Tips/コラム
USEFUL INFO
プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。
第2回:順境のとき、逆境のとき
先日、去年の総合翻訳本科クラスの元生徒さんであるYさんとMさんに、スクール内でばったり会いました。
2人とも、派遣で仕事をしながら、土曜にはスクールに通い続けています。
おそらくこのページをご覧の方々と状況が似ていると思いますので、少し紹介してみたいと思います。
☆ ☆ ☆
Yさんは、長い爪を飾るゴージャスなアートが印象的な、今ふうの若い女の子です。
現在は、事務と多少の翻訳をしているそうです。
目下、煮詰まっているようで、
「上のクラスにどうしても上がりたい、でも成績がいまひとつぱっとしない…」としきりに言います。
「来期の受講ももちろんいいですけど、Yさんはもう翻訳の仕事ができるレベルに十分達しているのだから、次の派遣は翻訳にしぼったほうがいいですよ!
ある程度勉強したら、仕事を通じて勉強する方が力もつきますし」
と(おせじ抜きで)言っても、
「うーん・・・」といまひとつ踏ん切りがつかない様子。
『こういうものを訳したい』という理想があるのですが、なかなかそこに近づけない状況がもどかしいようです。
Mさんも、「今週のYさんの訳はとっても上手で、目からウロコでしたよ~、添削も全然されていなかったじゃないですか」
と言うのですが、Yさんは
「まだまだ私には翻訳の派遣は無理…」
「今の会社も気に入っているし…」
「実践科の先生にも習いたいし…」
と、どうも踏ん切りがつかないようです。
用事のあるYさんが帰った後、Mさんと話をしました。
Mさんは氷河期世代。地方で最初の翻訳派遣を経験した後、東京に出てきたというガッツの持ち主です。
上京後最初の翻訳派遣は分野がいまひとつ合わず、次に決まったのが事務だったのですが、気がつけば翻訳も任されているそうです。
「事務の時給で翻訳もしているんですよ。次はこういうことがないよう、ISSから派遣に出たいです」
「それがいいかも… 『こんなことまで頼まないでよ』と思って訳が荒れたりしないですか?」
「今のところそれはないですね、何しろこのご時世、仕事があるだけでもありがたいですし、それに自分はまだまだお金をもらって勉強させてもらっている段階だと思ってますし」
(えらい!!)
「実は、今の仕事が決まってから数日後に、別の派遣会社から『翻訳専業派遣が決まった』と連絡を受けて、激しく後悔したんですよ」
「お金に余裕がないもんで、派遣期間が終わったら次の仕事をすぐに決めないといけないんです。だから先に連絡が来たほうに決めてしまって…まさか翻訳派遣の仕事が決まるとは思ってなかったので…」
と少し残念そうな様子です。
Mさんの翻訳は、昨年の本科クラスの途中で大化けしています。入学当初はやさぐれた(?!)訳をしていたのですが、試行錯誤のうえ、自分の文体をつかむことに成功しました。自虐ネタが得意で、あらゆるものをひとひねりもふたひねりもして見る斜め目線が持ち味です。
一方、Yさんは大真面目なのにとぼけている、典型的なボケキャラ。一見アクロバティックだが実は正確という訳が持ち味です。訳を思いつくのに非常に時間がかかるそうです。※
2人と似た状況の方、きっといるのではないでしょうか?
私自身も、かなり身に覚えがあります。
では、2人のうち、どちらが翻訳者として一本立ちできるところに近いでしょうか?
