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プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。
第5回:翻訳と受験和訳、二足のわらじ
プロフィールにもある通り、私は予備校でも教えています。
一方が主で一方が副という意識はなく、両A面といいますか、どちらも私にとって大切な仕事です。
翻訳者と予備校講師の兼業は可能でしょうか?
さらに言うと、翻訳者はそもそも兼業可能な職業なのでしょうか?
真似しようという人は少ないとは思うのですが、今回はそのあたりの個人的体験をお話ししたいと思います。
■社内翻訳者・兼・予備校講師時代
予備校で教え始めたのは、そもそも大学院の学費稼ぎが目的でした。
その後、翻訳者になろうと決めてISSに通い始めたとき、予備校講師の仕事はISSの学費を稼ぐためのものとなりましたが、その時点ですでに教えることも楽しくなり始めていました。
(~以下は、12年前の、恐れを知らない人の特殊事例としてお読み下さい~)
ISSに通い始めた2期目の途中で、翻訳の派遣の仕事が決まりました。
しかし、恐れ多いことに私は、派遣の仕事が決まってもなお予備校講師を続けようとしました。
時は12月、追い込みの真っ最中でした。年度途中で生徒を放り出すことができなかったのです。
・・・そういうと聞こえはいいのですが、そこで翻訳業務の経験がまったくなかった者が
「週2回は予備校で教えているので早退させて下さい」
と頼んだのは、実にあつかましいと言わざるを得ません。
しかし寛容なことに、この派遣先は私の願いを受け入れてくれました。
こうして初めての翻訳派遣は、週5日のうち2日は15時で早退するという契約になりました。
その後、予備校をやめる機会は何回かありました。
特に印象的だったのは、某大手外資系企業への派遣をめぐる一件です。
月収40万という、大変に好条件の仕事でした。
しかし、このときもやはり年度途中だったため、予備校の契約をどうしても破棄できなと話したところ、先方からはやはり週5日来てほしいということで、この話はなかったことになりました。
条件がよかったこともあり、この時はかなりへこみました。
(これも、自業自得と言わざるを得ませんが・・・)
落ち込みながら、当時の担当者だったNさんに
「本当に申し訳ありません…予備校を退職したほうがよかったでしょうか」
と申し上げたところ、大変お骨折りいただいたはずにもかかわらず、Nさんは
「予備校はやめない方がいいと思います」とおっしゃって下さいました。
今思えば、その言葉は私の言動にあきれた末に出てきたものに違いないのですが、当時の私は
「その調子で二足のわらじを続けなさい」と背中を押されたような気になりました。
本当に、あつかましいにもほどがあります。
その後は、Nさんのその言葉を支えに、社内翻訳者と予備校講師の二足のわらじをはけるような条件の仕事を探しました。
それだけ変わった条件をつけていたせいもあり、最高で9社連続不採用ということもありました。
(このときも相当落ち込んだのですが、いま当時の自分に会ったら「自分で自分を縛っておいて何を言ってるんだ」と一喝するでしょう)
それでも、週1日や週3日という条件の社内翻訳の仕事や、週5日であるものの15時退社といった仕事を見つけて、翻訳者としての修業をなんとか続けました。
■フリーになって
フリーになってからは、2つの仕事を持つことを禁じる人は誰もいなくなりました。
しかし今度は、そうした場合に自分の職業を何と名乗るべきなのか、悩むようになりました。数年間はうじうじしていたように思います。
「授業の予定だけ入っていて、締め切りを抱えていない翻訳者は、果たして翻訳者と言えるのだろうか」、「予備校講師のほうが拘束時間がはるかに長いのに、翻訳者を名乗っていいのだろうか」などなど…
肩書きと中身が一致しない状態はきついなどと、当時は思っていました。
でもあるとき、
「自分はフリーランスなんだから、別にひとつの肩書きで自分を表そうとする必要もないんだ」
という結論に至りました。
そのときどきで、目の前の仕事に全力を尽くせばいいだけのこと。
お客さまにとっては仕事の出来だけが問題なのであって、こちらの肩書きなどは別に関係ないのです。
「2つの仕事を持っている状態をひとつの肩書きで表すべきなどと考える必要はない」と思い、ようやくふっきれました。
それからは、とにかく「翻訳する」と「英文和訳を教える」を2つの軸にして、来る仕事は拒まないことだけをルールに仕事を受け続けました。
その結果、おかげさまで「翻訳する」と「英文和訳を教える」はなんとか10年続き、さらには「翻訳を教える」「教材(研修マニュアル)を翻訳する」「教材を書く」などへと仕事が広がっていきました。
もちろん、失敗に終わった仕事もたくさんありますが、2つの軸を持つ状態は、基本的には仕事の幅を広げてくれたように思います。
2つの軸を置く状態が、今後いつまで続くかわかりません。
でも今は、翻訳者としてもまだまだ発展途上ですし、教えるほうも40歳を目前にしてようやく奥深さが分かってきたところです。
また、次に話すように、訳すことと教えることは補完的関係にあります。
なので、頂くひとつひとつの仕事を大事にして、求められる限りは両方とも続けようと思っています。
■翻訳はインプット、教えることはアウトプット
