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プロ通訳者・翻訳者コラム
気になる外資系企業の動向、通訳・翻訳業界の最新情報、これからの派遣のお仕事など、各業界のトレンドや旬の話題をお伝えします。
成田あゆみ先生のコラム 『実務翻訳のあれこれ』 1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。5~9歳までブルガリア在住。一橋大大学院中退後、アイ・エス・エス通訳研修センター(現アイ・エス・エス・インスティテュート)翻訳コース本科、社内翻訳者を経て、現在はフリーランス翻訳者。英日実務翻訳、特に研修マニュアル、PR関係、契約書、論文、プレスリリース等を主な分野とする。また、アイ・エス・エス・インスティテュートおよび大学受験予備校で講師を務める。
第4回:辞書について(2)~アナログの効用
丸尾先生、遅ればせながら、奥様のご出産おめでとうございます。
夜泣きが大変な時期だと思います、母子をいたわってお過ごし下さい。
さて、これをお読みの社内翻訳者の皆様は、調べた訳語はどのようにして管理していますか?
私自身はと言いますと、紆余曲折を経て、最近は紙の辞書や手書きの用語集も取り入れるなど、アナログに回帰しています。
今回は恥を顧みず、自分自身の用語集の作り方を一つの例として紹介してみたいと思います。
☆ ☆ ☆
私がこの業界に入った1990年代後半は、ワープロで作業してfaxやフロッピーで納品するといった昔の仕事のやり方がかろうじて残っていました。
私の師匠は、ぼろぼろの紙の大辞典を愛用し、調べた単語はどんな小さなものでもすべて裏紙に書き出していました。また英語と日本語の新聞や雑誌を大量に定期購読し、夜はそれらを読んで知識を蓄えるという生活を送っていました。
駆け出しの頃はそういったやり方をできるだけ真似していたのですが、その後の10年間の時代の変化は非常に激しく、試行錯誤を繰り返しているうちに、いつしか師匠のやり方は踏襲しなくなっていました。
辞書は完全に電子化、知識は蓄えるのではなくインターネットで調べるものになりました。
また、下手に検索性の低い用語集を作るよりも、その都度調べる方が速いということになり、バックアップをとることには熱心になっても、訳す過程で調べた単語をまとめることはしなくなりました。
しかし数年前に仕事にすごく行き詰まった時期がありまして(前にも書きましたが周期的にそういう波が来るものなのです)、その原因を探るうちに、ふと思いついたことがありました。
仕事をやりっぱなしにして復習しないからこそ、フラストレーションがたまるのではないだろうか?
一度調べた用語は、再度使うか使わないかは関係なく、きちんと復習することが、実は仕事を続けるためのモチベーションの維持につながるのではないだろうか?
そう考えるようになってから、時間の許す限り、用語集作りを心がけるようになりました。
(そのせいかどうか定かではありませんが、そのときの行き詰まりからはいつの間にか脱出することができました。)
パソコンの辞書やインターネットといった「デジタルな調べ物」の機能は、現代の翻訳者には絶対に不可欠です。
しかし一方で、手書きの用語集や紙の辞書といった「アナログな調べ物」も、翻訳者の長期的なモチベーション維持にはどうやら不可欠だと分かりました。
個人的には現在、以下のような形でアナログを導入しています。
■①インターネットで調べがついた主なキーワードは、納品後に書き出す。
やはり用語をまとめるのとまとめないのとでは、いろいろな意味でかなり差が出てくる、というのが今の結論です。
翻訳作業中は時間がないので、今のところは納品後に行っていますが、特に問題ないようです。
納品後、訳文を見直しながら調べてわかった主なキーワードを書き出していくわけですが、「あ~、ここは◎◎◎という訳のほうが良かったかも…」といった発見が多くてけっこう落ち込む作業です。
しかし、この反省感がいずれは充足感に変わるので、心を鬼にして取り組みます。
(翻訳者仲間Yさんはこうした性質をひっくるめて「翻訳や通訳はマゾじゃなきゃやってられない」と言います(笑))。
まとまった時間をかけようと思うとおっくうになりますので、納品後すぐに、20~30分くらいで済ませるというスタンスでやっています。
ここで問題になるのが、「何に書き出すか」ということです。
昔は大学ノートに日付順に書いていましたが、最近は、刊行されているその分野の用語集を買ってきて、それに書き込んでいます。これについては次の項目に続きます。
■②業界用語については、極力、市販の用語集を調達する。
例えば物流関係の文章を訳したら、その過程で調べた主な物流用語を『ロジスティクス用語辞典』(日経文庫)に書き込んだり、書き加えたりします。
いわば、市販の用語集をベースにして、マイ用語集を作り込んでいくのです。
