザベス女王の裏切り?

第9回:Super solo culture:おひとりさま文化と翻訳者のme time

第8回:Commitment:行動の約束

第7回:Mis/Dis/Mal-information:情報を知識にするために

第6回:Anecdote:「逸話」ではニュアンスを出せません

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