向き不向きはあると思いますが、もともと翻訳の仕事は教える仕事と両立しやすい、もっと言えば、翻訳することと教えることは補完的関係にあるように思います。
翻訳は、基本的にインプットの仕事です。
あまりに根を詰めすぎると鬱積してきて、体を動かしたり人と話したりしたい、つまり心身ともにアウトプットがしたくなります。
それでも仕事を受け続けていると、いずれは偏屈になるか、自分を出せなくなって精神的に煮詰まるだろうと予想されます。
一方、教える仕事は究極的なアウトプットで、意識してインプットの機会を設けないとあっという間に枯れてしまいます。そうなると生徒にあたるか、教える内容が貧弱になるかのどちらかになります。これは職の安定が保証されていない者にとっては致命的なことです。
そこで、翻訳と教えることを組み合わせると、インプットとアウトプットがちょうどいい具合に補完されるように思います。
個人的実感としては、短期的(1週間~1ヵ月)にインプットとアウトプットのバランスが多少一方に偏っても、中長期的(3ヵ月~1年)に両方の仕事ができれば、バランスが保てるように思います。
個人的には、インプットとアウトプットのバランスを意識するようになってから、両方の仕事がともにすごく楽しく感じられるようになりました。
「楽しい」というのは誤解を招く表現であることは承知なのですが、あえて言い換えれば
-不当に搾取されているような気分になることなく、仕事を通じて充足感を感じられる
-適度なプレッシャーのなか、仕事を前にして「今日も仕事ができてありがとう」と思える
という感じでしょうか。
フリーランスの場合、どちらの仕事も「楽しく」続けることが、人さまのお役に立てるものを長期にわたって出し続けていくための、最も確実な道であるように思います。
もちろん、時には仕事を抱えすぎたり、苦しい仕事を受けたりして、バランスが崩れることもありますが、
私の場合、どうやら翻訳と教える仕事の両方に同時に携わることで、どちらの仕事も一定の質を確保できる仕組みのようです。
複数の仕事を組み合わせることには、他にもメリットがあります。
やはりこのご時世、複数の異なる仕事を持つことは、リスク分散になります。
また、どの業界にも繁忙期と閑散期があるため、組み合わせによってはうまい具合に年間を通して仕事を入れ続けることができます。
とはいえ、この種のメリットは後からついてくるものであり、これだけを目的に2つの仕事を持つことは長期的には難しいかもしれません。
■受験和訳は自己アピール、そして翻訳は…
少し話が細かくなりますが、実務翻訳の世界と受験英語の世界、両方を見てきたからこそ知り得たこともあります。
実務翻訳は確かに受験和訳の延長線上にありますが、両者はある一点において大きく異なります。
実務翻訳において、まず考えるべきことは、
「読者」(誰のために書かれた文章なのか)
「用途」(どういう目的で使用される文章なのか)
「効果」(文章を通して読者にどういった気持ちを起こさせたいのか)
の3点でしょう。
これに沿って考えると、受験和訳の読者は「大学の採点者」です。
用途は、「受験者における相対的な英語力を測ること」です。
そして「効果」はというと、ここが実務翻訳との大きな違いなのですが、
「自分がいかに英語がよくできるか見せつけること、この大学で学びたいという意欲を感じさせること」です。
受験和訳とはつまるところ、和訳を通じて行う自己アピールの一種なのです。
一方、実務翻訳は徹底的な自己消去の作業です。自己アピールからは最も遠いところにあります。
実務翻訳とは、あくまでも原文の読者・用途・効果を再現するものであり、翻訳者自身がどんな人間かというのはどうでもよいこと、自己アピールは邪魔なだけです。
この点において、受験和訳と実務翻訳は大きく異なります。
我が身を振り返っても、自己消去ができるようになったとき、翻訳者としての自信が少しついたような気がします。
また、翻訳力が伸び悩んでいる人のなかには、訳を通じた自己アピールを続けている人が案外多いのです。
■生徒からの質問が私を翻訳者にした
最後に、翻訳者として「予備校講師をしていてよかった」と思うこと、それは
「受験生からの質問が、翻訳者に必要な英語力の基礎を作ってくれたこと」
をおいて他にありません。
実際、私のようなものは、予備校で教えていなければ翻訳者になることはできなかったでしょう。
受験生の質問というのは、驚くほど細かいものが多いのです。
ここ最近のものだけでも、
「どうしてこの最上級はtheではなくてaなんですか」に始まり、
「このas以下はどこにかかっているんですか」
「be concerned aboutとbe concerned withに違いはあるんですか」
「There's more to it than that→だいたい意味はわかるんですが直訳できません」
「このwouldの用法は仮定法、婉曲、意志未来willの過去形のどれですか」などなど・・・
こうした細かい文法に関する質問によって私は、緻密な解釈にいやというほど目を向けることとなりました。
帰国英語、言い換えれば子供英語でずっと来てしまった私が、仕事で通用する英語力を身につけることができたのは、こうした質問のおかげで英文法を意識できるようになったからです。
すべての単語を文法的に考える段階を一度は経なければ、私のような帰国英語の人が翻訳の仕事につくことはまず不可能でした。
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