ネット上の用語集が非常に充実している現在、この方法は「なんでわざわざ?」という感じかもしれません。
しかし、市販の用語集を使うメリットはいくつかあります。
まず、新しい分野を初めて手がける際には、こういった用語集に最初にざっと目を通すと、その分野の全体像が頭に入ります。
(ネット上の用語集だと、こういう使い方はなかなか難しいものがあります。)
また、久しぶりにその分野を訳すときは、市販の用語集とマイ用語集が一本化されていると、比較的効率よく用語を思い出すことができます。
書き込む作業自体が記憶の定着につながる点も大きいです。
これは、高校時代のノート作りなどで実感したことのある方も多いのではないでしょうか。
そして何より、マイ用語集を作る作業そのものが、充足感につながります。
たいていの実務翻訳者は忙しい人のために仕事をしていますので、なかなかフィードバックを得ることができません。
しかし翻訳者とはフィードバックが得られないと次第に枯れてくる生き物らしいのです。
そこで意識して自分にフィードバックを与えることで、(落ち込みもしますが)自分なりに充足感を得ることができます。
こうした実感は、この仕事を長く続けるためには非常に大切だと思います。
なお、実務翻訳を始めたばかりの方は、実務全般を扱う辞書をベースにマイ辞書を作っていくとよいと思います。
ベースとしては、前回紹介した「海野さんの辞典」こと
『ビジネス技術実用英和大辞典』(日外アソシエーツ)の紙版
が強力にお勧めです。
マイ辞書のベースにするのはもちろんのこと、毎日、ランダムにページを開いて最初に目に入った語の記述を読むのも効果的です。
ちなみに海野さんの辞書の「謝辞」はかなり泣けますが、紙版でのみ読めます。特に保育園児の母ちゃんは読んで号泣して下さい(笑)。
■③イディオム・熟語は、紙の辞書で調べる。
イディオムに限っては最初から紙の辞書を引くようにしています。
というのも、電子辞書・パソコンの辞書は、イディオムに限っては目指すエントリーにたどりつくまでに時間がかかりますし、場合によっては収録されているのにヒットしないことがあるからです。
おすすめのイディオム辞典は以下の通りです。
□クラウン英語熟語辞典(三省堂、絶版)
イディオム(熟語)のみが掲載されている辞典。例えばworkを引いてもworkそのものの意味はなく、work out、work on ...といったイディオムだけが並んでいます。
刊行は1965年なのですが、現代でもまったく遜色なく使うことができ、また驚くほどの数のイディオムが収録されています。訳語もとても洗練されていて、気の利いた訳を作ることができます。絶版になってしまったのが惜しまれる辞書です。
□ウィズダム英和辞典第2版(三省堂)
日本で初めてコーパス(用例データベース)を本格的に使用した辞書。この辞書の大きな特徴は用例が使用頻度の高い順から並んでいる点にあります。「この言葉は××という意味だと覚えていたけど実は◎◎という意味のほうがよく使われる」という発見の多い辞書です。
上記と同じ三省堂から出ていること、また類書と比べてイディオムの収録数は段違いに多いことから、最近は熟語といえばこちらを最初に引くことも少なくありません。
イディオムを引くために紙の辞書を引くと、紙辞書の良さを再確認します。
語義の全体像を一度に見渡せるので俯瞰的に意味が理解できること、前後が読めるので派生語などを確認できること、また道草をして他の言葉の意味をつい読みふけってしまうのも、長い目で見ると効果と言えそうです。締め切りが迫るとそういう優雅な辞書とのつきあい方ができないのが悲しいところですが・・・
☆ ☆ ☆
辞書の話が出たので蛇足ながらに申しますと、辞書に出ている訳語は「それ以外の訳をしてはならない」という到達点ではなく、むしろ「文脈に即した訳語に到達するための踏み台」つまり出発点と考えるべきものです。
私がこのことに気づいたのは、翻訳者になりたいと初めて思ってから5年以上も経ってからでしたが、逐語訳から翻訳へとステップアップするきっかけとなった、個人的に非常に大きな発見だったことは間違いありません。
辞書の記述は「適度に不十分」と言った人がいましたが、まさにその通りだと思います。
考えてみると、辞書というのは案外、相反する要素を併せ持つ存在のような気がします。
「適度に不十分」という形容もそうですし、語学ができる人ほどこまめに辞書を引く点もそうかもしれません。
また、辞書の訳語はあくまで踏み台に過ぎないが、踏み台が適切でないと最終目的地の訳語に到達できない点。
速く引けることが短期的には至上命題であるが、ゆっくり引くことが長期的満足感につながる点----こうしたことも相反する要素と言えるでしょう。
・・・ついでに、常に「ああすればよかった~」と思えないと真に満足できないという翻訳者のマゾ気質も、ここに加えてみたい気がします(笑)。
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