☆ ☆ ☆
それは、本人たちの気持ち次第。
それぞれの状況をどういう心構えでしのぐかによって、近づきも遠ざかりもするでしょう。
これはモチベーションの問題なのです。
私にとって二人の状況は、「プロ翻訳者」なるゴールがあり、そこに至るまでのはしごを上っているとは、どうしても見えないのです。
むしろ、二人はすでに翻訳者であり、翻訳者的な周期のなかにいるように見えます。
どんな仕事でもそうでしょうが、翻訳業でも、精神的に順境の時期と逆境の時期があるように思います。
能力以上のものを期待されてプレッシャーを感じる時期、
能力以上の仕事にチャレンジしてみたいと思う時期。
新しい仕事を覚える時期、
仕事がマンネリ化して退屈な時期。
気力の充実した時期、
精神的に追い詰められた時期。
思いのほか評価される時期、
また逆に実力を正当に評価してもらえない時期……
……などなど、実務翻訳者には、精神的に追い風を受けているときもあれば、逆風のときもあります。
そして、この稼業に就く限り、どうやらこうした周期は永遠についてまわるようです。
何か完成した「翻訳者」というステージがあって、そこに達したらあとは一生安泰ということは、残念ながらありません。
翻訳専業派遣になっても、フリーランスになっても、何か大きな仕事を達成しても、逆風の周期は必ずやってくるのです。
逆境の時期をしのぐ最大の方法は、モチベーションを絶やさないこと。
「自分にはこの道しかないんだ」と決めて、順境のときも逆境のときも訳し続けるという覚悟を持つことです。
決して訳で手を抜かないこと、精神の安定を保って淡々と訳し続けること、そして自分の実力を客観的に見つめて勉強を続けること、しかありません。
経験上思うのですが、この周期においては、逆境のしのぎ方こそがポイントです。
順境のときに追い風に乗って実力以上の評価が得られるのは、ボーナスのようなものです。このときの評価はありがたく受け止めますが、でも調子に乗ってはいけません。
むしろ大事なのは、逆境のときにどれだけモチベーションを絶やさずに、安定した訳を出し続けられるか。
この局面を堪え忍ぶことで、再び順境の局面に入ったときに、ほんの少しですが訳がうまくなっていることに気づくはずです。
Mさんに、クラスの課題で訳したものを見せてもらいました。
Yさんは相変わらずの超絶技巧のなかにもかすかに迷いが出ており、またMさんは昔の訳からは完全に卒業し、読者思いの姿勢が一層強く出ていました。
二人とも、どちらかといえば逆境の仕事状況のなか、地道に努力を続けていることがよくわかり、とてもうれしく、また同業者としてこちらが励まされる思いでした。
「そういう時期もありますよね…二人とも今は我慢のしどころ。今後半年くらいは、いま確立しているサイクルをこなしてしのげば、かなりうまくなると思いますよ。勉強も仕事も両方続けるのは大変だと思いますけど、ここまで来るまでもいろいろ越えてきたのだから、次もきっと越えられますよ」
モチベーションをしっかり保ってこの時期をしのぐことができれば、二人とも数年後には今よりも一段も二段も訳がうまくなっていることでしょう。実力がつけば、自然と評価もついてくるはずです。
順境のときも逆境のときも淡々と。お互い頑張りましょう。
※
ちなみに、斜め目線・自虐的(=自分のことを引いて眺めることができる)、ボケキャラ(=相手のツッコミ/思考を誘発する)のどちらも、翻訳者に典型的な資質のひとつです。
第34回:Stay hungry, stay foolishの訳は「ハングリーであれ、愚かであれ」なのか?
第32回:8/25開催「仕事につながるキャリアパスセミナー~受講生からプロへの道~」より
第23回:海野さんの辞書V5発売!!+セミナー「新たに求められる翻訳者のスキル」(後編)
第22回:セミナー「新たに求められる翻訳者のスキル」(前編)
第19回:翻訳Hacks!~初めて仕事で翻訳することになった人へ~
第16回:英日併記されたデータから、原文のみを一括消去する方法
第15回:翻訳者的・筋トレの方法(新聞の読み方、辞書の読み方)
第12回:『ワンランク上の通訳テクニック』連動企画(笑):Q&A特集
仕事を探す
最新のお仕事情報